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最高裁判所第二小法廷 昭和60年(オ)10号 判決 1990年4月20日

上告人 松本勇 ほか二二名

被上告人 国

代理人 野崎昌利

主文

本件上告を棄却する。

上告貴用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人佐藤義彌、同駿河哲男、同竹澤貞夫、同小池貞夫、同藤原周、同藤原充子の上告理由について

第一上告理由第二について

一  所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認するに足り、その過程に所論の違法があるとはいえない。

右事実及び原審の適法に確定したその余の事実関係は、おおむね次のとおりである。

1  国有林野事業へのチエンソー等の導入と上告人らの使用による振動障害の罹患

国有林野事業は、わが国の国土全体の約七割を占める森林面積の約三分の一を対象とし、木材の供給、国土の保全、水資源の涵養、保健休養場の提供、地域振興への寄与、林業技術の開発普及等を果たすことを目標としている。この事業の現場作業は、伐木造材、集運材、植林の各部門に大別できるが、従前は主として人力、天然力を用いており、伐木造材作業は、斧、鋸、腰鉈、くさび等を用い、全身の力を長時間使って木を伐倒し、枝払い及び玉切りをするという重労働で、その技量を修得するには八年程度の経験を要するのものであり、また、造林作業は、地ごしらえには鎌、鉈、鍬等を、下刈りには鎌を、植付けには鍬を使用して行うものであった。

チエンソー(自動鋸)は、明治三〇年代後半に米国で試作が行われ、振動軽減のための改良を経て、昭和二五年ころには米国で広く使用されはじめた。ブッシュクリーナーも、外国でほぼ同じ時期に製作されたものである。チエンソー及びブッシュクリーナー(以下「チエンソー等」という。)はガソリンエンジンを原動力とするのでエンジン振動工具といわれ、圧縮空気を原動力とする空気振動工具(さく岩機、鋲打機等)、電気モーターを原動力とする電気振動工具(グラインダー、タイタンバー等)と区別され、さく岩機等とは、その作動によって生ずる振動の性質、程度を異にする。

わが国では、チエンソーは終戦直後に米軍によって導入され、昭和二三年には国産化が始められ、同二六年には民有林に米国製チエンソーが導入されていたところ、林野庁は、伐木造材、造林等の作業員を重筋労働から解放するとともに、戦後の経済復興期、これに続く高度経済成長期における木材需要の増大に応じて生産性を向上させるため、同二八年に「国有林野事業機械化促進要綱」を定めるなどして機械の導入実用化を積極的に促進することとなり、同年ころ以降主として米国製のチエンソーを国有林に試用導入し、同三二年ころから本格的に実用導入を図った結果、同三六年には保有台数四一九四台に達し、国有林の造材作業中約七五パーセントにチエンソーが使用されるに至った。高知営林局管内でも、同二九年から導入され、一時林野庁職員で組織される全林野労働組合(以下「全林野」という。)の反対で使用が中止されたが、同三四年一月に全林野四国地方本部と高知営林局との間でチエンソー実用化に関する合意文書が取り交わされ、同年度に一三五台が導入されて実用化が進められ、同四四年には保有台数が四二六台となり、そのころ同局管内の造材手全員がチエンソーを使用するようになった。また、ブッシュクリーナーは、同三二年から民有林に実用導入されていたところ、同三六年から本格的に国有林に導入が始められ、同四四年には保有台数一万二九六〇台に達した。高知営林局管内でも同三六年に導入、実用化された。

上告人ら八名(松本・田辺・岩崎・山中・下元・加納・下村・浜崎)及び死亡した安井計佐治、岡本吉五郎、三笠寅蔵、大崎憲太郎は、いずれも林野庁の高知営林局管内の事業所に所属する作業員で、亡大崎のみが機械造林手、その他は伐木造材手であったものである(以下、これら一二名を「上告人ら一二名」という。)。上告人ら一二名が営林署に採用された時期は大正一三年から昭和二八年にわたっているが、チエンソー等の使用を始めたのはそれぞれ所属していた事業所にチエンソー等が導入されると同時であったので、亡大崎がブッシュクリーナーを使用したのが同三九年六月であるほか、他の一一名は同三四年五月から同三六年八月までに使用を始め、そして、いずれも同三八年一〇月から同四五年までにその使用を終了している。

上告人ら一二名は、いずれもチエンソー等の使用により振動障害(白ろう病)に罹患し、その典型的な症状である「レイノー現象」という傷病名により(但し、上告人田辺は「関節炎」)、営林署退職の前後に公務上災害の認定を受け、それ以来療養補償、休業補償等を受けているが、退職後、上告人松本は、手鋸による玉切作業に約一か月間、道路舗装の小直し作業に約四年間従事し、同田辺は、一年間縫製工場に工場長として勤め、その後乗用車を運転するようになり、縫製工場の裁断作業に従事し、同下元は、一年間寿司屋営業で包丁を常時使用し、その後の一〇年余は造園左官業や日雇人夫を続け、乗用車の運転をし、同加納は、約七年間土木作業や造林等の雑役に断続的に従事し、亡三笠は、六年余土木工事の現場監督や型枠大工等の肉体作業に従事し、上告人下村は、タクシーの運転業務に従事し、毎年厳寒期に山中で野猪の狩猟も行っており、同浜崎は、鮮魚商を始め、毎日貨物自動車を運転して午前六時ころ約四八キロメートル離れた市場に赴いて鮮魚等を仕入れ、これを行商して回り、午後三時過ぎから夕方まで自宅店舗で働いており、亡大崎は、約八年間日用雑貨店の経営に伴う商品の仕入れや配達のため日常的に自動車を運転した。

2  昭和四四年ころまでの振動障害に関する医学的知見等

昭和四四年ころまでの振動障害に関する医学的知見等は、次のとおりである。

(1) 昭和四年までに、ドイツ労働者補償法では、空気振動工具使用による労働者の筋肉、骨、関節の疾病を補償対象疾患損傷の一つに法定していた。

(2) 昭和一三年に村越久男が鋲打工の一臨床例を報告し、その後、同二二年までに労働衛生学の専門家三名が空気又は電気による打撃振動工具の使用による手指の蒼白発作や肘の関節等の障害に注目したが、これらの文献によると、右各振動工具使用による人身障害はすべて局所的かつ軽症で、特別の治療を行わなくてもさして危険な性質の疾病ではなく、その従事作業に支障があるのはきわめて稀であるとされている。

(3) 昭和二二年までに外国で発表された九つの文献は、すべて空気又は電気による振動工具の使用による身体障害を調査研究したもので、そのうち、ソ連のガラニナが、振動による人身障害を振動病と呼び、この疾患の症状には手指の血管運動神経の障害、感覚障害など局所的な症状が多いが、右症状のほか中枢神経系に影響を及ぼすなど全身性の変化がみられるので、局所的な疾患とはいえないとしているほかは、すべて右障害を局所疾患としており、軽症のものが大半であるとの所見もみられる。

(4) わが国では、昭和二二年に、労働基準法施行規則(同年八月三〇日厚生省令二三号)三五条一一号により、「さく岩機、鋲打機等の使用により身体に著しい振動を与える業務に因る神経炎その他の疾病」が業務上の疾病に指定された。しかし、それらによる労働災害として補償が行われた事例は少なく、多い年でも一〇件前後にすぎなかった。

(5) 昭和二三年から同三四年までの間におけるわが国の四つの文献は、すべて空気又は電気による打撃振動工具と回転振動工具の振動障害の医学的知見であり、チエンソー等のエンジンによる回転振動工具の振動障害に言及したものはなかった。

(6) 昭和三四年、農林省林業試験場経営部作業研究室は、チエンソー作業の実態把握及びその作業における振動・騒音による疲労症候等の実態把握を目的とし、チエンソー三台以上使用の伐木造材事業所の作業員、指導員、事業所主任、営林署の事業課長、機械係を対象として、チエンソー作業のアンケート調査を実施した。

そして、右調査に当たった職員の米田幸武と辻隆道は、同三五年二月、右調査結果を取りまとめたが、林業試験場経営部作業研究室では、右調査内容につき更に研究を重ねる必要があるとの認識で、この調査結果を内部研究資料にとどめ、林野庁等に連絡通知することも部外へ公表することもなかった。

(7) しかし、右辻は、昭和三四年五月、六月、九月に、右調査内容の一部を林業機械化協会発行の雑誌「林業機械化情報」に掲載して発表した。右六月号においては、チエンソーの振動障害で顕著なのは、局所的な振動の負荷により一過性の疲労症状として上肢の血管・神経に血行障害が起こって蒼白となり、しびれ感及び疼痛感が起こり、これが筋萎縮を起こし、関節にも同様に慢性の関節炎や神経炎が起こるとみられること及びその対策の必要性等が記述されているが、当時医学界からも林野庁、全林野等からも関心を持たれた形跡はなかった。

(8) 昭和三五年と同三六年に、振動障害に関する医学的知見が相当多数発表されたが、ソ連のガラニナらとドロギチナらのものを除き、チエンソー等による障害に言及したものも、チエンソー等の使用によって人身障害が生ずることを予見したものもなかった。右両名らは、ソ連のチエンソー使用伐木夫に振動病が発症していること、そのチエンソーを含む振動工具全般の使用で発症する振動障害の臨床的特性や症状分類、疾病の進行段階に関する所見を発表した。しかし、同四一年にソ連の振動障害防止規則が松藤元の翻訳で紹介されるまでは、ソ連においてチエンソー使用伐木夫等に振動障害が生じていることを記述した文献も報告もなかった。

(9) 昭和三六年一一月、全林野長野地方本部から長野営林局に対し、機械化によって作業員に肉体的影響が現われているとして調査、措置の要求があったので、長野営林局が同三七年一二月「林業機械化に伴う職業病的傾向に対する調査」を実施した結果、チエンソー使用作業員の中に同三五、六年ころに手指の白ろう化や無感覚を経験したと訴えた者が一五名いたが、その症状は日常の作業等には支障のない程度のものであり、調査時点において右のような症状が発現していると訴えた者は皆無であった。

(10) 昭和三七年一一月、前記(6)の米田は、「林業機械概論」を出版し、チエンソー等の振動により作業員の人体に振動感、しびれを起こすのみでなく、その振動が強くなると体内の心臓、肺臓、胃、腸、眼球、脳などに障害を生ずるに至ることを記述しているが、前記(7)の辻論文と同様、当該医学界その他から関心を持たれた形跡はなかった。

(11) そのほか、昭和三七年と同三八年において、チエンソー使用による振動障害に言及した医学的知見はなかった。

(12) 昭和三八年一〇月、長野営林局坂下営林署は、前記(9)の調査で手指の蒼白現象が発現したことがあると訴えた者三名に坂下病院長窪田医師の診断を受けさせた結果、同医師から、一過性の血管運動神経症によるもので、作業自体による職業病と認められる程度のものではないなどの所見を得た。そして、坂下営林署は、手指の蒼白等の原因はチエンソーではなく、通勤のためのオートバイ運転によるものと考えられる旨を長野営林局へ報告した。

(13) 昭和三八年一一月、林野庁は、林野事業における機械化が本格的に進められて以来約一〇年経過したこの時期に、チエンソー等を含む林業機械の使用が災害や健康に与える影響の実態調査を行うこととし、労働科学研究所に調査票の設計、調査後の集計・分析を委嘱して、各種林業機械作業従事者全員約一万一〇〇〇名を対象として全国の国有林野事業所において一斉にアンケート調査を実施した。その調査結果の全貌は、同三九年三月から夏ころまでに明らかになった。

その調査結果によると、チエンソー等の使用作業員中にレイノー現象(チエンソー使用作業員の五・七パーセントに当たる一六八名、ブッシュクリーナー使用作業員の一・〇パーセントに当たる五一名)や指のしびれ(同一二・三パーセント)等の自覚症状を訴えた者のあること及び集材機、トラクターの使用者からも同様の訴えがあったことが判明したが、蒼白発作の訴え者率はチエンソー使用者が最高であった。しかし、これらの訴えの内容は、一般的な訴えや局所的な訴えなど多岐にわたり、これらの原因が果たしてチエンソー等や集材機等の使用に基因するのか明確でなかった。

(14) 昭和三九年、オーストラリアのグラウンズは、チエンソー使用の伐木手二二名中二〇名(九一パーセント)の手指にレイノー現象の発症がみられたが、作業をやめさせる必要があるとは何人も考えていないと発表した。この文献がわが国に紹介されたのは同四〇年以降である。

(15) 昭和三九年一二月、名古屋大学衛生学教室の山田信也らは、全林野から依頼を受けて翌四〇年一月まで現地(長野営林局付知営林署管内の事業所)調査を行い、同年五月、日本産業衛生学会で、「チエンソー使用の伐木造材手三〇名中一七名に蒼白現象が発現しており、チエンソーの振動によるものであることを疑わせるに十分である」などと発表した。

これに先立ち、同年三月二六日、日本放送協会(NHK)は、テレビの全国番組「現代の映像」で「白ろうの指」と題してチエンソー使用の伐木造材手にその使用に基因するとみられる手指の蒼白発作が発症していることを放映した。

山田らの右所見は、右テレビ放送と結びついて、一挙に社会的注目を集め、以後、チエンソー使用による振動障害に関する研究所見が多数発表された。

(16) こうした状況の中で、労働省は、昭和四〇年五月二八日付労働基準局長通達(基発第五九五号)により、「チエンソーは、さく岩機、鋲打機と同様振動工具であり、しかもその使用によって身体に著しい振動を与え振動障害をもたらす場合があるものと思料される。従って、チエンソーは、労働基準法施行規則三五条一一号に規定する『さく岩機、鋲打機等』に含まれるものであるから、その疾病の取扱いについては遺憾のないよう留意されたい。」と示達した。

(17) 昭和四〇年一一月、日本産業衛生協会内に設置された局所振動障害研究会は、人事院に対し、チエンソー等使用によるレイノー症候を公務疾患と認定するよう要望した。

(18) 昭和四〇年、鎌田正俊は、振動障害につき全身障害説をとる「職業性レイノー現象」を発表した。

(19) 昭和四一年、三浦豊彦らは、「局所振動障害としての職業性レイノー症候群」を発表し、日本産業医学会総会において、チエンソー等の振動工具による人身障害について一七題の報告が提出された。

(20) 昭和四二年、岡田晃、山田信也ら外多数は、日本産業医学会総会と日本医学会総会衛生関係六分科会連合学会において、振動障害の人体に及ぼす影響と診断等につき多数の報告を提出した。

(21) 昭和四三年、斉藤和雄らは、日本産業医学会総会において、ブッシュクリーナーの生体に及ぼす影響等につき発表した。

(22) 昭和四四年、高松誠、渡部真也は、「職業病とその対策」を、山田信也は、「振動障害の経過」を発表した。

3  林野庁等の行った施策等

(一) 林野庁等は、チエンソー等の導入実用化段階(おおむね昭和四〇年ころまで)において、次のような施策等を行った。

(1) 昭和二七年、林野庁は、動力鋸作業試験委員会を設置して、機種性能の検討、作業実験の実施とその結果資料の作成、所見の報告を求め、同委員会は、同二九年四月作業試験報告書を提出した。

(2) 昭和二九年、北海道における台風による風倒木の処理のため、旭川営林局で急遽外国製チエンソーを導入使用したところ、その作業能率は手作業の約二倍であり、同局技術者は、林野庁に対しチエンソーは作業者にとって重筋労働からの解放の効果が極めて高いことを報告した。

(3) 昭和三一年、林野庁は、チエンソーの本格的導入に当たり、林業機械の専門家である三品忠男を三か月間米国、カナダに派遣してチエンソーの現場での使用状況を視察させた。当時米国では既にチエンソーが年間十数万台生産され使用されていたが、そこでは重筋労働の軽減効果が強調されており、振動障害やレイノー現象の訴えはなかった。三品は、さく岩機等による振動障害のことは知っていたが、チエンソーはさく岩機等とは振動の性質、程度が違うと認識し、チエンソー使用による振動障害発生については全く思い及ばず、チエンソー導入を推進させた。

(4) 昭和三二年、林野庁は、前橋営林局沼田営林署を機械化作業実験営林署に指定し、チエンソー等の機械作業の指導者養成訓練を行った。

(5) 林野庁は、右(1)の作業試験報告書や昭和三四年ころに林業試験場に委託して行ったチエンソー等の作業方法ないし作業の標準工程策定に関する調査、実験研究の結果などに基づき、国有林機械管理規定(同二九年四月一日)、伐木造材作業基準(同三五年四月一日)、チエンソー取扱要領(前同日)、チエンソー等の造林作業点検要領(同三四年八月)を制定施行した。

(6) 林業試験場は、昭和三四年前記2の(6)のとおりチエンソー作業のアンケート調査を実施し、長野営林局は、同三七年一二月同(9)のとおり「林業機械化に伴う職業病的傾向に対する調査」を実施し、同局坂下営林署は、同三八年一〇月同(12)のとおり右調査で蒼白現象を訴えた者三名に坂下病院長の診断を受けさせ、林野庁は、同年一一月同(13)のとおり労働科学研究所に委嘱して各種林業機械作業従事者全員を対象として全国一斉にアンケート調査を実施した。

(7) 林野庁は、昭和四〇年三月ころから五月ころまでの間、チエンソー使用作業員を対象に第一回及び第二回の臨時健康診断を実施した(高知営林局管内では、第一回の約八〇名の作業員中一〇名足らず、第二回の約一〇〇名の作業員中一〇名余にレイノー現象の発症が確認された。)。

(8) 林野庁は、昭和四〇年四月、人事院との間で、チエンソー使用作業員のレイノー現象発症者につき個別的協議により公務上疾患の認定を受けることができる旨の協定をした(上告人下元はこの個別的協議により認定を受けた。その他の者は後記(12)の人事院規則改正後に認定を受けた。)。

(9) 昭和四〇年五月、労働省は前記2の(16)のとおりチエンソーが労働基準性施行規則三五条一一号に規定する「さく岩機、鋲打機等」に含まれる旨の通達を示達した。

(10) 昭和四〇年、林野庁は、人事院等と共催で労働科学研究所にチエンソー等の使用によるレイノー現象発症等の実態調査を委託し、労働科学研究所は、長野営林局の三営林署管内のチエンソー使用の伐木造材手、ブッシュクリーナー、オーガー使用の造林手につき調査研究をし、翌年三月ころまでに林野庁に報告した。

(11) 人事院は、昭和四〇年、同四一年の二か月にわたり、科学技術庁及び林野庁と共催で、東京大学労働衛生研究室等と東京都立大学研究室に林野庁作業員の作業環境、作業意欲等に関する実態調査を委嘱し(同四一年三月中間報告)、同四〇年八月、中央労災防止協会内労働衛生サービスセンターに沼田営林署管内におけるレイノー現象の発症等に関する実地検診を委嘱し、翌四一年二月、右労働衛生サービスセンターと労働科学研究所に熊本・高知両営林局管内の九営林署管内の前同様の実地検診を委託した(同四二年三月右各実地検診の調査結果報告書を林野庁に伝達した。)。

(12) 昭和四〇年、人事院は、学識者、科学技術庁、労働省、林野庁、人事院関係者で構成された専門委員からなる振動障害補償研究会を設置し、チエンソー等使用によるレイノー現象に対する補償基準について諮問し、同研究会は翌四一年一月までにいわゆる白ろう病については職業病に指定するよう人事院規則の別表を改正することなどを答申した。人事院は、これを受けて、同年七月一一日、人事院規則一六―〇、一〇条別表第一の番号四四につき、疾病欄の「手指神経症、関節炎又は筋炎」を「レイノー現象又は神経、骨、関節、筋肉、けんしょう若しくは粘液のうの疾患」と、公務欄の「さく岩機又はびょう打機を使用する公務」を「さく岩機、びょう打機、チエンソー等の身体に局部的振動を与える機械を使用する公務」と改正した(同月一日より適用)。

(13) 林野庁は、昭和四〇年七月、レイノー現象対策研究会を設置し、その意見を聞いて、同年八月チエンソー等使用作業員に毎年定期的に健康診断を実施することとした。

(14) 林野庁は、昭和四〇年四月、林業機械化協会の中に振動問題を検討するための委員会を設置して振動機械の改良を検討し、チエンソーのハンドル取付部に防振ゴムパッキンを取り付けた改良ハンドルを開発し、人体に伝わる振動を従来の一〇G以上から三分の一程度に減衰させることに成功し、翌四一年から実用化した(チエンソーメーカー等に防振機構内蔵型の開発を依頼し、同四四年、振動が約三Gの防振機構内蔵型チエンソーが実用に供された。)。

高知営林局は、独自に防振ハンドルを開発し、同四〇年末ころまでに実用化し、同四五年三月ころまでに振動が約三Gの防振型チエンソーに全部切り替えた。また、亡大崎の所属した川崎営林署では、同四四年に防振型で軽量のブッシュクリーナーに切り替えられた。

(二) 林野庁は、昭和四一年ころ以降、次のような諸施策を行った。

(15) 昭和四一年三月、林野庁長官通達をもって、営林局管理医と大学病院等との連携強化、権威者又は専門医の増員配置、営林署管理医の原則一名配置等を各営林局長に指示し、管理医体制の充実強化に努め、振動障害患者の認定に遅滞遺漏なきを期するよう指示し、同年三月及び六月、営林署の衛生管理者の現場巡視強化、現場巡視要領の作成、レイノー現象訴え者経過表の備付けにより作業員の健康管理に努めるよう各営林局長を指導した。

(16) 昭和四一年ころから振動障害対策として作業基準の改善を行い、同年にはチエンソーの目立の正しい行い方の技能修得再研修を実施し、同年五月新たに小型造林機械取扱要領及び造林作業基準を定め、昭和四三年二月には同三五年制定施行の伐木造材作業基準及びチエンソー取扱要領を改定し、防振技能修得に役立たせた。

(17) 昭和四一年一〇月、前記(12)の人事院規則改正に伴い、チエンソー使用により公務上の疾病として認定及び補償する場合の取扱要領規程を制定してその通達を発し、同年一一月、認定作業は原則として営林局段階で処理することにする旨の通達を発した。ブッシュクリーナーの使用によるレイノー現象等振動障害については、同四三年九月の通達により、チエンソーの場合と同様に営林局段階で処理することにした。

(18) 昭和四二年八月、林業労働障害対策研究会の意見により「局所振動機械作業従事職員に対する健康診断の実施要領」を制定実施し、同年一〇月これを改定し、問診表の作成、運動系器の検査、神経系の検査及び精密検査等を検査項目に追加した。

(19) 昭和四四年三月、寒冷期における寒冷感の防止又は局所振動軽減のため、休憩施設の整備、保温用具の備付け、耳栓の着用、体操、マッサージの励行等を各営林局長に指示し、同年度から防寒防振対策の一環として通勤バスを導入した。

(20) 昭和四四年五月、振動障害の予防、治療及び補償等についての総合的な調査研究を行い、諸対策を立てるための振動障害対策委員会を設置した。

(21) 昭和四一年から同四八年まで、振動障害の診断方法、予防、治療等の基礎資料を得るために、東京大学医学部、労働科学研究所、関東労災病院、東京労災病院等各種専門機関に調査研究を委託し、その結果報告書を逐次受け取った。

(三) チエンソーの使用実働時間については、従前ワンマンソー(一人で一台を使用)の場合で平均四時間余、ツーマンソー(二人で一台を交替使用)の場合で平均約二時間三〇分であったところ、昭和四〇年一一月九日、全林野は、機械の使用を一日二時間三〇分、連続使用時間を三〇分に規制すること、機械一台を二人が交替制で使用すること(ツーマンソー制)、雇用を減少しないこと、安全が確保できないときは使用を中止することを申し入れる要求書を林野庁に提出したが、林野庁は、同月二九日、雇用については配置換え、職種換え等の措置をとるとしたほかは、他の申入れは受け入れられないとする回答を行った。その後も同四〇年一二月二四日から翌四一年七月一七日まで交渉が継続されたが、進展せず、その後同四四年四月四日、全林野が林野庁に対し、振動病の予防対策として振動機械の使用は一日二時間以内、一か月四〇時間以内とし、ツーマンソー制、諸施設の完備、健康診断、臨時検診の実施、罹病者の機械使用中止と療養専念ができる施策の実行を要求したところ、林野庁は、同月一〇日、「操作時間をどの程度にすべきかは医学的にも明らかでなく、究明する必要がありなお検討する。隔月ごとのチエンソー使用も考えるが、ツーマンソーは採用しない。諸施設は改善する。訴え者の臨時健康診断は行う。罹病者も従来どおり業務に従事しながら療養させる。機械の使用は続ける。」との回答をし、これを巡って団体交渉が行われた結果、同月二六日、林野庁と全林野の間で、振動機械の使用時間を原則として一人一日二時間に規制することなどを内容とするいわゆるメモ確認がなされ、その後右四・二六確認中のチエンソー操作時間の解釈を巡って労使間で紛争が生じ、団体交渉を重ねた結果、同年一二月六日、両者の間で、振動機械の操作時間は一人一日二時間以内、月四〇時間を限度とし、連続操作日数は三日を超えないこと、一連続操作時間はチエンソー一〇分、ブッシュクリーナー三〇分を基準とすること、治療については、症状に応じて職種換え、機械の使用制限等を実施することとし、職種換えした場合の賃金補償は別に協定することなどを内容とする「振動障害に関する協定」が締結された。

(四) 右のように林野庁は、昭和四〇年以降振動障害認定者の職種換えを図る方針で対処してきたが、チエンソー等の振動機械を使用しない仕事に職種換えされた場合、従来の職種に比較して賃金が低下することから認定者側においてこの措置には消極的であったこともあり、このため必ずしも職種換えが進展しなかったので、林野庁は、同四四年一二月に職種換え以前の賃金のおおむね八五パーセントを補償することにし、これを同四七年には九五パーセント、同四八年六月には一〇〇パーセントに改善し、職種換え以前の賃金が全額補償されることになった。

また、休業補償の点では、同四〇年当時は、国家公務員災害補償法一二条に基づき療養に要した日について平均給与額の六〇パーセントが支給され、同四一年七月以降は、人事院事務総長通達により休業援護金一〇パーセントが併せて支給されることになり、同四五年には右休業援護金が二〇パーセントに増額され、更に同四八年には、休業特別給制度の新設により、療養のため勤務できない日の賃金が一〇〇パーセント補償されることになった。

二  ところで、被上告人は、国有林野事業遂行のため、伐木造材手又は機械造林手として雇用していた上告人ら一二名にチエンソー等を提供して使用、操作させるについては、上告人ら一二名の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき安全配慮義務を負っているのであり、右安全配慮義務の具体的内容は、それが問題となる具体的状況等に応じて定まるべきものであるので(最高裁昭和四八年(オ)三八三号同五〇年二月二五日第三小法廷判決・民集二九巻二号一四三頁参照)、本件の具体的状況のもとにおいて安全配慮義務違反の有無について検討することとする。

1  本件において上告人らは、被上告人たる国の林野庁が安全性を確認することなく国有林野事業にチエンソー等を実用導入し、万全の規制と予防措置を講ずることなく上告人ら一二名に使用、操作させ、チエンソー等の使用により多くの作業員に振動障害が発症し増悪の一途をたどっているにもかかわらず、その後もチエンソー等の使用中止の措置をとることなく使用を継続させた点、及び昭和四四年までチエンソー等の使用時間を短縮制限しなかった点において、被上告人に安全配慮義務違反があると主張する。

2  しかして、右の各点について安全配慮義務違反があるとするには、その前提として、チエンソー等の使用によって振動障害の発症することを予見し得たものであることを要するところ、前示原審の確定するところによれば、

(イ) さく岩機、鋲打機等による障害については、既に昭和四年までにドイツにおいて補償の対象とされ、わが国においても同二二年には労働基準法施行規則により職業病に指定されていたが、右さく岩機等はいずれも空気振動工具のうちの打撃振動工具に属するものであって、チエンソー等エンジン振動工具のうちの回転振動工具とは振動の性質、程度を異にするものである、

(ロ) 戦前から昭和三八年ころまでに内外で発表された医学的知見は、いずれも空気振動工具と電気振動工具のうちの打撃振動工具と回転振動工具による振動障害に関するものであり、チエンソー等のエンジン振動工具のうちの回転振動工具に言及したものはソ連の学者のものを除いてはなく、そのような工具は検討の対象外となっており、したがって内外の専門家の問題意識の外にあった(同三六年にソ連の学者はチエンソー使用による振動障害に言及しているが、それらは同四一年ころまではわが国に知られていなかった。)、

(ハ) 昭和三一年当時チエンソーが広い範囲に使用されていた米国においてもそれによる振動障害やレイノー現象の訴えはなく、林野庁から派遣された林業機械の専門家である三品忠男も、さく岩機等による振動障害は承知していたが、チエンソーとは振動の性質、程度が違うと認識していたため、チエンソー使用による振動障害発生については全く思い及ばなかった、

(ニ) 昭和三四年農林省林業試験場経営部作業研究室ではチエンソー作業のアンケート調査を実施し、その結果に基づき、米田及び辻は調査内容の一部をそれぞれ専門誌等に発表しているが、調査内容自体は更に研究を重ねる必要があるとの認識で内部研究資料にとどめられ、林野庁等に連絡通知されず、また部外に公表されなかったものであって、このようにみると、右両名の発表は研究検討過程における内部の資料を使用してなされた私的な立場からの見解の表明にすぎず、したがって医学界、林野庁、全林野等の関心をひくに至らなかった、

(ホ) その後昭和三六年一一月全林野長野地方本部から長野営林局に対し機械化によって作業員に肉体的影響が現われているとして調査、措置の要求があり、同三七年長野営林局は調査を実施したが、かつて手指の白ろう化や無感覚を経験したと訴えた者が一五名いたものの、調査時点でそのような症状が発現していると訴えた者は皆無であり、右一五名のうち三名については所属営林署からその原因は通勤のためのオートバイ運転にあると考えられる旨の報告があったなど、この調査の結果のみではチエンソー等使用による振動障害を深刻に受け止める事例が発見されなかった、

(ヘ) しかし、林野庁としても全林野長野地方本部の申出、長野営林局の調査等の経過を踏まえ、チエンソー等を含む林業機械の使用が健康に与える影響の実態調査を行うことが必要であると考え、昭和三八年一一月に労働科学研究所に委託して大規模なアンケート調査を実施し、その結果は同三九年夏ころまでには明らかになったが、それによると、全体に占める割合はわずかではあるものの、チエンソー等使用作業員の中にレイノー現象や指のしびれを訴える者のいることが判明したが、それらがチエンソー等の使用に基因するものか否か必ずしも明確ではなかった、

(ト) 昭和三九年一二月名古屋大学衛生学教室の山田信也らは、全林野から依頼を受けて翌四〇年一月まで長野営林局付知営林署管内の事業所につき調査を行い、同年五月、チエンソー使用作業員三〇名中一七名についてレイノー現象が発現している旨の調査の結果を発表し、これに先立つ同年三月二六日日本放送協会(NHK)がテレビの全国番組「現代の映像」で「白ろうの指」と題してチエンソー使用作業員のレイノー現象について放映し、そのため右山田らの調査結果と相まってこの問題が一挙に社会的注目を集めるに至った、

(チ) 労働省は、昭和四〇年五月二八日付労働基準局長通達により、林業労働者のチエンソー使用による振動障害は業務上の疾病に含まれる旨示達した、

(リ) 林野庁としても、その早急な対応に迫られ、昭和四〇年四月には人事院との間でチエンソー使用作業員のレイノー現象発症者につき個別的協議により公務上疾患の認定を受けることができる旨の協定をし、更に人事院規則の別表を改正していわゆる白ろう病につき公務災害の認定を受けられるよう人事院に働きかけるとともに人事院の行う作業に積極的に協力した、ということができる。

これらを総合すると、昭和四〇年までは、振動工具の継続使用による振動障害に関する医学的知見は、空気振動工具と電気振動工具のうちの打撃振動工具と回転振動工具、特にさく岩機、鋲打機等に関するものがほとんであって、エンジン振動工具のうちの回転振動工具に属するチエンソー等に関するものは僅少であったが、これらの知見と前記各種の調査の結果の積重ねを総合すれば、同年に至ってはじめて、チエンソー等の使用による振動障害を予見し得るに至ったというべきである。

3  したがって、昭和四〇年前は、右のようにチエンソー等使用による振動障害発症の予見可能性が否定される以上、予見可能性を前提とする結果回避義務を問題にする余地はなく、右時点前は被上告人の安全配慮義務違反を問うことはできない。

4  そこで、昭和四〇年に右予見可能性が生じたことを前提に、林野庁の行った施策等についてみるに、前示原審の確定するところによれば、同年前においては、チエンソー等の本格的導入に当たって、動力鋸作業試験委員会による機種性能の検討・作業実験の実施(同二七年)、チエンソーの現場での使用状況視察のための林業機械専門家の米国、カナダへの派遣(同三一年)、実験営林署におけるチエンソー等の機械作業の指導者養成訓練(同三二年)、林業試験場委託によるチエンソー等の作業方法ないし作業の標準工程策定に関する調査、実験研究(同三四年ころ)、これらに基づく伐木造材作業基準、チエンソー取扱要領の制定施行(同三五年)の施策等を行い、その後、長野営林局による「林業機械化に伴う職業病的傾向に対する調査」(同三七年)、長野営林局坂下営林署における坂下病院長による診断(同三八年)、労働科学研究所に対する全国一斉のアンケート調査の委嘱(同年一一月)を実施しているが、右予見可能性が生じた同四〇年以降は、症状に応じて配置換え、職種換え等の施策を実施するとともに、第一回及び第二回の臨時健康診断、個別的協議による公務上疾患の認定についての人事院との協定、労働科学研究所に対するチエンソー等の使用によるレイノー現象発症等の実態調査の委託、東京大学労働衛生研究室等に対する作業環境、作業意欲等に関する実態調査の委嘱、振動障害補償研究会への参加、レイノー現象対策研究会の設置とその意見に基づく定期的健康診断の実施(以上、同四〇年)、営林局管理医と大学病院等との連携強化等を内容とする林野庁長官通達(同四一年三月)、営林署の衛生管理者の現場巡視強化等の指示、作業基準の改善(同四一年ころ以降)、公務上の疾病として認定及び補償する場合の取扱要領規程の制定(同年一〇月)、「局所振動機械作業従事職員に対する健康診断の実施要領」の制定(同四二年八月)、その検査項目の追加(同年一〇月)、職種換え作業員に対し職種換え以前の賃金を補償するための努力、罹患者に対する補償の実現など各般の措置を講ずる一方、同四一年から、人体に伝わる振動を従前のもの(約一〇G)の三分の一程度に減衰させた改良ハンドルのチエンソーを実用化し、高知営林局も、同四〇年末ころまでに独自に防振ハンドルを実用化したのであって、振動源であるチエンソー等の機械自体の改良にも努めており、同四四年にはチエンソー等の使用時間を一人一日二時間以内に規制する措置を打ち出しているなど、これら林野庁の行った一連の施策等を通じてみれば(同四〇年前の施策等も同年以降の施策等の基礎になっているものとして考慮し得る。)、同四〇年前のものからはもとより同年以降における医学的知見及び各種の調査研究の結果からも、必ずしも振動障害発症の回避のための的確な実施可能の具体的施策を策定し得る状況にあったとはいえない時期においては、林野庁としては振動障害発症の結果を回避するための相当な措置を講じてきたものということができ、これ以上の措置をとることを求めることは難きを強いるものというべきであるから、振動障害発症の結果回避義務の点において被上告人に安全配慮義務違反があるとはいえないというべきである。

以下、敷衍するに、戦後における科学技術の著しい発達に伴い、往時とは比較にならぬほど種々の機械器具が開発、利用され、そのため我々の社会、経済生活を営む上で各種の利便ないし利益を享受してきたが、それによってもたらされる危険もまた否定し得ない。社会、経済の進歩発展のため必要性、有益性が認められるがあるいは危険の可能性を内包するかもしれない機械器具については、その使用を禁止するのではなく、その使用を前提として、その使用から生ずる危険、損害の発生の可能性の有無に留意し、その発生を防止するための相当の手段方法を講ずることが要請されているというべきであるが、社会通念に照らし相当と評価される措置を講じたにもかかわらずなおかつ損害の発生をみるに至った場合には、結果回避義務に欠けるものとはいえないというべきである。

これを本件についてみれば、新しい形態の機械器具であるチエンソー等を導入したことは、当時の情勢からみて何らの落度もなく、むしろ作業員の肉体的負担の大幅な軽減のため必要であり、有用であったのであって、前示のようにチエンソー等の使用による振動障害発症の予見可能性が生じた昭和四〇年当時、チエンソー等は既に本格的に導入されていたのであるから、この段階においてその使用を中止するとすれば、林野庁の全国の職域に混乱を招き、林野行政に深刻な影響を与えることは明らかであり、他方、伐木造材等の作業員にとっても、林野庁にとっても、その使用によって現に肉体的負担の大幅な軽減、作業能率の飛躍的向上等の大きな利益がもたらされていたことを考えれば、チエンソー等は伐木造材、造林事業を円滑に遂行するための必要不可欠な機械としてその使用がしだいに定着したものと認められるのであって、このような見地からすれば、被上告人に振動障害を回避するためチエンソー等の使用自体を中止するまでの義務はないものといわざるを得ない。

そこで、チエンソー等の継続使用を前提として結果回避のための注意義務を検討すると、その注意義務は、チエンソー等は新たに採用された新しい形態の機械器具であり、国の内外の専門家の間でも被害発生の点につき十分な研究がなされていなかったなどの諸事情を勘案すれば、前述したところから明らかなように、社会通念上相当と認められる措置を講ずれば足りると考えられるのであり、この点については前述したとおり振動障害の発生を防止するため各種の措置が講じられてきたのである。チエンソー等の継続使用による振動障害の発生という事態はわが国においては過去に例がないため、その対策を検討するには原因究明のための科学的、医学的な調査研究が必要であり、その対策を樹立し、実施するには、右調査研究と相まって、作業体制、作業員の待遇その他の勤務環境、条件の整備、機械の改良等の各種の検討、試行を繰り返しながらある程度の期間をかけざるを得ないのであって、前記の措置が遅きに失しあるいは不十分であるとはいえない。例えば、チエンソー等の使用時間を一日二時間に短縮する措置は、昭和四四年に至ってはじめて実施されており、振動障害の発症を予見し得た時期から約四年を経過しているが、チエンソー等の使用時間と身体への影響の関係については当時科学的、医学的に解明がなされておらず、そのため林野庁はその調査研究等を各研究機関に委託していたものであり、使用時間の規制の基準及び規制のための所要措置についても、それらの調査研究の結果や多くの経験例を積み重ねるなどそれなりの資料と収集と根拠なくして安易に実施されるべきものでないことはいうまでもなく、更に、使用時間の規制が直接生産高に影響し、使用時間を短縮された作業員の賃金の低下を補償するための予算的措置を講じなければならないなど背後に複雑困難な諸事情があることをも併せ考えれば、右程度の期間の経過もやむをえなかったものというべきである。上告人らは、被上告人の義務違反として時間短縮措置の遅れをいうが、被害防止のためには時間短縮と並んで機械の改良が大きな要素をなしており、この点については、林野庁は昭和四〇年から直ちに改良の研究にとりかかり、これを逐次実施に移していったことは、前示のとおりである。

なお、チエンソー等の使用時間短縮が実施された昭和四四年以降振動障害の認定者数が減少しているが、それは、機械の改良、各種の調査研究を参考にした諸施策、健康診断の実施、職種換えや使用時間短縮等の措置が総合的に作用してその効果を発揮したものといえるのであって、減少の原因をチエンソー等の使用時間の短縮のみに求め、短縮に至る経過期間の長さのみを取り上げて、振動障害回避の注意義務違反とすることはできない。

林野庁は、全国的に配置されたチエンソー等を使用する多数の作業員の健康問題、その中にあって振動障害を訴える作業員の健康回復のための具体的措置、更にはそれらの作業員の給与待遇問題などに考慮を巡らし、他方において林野行政の適正円滑な遂行に配慮するなど、総合的な観点からその対応策を順次実現に移していったものであって、このような観点から事実関係の経過をみれば、林野庁としてはその置かれた諸条件のもとにおいて、結果回避のための努力を尽くしていたと認められるのである。したがって、被上告人において安全配慮義務に違反するところはなく、債務不履行による損害賠償責任はこれを否定せざるをえないのである。

三  以上のとおりであるから、原審の適法に確定した前記事実関係の下において、被上告人の安全配慮義務違反の債務不履行責任を否定した原審の判断は、結論において是認することができる。原判決に所論の違法はなく、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は前提を欠く。また、原判決は、所論引用の判例と抵触するものでもない。論旨は、採用することができない。

第二上告理由第三、第四について

所論チエンソー等による振動障害の病像、症状、上告人ら一二名の個別の健康障害に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認するに足り、その過程に所論の違法があるとはいえず、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は前提を欠く。また、原判決は、所論引用の判例と抵触するものでもない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するに帰するものであって、採用することができない。

第三上告理由第六の一について

上告人らの国家賠償法二条に基づく公の営造物の設置又は管理の瑕疵を理由とする損害賠償請求は、原審の適法に確定した前記事実関係のもとにおいては、前記第一に説示したところに徴し、理由がないというべきであるから、これを棄却した原審の判断は結論において是認することができ、所論引用の判例と抵触するものでもない。論旨は、採用することができない。

第四その余の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認するに足り、その過程に所論の違法があるとはいえず、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は前提を欠く。論旨は、採用することができない。

第五結論

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官奥野久之の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官奥野久之の反対意見は、次のとおりである。

私は、被上告人には安全配慮義務違反による損害賠償責任があるものと考える。その理由は、以下のとおりである。

一  いわゆる安全配慮義務の内容及び程度

労働関係に伴う使用者の責務として労働者に対する安全配慮義務が存することは、今日広く承認されているところであるが、特に作業機械の使用による職業病の場合について考えると、その機械は労務給付に必要なものとして労務を提供する作業員にその使用が強制され、当該作業員にとっては選択の自由のないものであるから、使用者としては、(1) 先ず新規の機械を導入するに当たっては、作業員の心身に障害を発生させるおそれの有無、程度及び安全使用基準についてあらかじめ調査、確認することを必要とし、(2) 導入後不幸にして作業員の心身に障害を生ぜしめることが判明し、もしくはこれを予見し得ることとなった場合には、その障害の内容、程度並びにその機械の有用性及び必要性の程度に応じ、その機械の使用を廃し、あるいはその機械の使用を一時休止もしくは制限するなど、とりあえず障害の続発ないし増悪を防止すべき措置を講じつつ、その障害の態様及び原因を究明して当該機械の改良、使用基準の改善を図り、障害発生の防止並びに障害の被害を受けた者の救済につき、有効適切な対策を講ずべき義務があるものといわなければならない。

この理は公務遂行の上においても同様であって、国等の安全配慮義務が公務遂行の基本的かつ不可欠の前提をなすことは、多数意見の引用する当裁判所の判決の判示するところである。特に、作業員に使用を命ずる作業機械に安全上の欠陥があった場合は、公の営造物の設置管理に瑕疵があった場合にも比肩すべきものであるから、国家賠償法二条一項のような無過失責任(最高裁昭和四二年(オ)第九二一号同四五年八月二〇日第一小法廷判決・民集二四巻九号一二六八頁参照)を認めることはできないとしても、それとの均衡上も極めて高度の責任を生ずるものというべきである。

原審は、労働に支障を生ずる程度以上の人身障害の発症が予見できる場合には機械の実用化を差し控えるべく、また、右程度の危険が発生した場合には危険を回避する義務があるというのであるが、障害が労働に支障を生ずる程度であるか否かは、それ自体極めて判別が困難であるばかりでなく、一般に職業病的疾患は、発症の初期には極く軽微なものであっても次第に蓄積、増悪して大事に至るものが多いのであるから、たまたま発症した時点において労働に支障を生ずる程度でなかったからといって、これを放置してよいということにはならない。よって、そのような不明確な基準を設けて安全配慮義務の内容ないし程度を事実上制限することは相当でないと思われる。

なお、公務遂行上安全配慮義務の不履行により、作業員の身体に障害を生ぜしめたときは、多くの場合に公務上の災害に該当し、災害補償が給付されることとなるが、その場合でも事業主体である国等は、災害補償によって補填されない損害、例えば精神的損害に対する慰謝料については損害賠償責任を免れないものである(国家公務員災害補償法五条、地方公務員災害補償法五八条参照)。

二  本件チエンソー等の導入について

原審の確定した事実関係によると、林野庁は、伐木造材作業等の生産性の向上及び重筋労働からの解放を図るため、昭和二八年「国有林野事業機械化促進要綱」によりチエンソーの試用導入を開始し、同三二年ころより次第に本格的に導入したのであるが、(1) これより先、同二二年にはすでに労働基準法施行規則三五条一一号により、業務上の疾病の一つとして、「さく岩機、鋲打機等」の使用により身体に著しい振動を与える業務による神経炎その他の疾病が指定されていたけれども、その補償事例は多くなく、(2) 右導入当時までには、わが国でチエンソー等エンジンによる回転振動工具の使用による振動障害を問題にした文献は見当たらず、(3) また導入に先立ち、同三一年三品忠男を米国及びカナダに派遣してチエンソーの現場作業を視察させたところでは、振動障害やレイノー現象等の訴えは聞かれなかった、(4) なお高知営林局管内においては同三四年一月全林野四国地方本部との間でチエンソーの実用化を合意しており、このような経過の後、林野庁は同三五年四月、伐木造材作業基準・チエンソー取扱要領を設けて耳栓の着用等を規定し、伐木造材作業を従来の手作業からチエンソーの使用に切り替え、また、ブッシュクリーナーについては同三五年ころから使用を開始し、翌三六年から本格的に導入するに至った。すなわち、チエンソー等は、さく岩機、鋲打機のような空気振動工具中の打撃振動工具とは違って、格別作業員の心身に障害を及ぼすことはないものと考え、特に安全性に関する調査研究を行わないまま、これを導入したのである。

しかし、採用されたチエンソーは米国製であり、給油最大重量が約一〇・五ないし一二キログラムあり、ブッシュクリーナーもこれと同様のものであったから、作業員の体格の違うわが国で、しかも一般に標高もかなり高くかつ急斜面の少なくない国有林で使用するのは、それだけでも身体に相当の負担がかかると思われる上、振動約一〇Gで、約一一〇ホン(耳栓を着用しても八〇ホン以上)の騒音を発する機械であったから、これを相当時間継続して使用すれば心身に障害を生ずるおそれがあることは、当然予測し得るところであったといわなければならない。そして、振動工具としての類型が異なるため振動の性質や程度に差異はあるとしても、「さく岩機、鋲打機等」の使用による障害がすでに業務上疾病に指定されていたことは前記のとおりであるから、林野庁としては、本来独自に調査研究してチエンソー等の安全性ないし振動許容基準を確認した上で導入すべきであったと思われ、この点において先ず安全配慮義務を欠いていたものとみることもできないではない。

しかしながらその当時は、国有林生産力増強計画が策定されてその緒についたばかりの時期に当たっていたところ、山林作業員は却ってむしろその数が減少しつつあった上、老齢化等により労働力が質的にも低下する傾向にあったため、伐木造材作業等の能率を上げ、かつ、同作業に従事する作業員をそれまでの重筋労働から少しでも解放することが急務であったので、チエンソー等はその打開策として導入されたのであり、前記のようにこれを早くから使用していた先進諸外国においては格別心身に障害を生ずるものとして問題にされたこともなく、また、この問題に関しては見るべき医学的知見もなく、なお高知営林局管内では全林野との間で導入について合意も成立していたのであるから、導入したこと自体につき安全配慮義務違反を問責することは相当でないというべきである。

もっとも、チエンソー等は前記のとおり、元来その使用態様いかんによっては作業員の心身に障害を生ぜしめるおそれのある機械であったのであるから、導入後はそのような事象の有無、態様等につき常に意を用いる必要があったことはいうまでもない。原審の確定したところによると、農林省林業試験場経営部作業研究室は、チエンソーの導入開始後間もない昭和三四年、チエンソーを操作する作業員が肉体的負担のほかに、神経感覚的負荷の影響を受けるであろうことを予見して、振動・騒音による疲労症候等の実態調査を行い、その第三表には、かねて三浦豊彦が行った労働省委託研究の結果等を参考にして、「しびれ」「蒼白」「しびれと蒼白」「関節痛」「筋肉痛」の五症状を自覚症状項目に設定、掲記していたというのであるが、当然の措置であったとはいえ、右の意味で極めて高く評価すべき事柄であったといわなければならない。

三  チエンソー等の使用による振動障害が職業病と認められるまでの経緯について

原審の確定した事実関係によると、(1) 前記アンケート調査の結果の一部は昭和三四年中より雑誌「林業機械化情報」に連載され、その中で辻隆道はしびれ、蒼白現象につき、回答の内訳、発症する部位及び発症の由来を説明するとともに、機械本体の改良はもちろんのこと、それ以前に騒音、振動の身体に及ぼす影響、障害の現れ方、進行程度を確実に調査して作業方式、作業者の交替制等の対策を立てる必要があることなどを論じた、(2) 翌三五年ころ以降、振動障害に関する医学的知見が相当数発表されたが、そのうち松藤元は、同三六年、局所振動工具の使用者の振動による疾患は、欧米では一般に局所的疾患とされており、全身に影響が及んだ結果として症状が身体の一部に特にはっきりと現れる全身疾患であるとは考えられていないが、ソ連の学者の中には全身性の疾患であるとする者がいるとしてガラニナの文献を紹介し、入手不能であるが、良書であるので和訳が望まれるとした、(3) 同年一一月には全林野長野地方本部が、作業員に眼、耳、心臓の病気や神経痛、関節痛等の影響が現れていることを指摘して、長野営林局に対し調査、措置要求をするに至った、(4) 同三七年一一月には米田幸武は「林業機械概論」において、チエンソー等による振動障害を論じた、(5) 長野営林局は同年一二月「林業機械化に伴う職業病的傾向に対する調査」を行ったほか、これとは別に同三八年ころまでに「機械又は除草剤等の使用により異常を訴えた者の調査」を実施した。(6) 同三八年一一月林野庁は、労働科学研究所に委嘱して、各種林業機械作業従事者に対する全国一斉アンケート調査を実施した結果、翌三九年夏ころまでに、チエンソー等の使用者に相当数のレイノー現象や指のしびれ症状が発現していることが判明した、(7) 同四〇年三月NHKテレビが「白ろうの指」と題してチエンソー使用者の手指の蒼白発作について全国に放映したところから、「白蝋病」として一躍社会の注目を集め、(8) 名古屋大学の山田信也らは、全林野の依頼による現地調査の結果に基づき、同年五月日本産業衛生学会でチエンソー使用による蒼白現象について発表し、(9) 林野庁でも同年三月ころから五月ころまでの間臨時健康診断を実施し、同年四月人事院との間でレイノー現象の発症者につき個別的協議により公務上疾患の認定を受けることができる旨の協定を締結し、その結果高知営林局管内でも一五名が公務上疾患と認定されることとなり、(10) 労働省は沼田営林署管内で白指発作を調査した結果、同年五月二八日付労働基準局長通達により、労働基準法施行規則三五条一一号の「さく岩機、鋲打機等」にチエンソーを含めて取り扱うこととし、(11) 人事院もまた、振動障害補償研究会の答申を受けて、同四一年七月人事院規則一六―〇(職員の災害補償)、一〇条別表第一の番号四四を改正し、「チエンソー等の身体に局部的振動を与える機械を使用する公務」による「レイノー現象」等の疾患を追加するに至った。

原審は右の経過につき、林野庁は、チエンソーの導入後昭和三六年ころまでは、作業員の身体に何らかの障害が生ずることのある可能性を全く予見できなかったと認めることはできないが、障害の性質、程度、どういう人に発症しやすいか等まで予見できたとは認められないから、この当時特別の配慮措置をしなかったこと等を安全配慮義務の不履行であるとすることはできないという。しかし、安全配慮義務の具体的内容が、心身に及ぼす影響に対する認識ないし予見可能性の内容及び程度に応じて決せられるべきものであることはいうまでもないが、右のように障害の性質、程度等についてまで予見可能でなければ一切の安全配慮義務が生じないとするのは相当でないから、原審の右の考え方には賛成できない。そして右の事実関係からすれば、同三五、六年ころには現実に相当数の作業員にチエンソーの使用による初期的症状がみられたものと考えられ、すでにアンケート調査も行われていたのであるから、現場作業を直接管理している林野庁は、そのころには、チエンソー等の使用によりある程度の確率をもって蒼白現象その他の障害が発生することにつき、十分予見可能であったものといわなければならない。

もっとも、前記のような導入の契機となった事情をも考えると、右の程度の予見により直ちにチエンソー等の使用を一般に廃止もしくは停止すべき安全配慮義務が生じたとすることは相当でなく、対応策を策定する前提として、先ず発症の確率、病像等についての調査研究を進めることが当面の最重要課題であったと思われ、林野庁もこのころから諸種のアンケート調査を行っていることは前記のとおりである。しかしながらチエンソー等は、元来これを使用する態様いかんによっては作業員の心身に障害を及ぼすおそれのある機械であったのであるから、その導入使用の結果、たとえ事例は少なくてもそのおそれが現実のものとなった以上、単に調査研究を進めあるいは症状を訴えた者を管理医に受診させるだけでは十分とはいえない。前記のとおりすでに昭和三四年には農林省の一部職員が発症の状況等についての説明とともに、対応策にも触れた論文を雑誌に発表していたのであり、同三六年一一月には全林野長野地方本部から長野営林局に対してではあるが、具体的症状を指摘した措置要求も出され、また同三七年には振動障害に論及した「林業機械概論」の出版もあったのであるから、とりあえずある範囲、程度の使用制限を行いつつ経過を観察するなど、障害の発生を予防、軽減するための具体的方策についても直ちに立案、検討に着手すべきであったと考えられる。ところが原審の確定したところによると、同三四年に行われたアンケート調査の結果は内部資料にとどめられて公表されず、その調査結果に基づく右論文や著書も林野庁等の注目を惹くに至らなかったというのであるが、そのこと自体この当時の農林省ないし林野庁のこの種問題に対する取組の姿勢を最も有力に物語るものであり、右のような応急の具体的方策は全く立案も検討も行われなかったのである。

もとより作業員一般を対象とする使用頻度、継続使用時間、連続作業日数等にわたる使用制限については、一面障害発生の確率、発生する障害の内容、程度等の解明結果いかんにかかわることでもあり、他面作業員の労働条件とも関係するところがあるので、その具体的方策の策定並びにその実施のための条件整備に若干の時日を要することは当然であるが、その後次第に職業病的性格が明らかになり、特に使用者の立場にある林野庁においてはいち早くその状況を察知できた筈であるから、遅くとも昭和三八年ころまでには、機械の改良、使用基準の見直しとともに時間制限を含む使用制限に関する具体的方策が策定され、実施に移されてしかるべきであったものと思われる。

しかるに林野庁は、昭和四〇年までに実態調査以外格別の対策を講ずることなく推移し、原審の確定した事実関係によると、(1) 同四〇年にはチエンソー作業員の臨時健康診断を行い、人事院との協定によりレイノー現象発症者が公務上疾患の認定を受け得る途を拓き、(2) 同年ころ以降更に実態調査を行い、(3) 同四一年には管理医体制等の充実を図るとともに、作業基準の改善等を行い、(4) 機械の改良については同四〇年ころから研究に着手し、高知営林局管内でも同年末ころ防振ハンドルを実用化し、同四五年三月までにチエンソー等をすべて防振型(振動約三G)の中小型機に切り替え、(5) 同四四年には通勤バスを導入する等寒冷期対策を実施するなど、徐々に対応策を強化拡充し、(6) 使用実働時間の制限については、同四〇年一一月全林野から具体的要求があった後も医学的知見の不足等を理由として拒否を続けたが、同四四年四月の「メモ確認」及び同年一二月の「振動障害に関する協定」締結により一転して実施するに至り、これらの対策の結果として同年度以降振動障害の認定患者数の減少をみることとなったのである。

四  被上告人の安全配慮義務違反について

以上を要約すると、被上告人は、昭和三二年ころ以降国有林野事業の生産性の向上と、作業員の重筋労働からの解放を目的として、振動工具の一種であるチエンソー等を、その安全性ないし安全使用基準についてあらかじめ調査研究しないままこれを導入したのであるから、導入後チエンソー等の使用により作業員の心身に障害の発生することが予見可能となったときは、速やかにその実態を調査して障害の発生を防止すべき方策を策定する必要があることはいうまでもないが、それらの調査研究の結果が判明し、もしくは対策が確立する以前においても、チエンソー等の使用を継続する以上は、時間制限を含む使用制限により、とりあえず発症を抑止しもしくは軽減する措置を講ずべき安全配慮義務があったものと解せられるところ、国有林野事業の管理運営に直接携わる林野庁においては、遅くとも同三五、六年ころまでには上記障害の発生を予見し得る状況にあり、したがって遅くとも同三八年ころまでには機械の改良に着手するほか、応急の対策としてチエンソー等の使用制限の方策を策定、実施すべきであったにもかかわらず、安全配慮義務に違反して同四〇年ころまでは実態調査以外にみるべき対応を示さず、殊に最も簡便に実施することができ、しかも最も直截的な効果が期待できる使用実働時間の制限に至っては同四四年までこれを実施しようとしなかったのである。

そして、原審の確定したところによると、上告人ら一二名(多数意見の定義するところによる。)のうち亡大崎がブッシュクリーナーの使用を開始したのは昭和三九年六月であるが、その余の者はいずれも同三四年五月から同三六年八月までにチエンソーの使用を開始し、最終的に使用を終了したのは、亡大崎が同四四年九月、亡岡本が同三八年一〇月、その余の一〇名は同四〇年ないし同四五年であり、上告人ら一二名はいずれも同三七年一一月ころから同四四年三月ころまでに最初の発症を訴え、そして上告人下元は前記人事院との個別協議により、その余の者はいずれも前記人事院規則の改正後退職の前後に、公務上疾患の認定を受け、その後災害補償を受給している。よって、上告人ら一二名の本件振動障害については、被上告人の安全配慮義務違反がその発症又は増悪を招来したものと認めることができる。

多数意見は、先ず昭和四〇年ころまではチエンソー等の使用による振動障害の発生につき被上告人には予見可能性がなかったとし、次いで振動障害の発生が予見可能となった後においても、チエンソー等が社会的に有用であってその使用を継続する必要がある以上、障害の発生を防止するため社会通念上相当と認められる適切妥当な措置を講ずれば足るものであるところ、その当時なお科学的、あるいは医学的な調査研究が十分でなかったこと等に徴し、林野庁のとった措置は振動障害の結果を回避するための相当な措置であって、これ以上の措置をとることを求めるのは難きを強いるものであるとし、使用時間の制限を同四四年まで行わなかったことも遅きに失したものとはいえず、その他林野庁としては、その置かれた諸条件のもとにおいて結果回避の努力を尽くしたものであるから、何ら安全配慮義務に欠けるところはなかったというのである。

しかし、いかに社会的に有用な機械であっても、これを使用する作業員の心身に及ぼす影響を経視してよいわけはなく、右の考え方には、チエンソー等が元々使用態様いかんによっては作業員の心身に障害を及ぼす可能性のある振動工具の一種であったのであるから、これを作業員に使用させる以上、障害を及ぼすことのないよう常に注意を怠らないことが必要であったこと、並びに、直接事業の執行に当たる林野庁としては、作業機械のことは別にしても、作業の態様が作業員の健康状態に与える影響については不断に留意する必要があり、また、他の何人よりも早期にかつ的確にその状況を把握し得る立場にあったこと、の視点が欠落しているように思われる。そして、前記のように障害の発生が予見可能となったと考えられることから国有林野の木材供給量が漸増し、昭和三九年度においてそのピークに達して国内産の三四%を占めるに至ったと認められることは注目に値するところであり、これが上告人ら一二名を含む振動障害被害者の犠牲において達成されたものでなければ幸いである。

五  結論

以上のとおり、私は、被上告人は安全配慮義務に違反し、よって上告人らに対し損害賠償義務を負うべきものと考えるので、その点で原審は法令の解釈適用を誤ったものであり、その違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、その限りにおいて上告論旨は理由がある。よって、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして本件は、各上告人の損害につき更に審理を尽くす必要があるので、これを原審に差し戻すべきものと思料する。

(裁判官 草場良八 藤島昭 香川保一 奥野久之 中島敏次郎)

当事者目録 <略>

上告代理人佐藤義彌、同駿河哲男、同竹沢哲夫、同小池貞夫、同藤原周、同藤原充子の上告理由

目  次

第一 はじめに

第二 原判決の「安全配置(安全保持、安全確保等を含む)義務」に関する憲法について

一 「安全配慮義務」に関する法令の違背または法解釈、適用の誤りについて

(一) まえがき

(二) 憲法等の関係法規各違反について

(1) 憲法一一、一三、二五、一四条各違反

(2) 憲法二七条、労働基準法関係法規各違反

(3) 憲法一七条、国家賠償法及び民法関係法規違反

(4) 憲法七六条三項違反

(三) 最高裁判所判例との抵触(法解釈、適用の誤り、民法一条二項)

二 「安全配慮義務」違反の有無に関する事実認定についての法令違背また法解釈、適用の誤りについて

(一) 林野庁のチェンソー等の導入、使用による人身障害の「予見」に関して

(1) 「何らかの障害」「を全く予見できなかったと認めることはできない」また「振動障害」「を予見できなかったとはいえない」としたことについて

1 「予見していた」ことは明らかである

2 「林業試験場の研究結果に注目しなかった」について

3 「予見していたこと」は、より一層明らかである

(2) 「当時の知見、経験からみて、身体に振動障害が発生することはないと思って」チェンソー等を導入し、使用させたことについて

(3) 右(1)前段の「何らかの障害」「予見」に関し「安全配慮義務の不履行がない」としたことについて

1 「振動障害」発生の可能性まで「予見していた」ことについて

2 原判決のいう諸事由は左の通りすべて失当、違法のものである

イ 「感覚上弱い」との点

ロ 「振動障害」の「補償事例」が少いとの点

ハ 内外「医学界」の「関心」が低いの点

ニ 「労働能力の減少例」「転職の事例報告」が少いの点及び「凶器」ではないの点

ホ 「振動障害」「発症までには相当な年数を要する」等の点

ヘ 「全林野」等も「振動障害」を「予見」しなかったの点

ト 「当時の知見」では、「振動障害」の仔細まで「予見」できなかったの点

(4) 右(1)後段の「振動障害」の「予見」に関し、「違法性」がないとしたことについて

(二) 林野庁の振動障害「対策」について

(1) チェンソー等導入以降、昭和四〇年二月名古屋大学山田信也の「発表」までの間について

(2) 山田信也の「発表」後、昭和四一年七月「人事院規則」「改定」までの間について

(3) 昭和四一年七月以降について

1 林野庁が「相応の施策を講じてきた」とはいえない

2 林野庁の「相応の施策」について

イ 「いわゆる自律作業」の点

ロ 「科学的根拠や資料」の点

ハ 「医学的にも明らかでなく、究明する必要がある」の点

ニ 「わが国の主要な労働衛生専門医学者」の点

ホ 「四・二六確認」と「振動障害に関する協定」の点

ヘ 「外国」の「制限事例」の点

ト 「防振」の「開発と実用化」の点

チ 「振動障害の調査研究」の点

リ 「管理医」の点

ヌ 「作業管理の強化と作業環境の整備」の点

ル 「治療に関する施策」の点

ヲ 「職種替」の点

ワ 「補償」の点

(三) チェンソー等の「使用中止」「時間規制」に関して

(1) まえがき

(2) 原判決のいう諸事由は、左記1のイ乃至ハ及び2のイ乃至ハのとおりすべて失当、違法である

1 「予見」に関する部分について

2 右「予見」に関する部分を除く部分について

3 上告人下元一作ら三名に関するものについて

第三 原判決のチェンソー等による振動障害の「病像」「症状」に関する事実認定についての法令違背について

一 「病像」について

(一) 乙鑑定採用と甲鑑定不採用について

(1) 「全身症状を招くとは考えられない」の点

(2) 局所障害「とみるのが相当である」の点

(二) 「全身障害説をとることはでき」ないについて

(三) 人事院規則について

(四) その他

二 「症状」を重症でないとしたことについて

(一) 乙鑑定採用と甲鑑定採用について

(二) 上告人らの振動障害症状について

(三) 上告人らの原審検証申出について

第四 原判決の上告人(一審原告一二名)ら個別の健康障害に関する事実認定についての法令違背について

一 まえがき

二 右一項(一)(二)を前置いて

(一) 上告人松本勇関係

(二) 同田辺重美関係

(三) 同岩崎松吉関係

(四) 同山中鹿之助関係

(五) 同下元一作関係

(六) 亡安井計佐治関係

(七) 亡岡本吉五郎関係

(八) 上告人加納勲関係

(九) 亡三笠寅蔵関係

(一〇) 上告人下村博関係

(一一) 同浜崎恒見関係

(一二) 亡大崎憲太郎関係

三 あとがき

第五 原判決の難聴に関する違法について

第六 原判決の「国家賠償法二条、民法七一五条による責任」に関する違法について

一 国家賠償法二条による責任の点について

二 国家賠償法一条、民法七一五条による責任の点について

第七 結び

第一はじめに

原判決は以下の述べるとおり、企業者が労働者たる人間に対し、人間本来の生存そのものにかかわるその生体につき、或程度までは危害を加えることを公然是認した違法極まわりないものである。

原判決の最大の特徴は、その理由全部が、後記の特別不公正な思想、評論を基本的支柱として構築されているものとみられることから、上告理由は、おのずから判決理由の全般にわたる多岐のものとならざるを得ないが、その最重点は、原判決が、右の思想、評論に基づいて考案、導出したものとみられる本件の被上告人の上告人に対する「安全配慮義務」内容が、従来の裁判例には全くみられなかった特異なものであり、その義務違反が被上告人にないのでその債務不履行はないとして、上告人の一審勝訴判決を逆転したものであるだけに、今日、その是非をめぐって国民的関心を大きく呼んでおり、このような原判決の正否について、最終審である最高裁判所の審判の成り行きが注目されている。

原判決が、人間の尊厳を侵す違法且つ不公正極まりないものであることは明白であるので、弁論公開のうえ十分審理を尽したうえで判決されるよう希求して、この上告理由書を提出するものである。

第二原判決の「安全配慮(安全保持、安全確保を含む)義務」に関する違法について

一 「安全配慮義務」に関する法令の違背または法解釈、適用の誤りについて

(一) まえがき

(1) 原判決は「控訴人国(被上告人)は、その雇用している被控訴人(上告人)ら一二名を含む公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理または公務員が上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負担しているものと解すべきであり、右の安全配慮義務の具体的内容は当該公務員の職種、地位及び安全配慮が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきものである(最高裁昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決、民集二九巻二号一四三頁)から、本件の場合、林野庁がその雇用する伐木造材手、植林手にチュンソー等を初めて使用させるにあたり、その機械使用に基因して、労働に支障を生ずる程度以上の人身障害が発症することが予見できた場合には、その実用化を差し控え、右人身障害を抑止しうる方法が研究開発されるのを待って、実用化に着手して、その危険を回避すべき義務があるが、チュンソー使用業務につき右程度の危険を通常予想し得ない場合には、その危険回避措置をとる必要はないと解すべきであり、またチェンソー等の使用によって、右程度の危険が現実に発生した場合には、国は当然にその危険を回避する措置をとらなければならず、その措置の履行に関して不完全なものがある場合には、国に帰責事由がないと認められる特段の事情のある場合を除き、債務不履行の責任を免れないものと解するのが相当である。」との「安全配慮(安全保持)義務」に関する解釈(この解釈を以下単に「解釈論」と略称する)を示し、被上告人国には右「解釈論」上の安全配慮義務違反がないから、債務不履行の責任はないとし、上告人ら一審勝訴判決を逆転する上告人ら請求棄却の敗訴判決を言渡した。

1 右「解釈論」によると、被上告人は「労働に支障を生ずる程度」にいたらぬ上告人ら(公務員)の人身障害について、安全配慮義務が全くなく、上告人ら(公務員)に右程度の人身障害を加えても債務不履行の責任を問われることが一切ない。また、「労働に支障を生ずる程度以上の人身障害」であっても、被上告人ら(公務員)に安全配慮義務を負うのは右「解釈論」でいう「場合」に限られるとするものであり、その「場合」というのが容易には分かりにくい、ややこしい内容であるが、このことはともかくも、その内容は一審判決が判示した「安全配慮義務」内容とは大きく異なっており、一審判決のものと比べて、被上告人が、上告人ら(公務員)に対し安全配慮義務を負う場合を大幅に限縮、軽減し、その義務違反のない限り被上告人は債務不履行の責任がないとして、その責任ある場合を著しく縮小するもので、被上告人にとってまことに便利な内容になり変っている。

2 右「解釈論」は、右のように被上告人が上告人ら(公務員)に対し、「労働に支障を生ずる程度」までの人身障害を加えることを是認し、また、右程度以上の人身障害についても、そういう場合でない限り安全配慮義務を負うことはなく、その義務違反がなければ債務不履行の責任はないとするものであるが、このように、こといやしくも人間本来の生存そのものにかかわるその生体に障害を加えるについては、国民(臣民)の生命、身体、健康が無視または軽視された戦前ならいざ知らず、その反省の上に立って制定された日本国憲法が、国民の基本的人権保障の各規定を設置する等している今日においては、およそ、他人に対し「人身障害」を加える場合は、その障害がたとえ些細なものであっても、また、その障害を与えた者が何者であれ、一般に違法として許容されず、その障害については民事的に精神的慰謝料を含む法定の損害賠償がなされるべきものであり、その障害を加える行為を合法として、その賠償を免れるには、その加害を是認しうる正当な法理を要するものと解するのが道理である。

3 ところで、右「解釈論」は「安全配慮義務の具体的内容は当該公務員の職種、地位及び安全配慮が問題となる当該具体的状況等によって異なるべき」との前記最高裁判決の判示を引用しており、この判示が右「解釈論」を考案、導出した根拠であるがの如き口吻であるが、これは、その判示を曲解または誤解したものであり、右最高裁判例と牴触するものであること後記のとおりであるから、右判示をもって右「解釈論」を正当な法理とする根拠ということはできない。

(2) 然らば、右「解釈論」は、これを正当な法理とする根拠が原判決の判文上他に示されていない限り、恣意的なものとみるほかはなく、法理というに値いしないものというべきところ、原判決は三―四参において述べる左記1の所論をもってその根拠としているものと認められ、これ以外にその根拠らしい特段のものは見当らない。

1 それは、「産業革命以来この世の中には高速度の交通機関をはじめとして各種の機械が次々と生れそれが人間の労働を軽減し生活を便利にし生活水準の向上に役立ってきたことは紛れもない事実である反面、永年タイプライターやレジスターを打っていると頸肩腕症候群を発症させることがあるように、高松誠らが甲鑑定の中で紹介している各種の職業病が発生することも事実であるが、こうした機械を数年にわたって使用した後に発生した重症でない職業病について直ちに企業者に債務不履行の責任があるとしたら、長期的にみれば機械文明の発達による人間生活の便利さの向上を阻み特にわが国のように各種の機械による産業の発展で生活せねばならぬ国においては国民生活の維持向上を逆行さすもので合理的であるとはいえない。それ故にこそ一般労働者をはじめ国家、地方の各公務員に至るまで職業病に対する損害補償のため無過失責任による労働者災害補償保険、公務員災害補償法等による労働災害補償制度が整えられ、それによって労働者が被った損害を補填しているとみられるからである。」というものである。この所論は、今日世上における一個の機械文明評論ともいうべきものであること後記のとおりである。(右所論を以下単に「評論」と略称する)。

2 右「評論」は「機械を数年にわたって使用した後に発生した重症でない職業病」について、これを「機械文明の発達による人間生活の便利さの向上」「わが国のように各種の機械による産業の発展で生活せねばならぬ国においては国民生活の維持向上」なる名の下に、やむを得ないこととして、企業者に「債務不履行の責任」は負わせないことにすべきものとし、その論拠をあげている。

この「評論」もまた右「解釈論」も共に、前者は「機械を数年にわたって使用した後に発生した重症でない職業病」、また後者は「労働に支障を生ずる程度以上の人身障害」という具合に一応文面上の限定はするものの、両者のいずれも、一審判決と対比し、ともかくも、企業者が債務不履行の責任を負う場合を著しく縮小することを是とし、人間の生体よりも企業者の便利を配慮した内容のものである点において全く共通のものである。

してみれば、右両者は一連同根のものであり、右「解釈論」は右「評論」を論拠として考案、導出されたものと認めざるを得ないところ、原判決は、右「解釈論」に則し判決理由の各所論が展開され、上告人ら敗訴の結論に至っているのであるから、原判決理由は、右「解釈論」をも含めて、その全部が右「評論」を基本的支柱として構築されているものといわざるを得ない。

そうとすれば、右「解釈論」を考案、導出する論拠となっている右「評論」が、右「解釈論」を正当な法理として是認しうる合理性あるものと認め得ない場合は、原判決は、その根底から覆り、全面崩壊を免れ得ない運命にある。

(3) そこで、右「評論」が右「解釈論」を正当な法理として是認しうる合理性あるものか否かの問題について考察する。

1 右「評論」の中に認められる法的な文言としては、「労働災害補償制度」に関するものだけである。それは「労働災害補償制度が整えられ、それによって労働者が被った損害を補填しているとみられるから」「企業者に債務不履行の責任」があるとすべきではないというのである。

しかし、わが国における「労働災害補償制度」は右「評論」やまた右「解釈論」に副う趣意のものとして設けられているものではなく、企業者の債務不履行の責任の有無如何にかかわらず、これとは無関係に所定の範囲の補償支給が行われることになっており、その支給の中には、企業者が債務不履行の責任を負う場合に損害賠償として支払わなければならない精神的慰謝料が明らかに含まれていない(最高裁判例昭和三七年四月二六日、民集一六巻四号九七五頁。最高裁判例昭和四一年一二月一日、民集二〇巻一〇号二〇一七頁)。

国家公務員災害補償法はその五条において、労働基準法はその八四条において、また労働者災害補償保険法はその六七条において、夫々記す内容の補償と損害賠償との調整規定が設けられているのであり、右各補償関係法のいずれにも、国また企業者の債務不履行の責任を前記のように縮小する右「解釈論」を受容する規定は全く存しないのである。

このように、わが国現行の法制においては、労働災害に関する債務不履行の責任に基づく損害賠償の法律関係が生じた場合、その後に、その補償関係をどうするかという道筋となっており、これとは逆に補償制度があることから、企業者の債務不履行の責任の有無を決定或はその責任を負う場合を縮小してもよいという具合にはなっていない。

従って、右「評論」のいう「労働災害補償制度」が「整えられ」ているということは、企業者の債務不履行の責任の有無を決定し、或はその責任を負う場合を縮小することを是とする法律上の事由には全くなり得ないのである。

してみれば、原判決の右「評論」をもって原判決の右「解釈論」を正当な法理として是認しうる有意なものとすることはできない(なお、右「評論」は後記のとおり憲法違反というべきものであるから立法論としても容認される余地はない)。

2 右述のところから、右「評論」は法律論というよりは、むしろ原審裁判官の「機械文明評論」ともいうべきものであるにすぎず、そのいう「人間生活の便利さの向上」「産業の発展」「国民生活の維持向上」なる名の下に、「機械文明の発達」また「各種の機械による産業の発展」の過程において生じた、そのいう或程度の労働災害については企業者の債務不履行の責任がないとするのが是であるとの単なる思想を表明したにとどまるものというほかはない。

しかも、それは世上、各種各様ある思想、評論のうちの、企業者側の立場に立つ一つのものであるにしかすぎず、まことに不公正なものであり、このようなものをもって右「解釈論」を正当な法理として是認しうる根拠とすることは到底できない。

すなわち、右「評論」は「機械文明の発達による人間生活の便利さの向上」とか「わが国のように各種の機械による産業の発展で生活せねばならぬ国においては国民生活の維持向上」の過程において、労働者の生体に生じた或程度の障害について、その発生の予防に関する企業者側の配慮のことについては、これを全く不必要として棚上げするものであり、このことを全く捨象するのである。要するに、企業者は労働者の生体に生ずる或程度の障害ごときにいちいちかまってはいられないので、その程度の障害についてはやむを得なかった犠牲とみて、その補償として「労働災害補償制度」による補償金の支給だけで十分であり、「労働災害補償制度」はその場合のためのものとして整えられているものだというのである。しかし、我国現行の「労働災害補償制度」の仕組みが、右「評論」のいうようなものでないことは前記のところであり、また、右「評論」は労働者もまた右「評論」にいう「人間」また「国民」の一員であることを無視または看過している。

のみならず、元来被上告人国の企業たる林野庁または企業者は、その営利を目的としてコストダウン等のために生産性向上、合理化を図り、(新しい)機械の導入、また「機械の発達」を追求するのであり、企業者が、その追求をするのは専ら営利のためである。この追求により自らの利益が得られるのでない限り、企業者はこのことをしないのである。そうしてみれば、右「評論」のいう「人間生活の便利さの向上」また「産業の発展」「国民生活の維持向上」なるものは、企業者側が営利の目的をもってする右機械の導入等の追求の結果として齎らされるものであるにすぎず、この論理は国の機関たる林野庁の場合においてもその基本において変りはない。

機械導入等により労働者が重筋労働から解放される場合があるとしても、そのこともまた、企業者の営利目的からする右追求の結果として齎らされるものにすぎない。

しかも、そういう「人間生活の便利さの向上」また「産業の発展」「国民生活の向上」なるものは、ただ単に、ひとり企業者の右機械導入等の追求のみにより得られるものではなく、その追求により導入された機械を使用する労働者の労働が必要不可欠であり、この労働者の協力なくしては、そのいう「人間生活の便利さの向上」また「産業の発展」「国民生活の向上」もあり得ないのである。

右の労働者の協働の過程において、導入の機械使用が企業者の利益をあげうるものであれば、企業者の利益取得が継続する限り企業者はこれを採用し、利益の増大のため一意その使用による作業を継続するのであり、その使用継続に専念すればする程利益は増大することになる。その反面、その機械を使用する労働者は、その機械の使用が継続されればされる程、その使用による生体障害の出現また拡大、増悪の可能性が強くなるのである。

このように、右「評論」のいう如き場合の職業病に限らず、一般に労働者の労災、職業病は、一方の企業者の利益増大との関係において生じ、この企業の利益増大は労働者の右協力により、またこれに伴い生ずる労災、職業病をふみ台として獲得されるものであるのに、これらのことを右「評論」は全くみないで、いきなり直ちに労働者の右協力と労災、職業病の犠牲なしにはあり得ない「人間生活の便利さの向上」また「産業の発展」「国民生活の維持向上」なるものを企業者の債務不履行の責任の有無のことと結びつけるのである。そしてそのいう向上の美名の下に、労働者の生体の或程度までの障害については、その予防に関する企業者側の配慮を全く不要として、その債務不履行の責任ある場合を前記のように著しく縮小し、そのうえ、その障害の補償については、企業者側が直接負担することは全くなく、すべて「労働災害補償制度」の補償支給金で賄えばよいとするものである。これは、本来企業者がすべて負担すべき筈の法定の損害賠償金額の一部(精神的慰謝料等)を労働者にしわよせして、支払わないですませようとするものであるのみならず、その補償については、そのすべてを企業者の腹を痛めることなしに右補償制度の補償金支給をもって賄おうとする虫のいい話であり、まさに企業者に好都合、便利な、企業者の論理そのものといわなければならない。もし、右「評論」が裁判所において是認されるならば、そのいう「向上」「発展」の美名にかくれての企業者の生産性向上、合理化はより一層助長されるであろうし、このことにより、今後労働者の生体障害がより一層拡大、深化する危険を大きくはらむことは疑問の余地がない。本件の場合、企業者は国の機関である林野庁であるが、国家公務員災害補償法によって支給される補償金は国費ということになり、その無駄使いは許されない。そのために、林野庁は労働者の主体にいささかの障害も生じないよう、その防止が可能である限り万全の配慮をなすべきのものとするのが「肝要」であり、このことによって、本件のような後日の無用の国費の支出をしないですむことになるのである。本件の場合は、林野庁が右の配慮を怠ったためにそのつけがまわって、後日の相当額の補償金出費の事態を招いているのであり、今日の振動障害者に対する補償金の支出は、あげて林野庁の責任である。

これを右「評論」のように、右「肝要」の配慮のことを捨象して、そのいう職業病について最初から右配慮の必要がなく、労働者の生体の或程度までの障害はこれをやむを得ないこととし、また、その障害に対しては国家公務員災害補償法の補償金支給をもって片付けるとするのは、国民に対する関係においても、林野庁が国費を無駄使いすべきでない義務を遵守する必要ないことを容認する以外の何ものでもなく、国民的観点からみても到底許容し得ないところである。

企業庁において、右の万全の配慮を尽し、それでもやむなく生ずる労災、職業病については「人間生活の便利さの向上」「国民生活維持向上」に関与した貴重な犠牲であるから、これについては企業庁が無過失でも補償法による国費の支給をもって補償するというのが、無用に国費の支出をしない道であり、この道こそが企業庁の国民に対する責務であると同時に、公務員労働者に対する義務というべきものであろう。このことは、林野庁自らもすでに昭和三二年度の甲一三三号証の資料において「むすび」のところで「一般に機械化と云う場合、生産性を上げることのみに気を取られ易く、人間性が軽視され勝ちであるが、これは大局的にみた場合決して得ではなく却って損を来すものである」と述べているところではないか。しかも、これに続いて右資料は「機械重点主義ではなく人間が優先しなければならないと考える」とまで述べているのである。

また、右「評論」はそのいう場合に限り、企業者に債務不履行の責任はないとし、当初はこのことを「やむをえない」との一見控え目のものにみえるとしても、これが後には次第にこのことを「当然視」する風潮を醸成し、更には、これが拡大されて大きな国民的損失を招く原因となる危険性が極めて強く、右「評論」のいうが如き「長期的にみ」ても、そのいう「発達」また「発展」による「人間生活の便利さの向上」また「国民生活の維持向上」を「阻み」また「逆行さす」ことになるものと考えるのは失当である。

わが国が太平洋戦争に突入する前年の昭和一五年二月二日、第七五議会において、斉藤隆夫は、わが国議会における歴史的演説といわれている「支那事変処理方針への質問演説」を行い、「唯徒に聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際主義、曰く道義外交、曰く共存、共栄、曰く世界の平和の如き雲を掴むような文字を列べ」と述べたが、その後二年もたたぬうちに太平洋戦争となり、国(臣)民の生命、身体、健康は益々閑却されてゆき、甚大な犠牲を払わされるに至ったことを想起すべきである。戦後の日本国憲法はこうしたことの深い反省のうえに制定され、国民の基本的人権を強大に保障しているものであり、人間の尊厳を重視し、これを国の発展向上の基礎としているのである。

3 以上の次第から明らかなように、右「評論」は人間の尊厳を無視または軽視して、企業者の便利を優先させた本末転倒の思想または所論であり、また不公正極まわりないものといわなければならない。

右「評論」に依拠する右「解釈論」についても全く同断である。

(4) のみならず、右「解釈論」また「評論」の各文章の中の「労働に支障を生ずる程度以上の人身障害」また「重症でない職業病」なる文言は、一体どの程度のものをもって、そのいう「労働に支障を生ずる程度以上」「の人身障害」と判定し、またそのいう「重症でない」「職業病」というのか、つまり一体どのような具体的基準をもって、そのいう「労働に支障を生ずる程度以上」或はその「程度」ではない、また、そのいう「重症でない」或は「重症」と区分するのか、まことに曖昧、不明確である。蓋し、右文言は、いずれもその文意を、時と場合により、口先だけでいかようにも「労働に支障を生ずる程度以上」いやその「程度」ではない、また「重症でない」いや「重症」と際限なく言いまわすことができるのであって、右のような曖昧、不明確また空漢たる文言による限定は、限定したことにはならず、文意が恣意的に決められる危険性が極めて大きいといわなければならない。

また、右「評論」は「永年タイプライターやレジスター」による「頸肩腕症候群」についてこれを「重症でない職業病」の例として引用するのであるが、本件訴訟においては、「永年タイプライターやレジスター」による「職業病」の性質・病像についてその審究はなされていないのである。にも拘わらず、原判決がこれを引用して右のようにいうのは、まことに軽率であり、頷けない。のみならず、チエンソー等による振動障害の場合は右引用の例に比し、その発生の高率、大量において到底比較にならないものがあること公知である。

また、右「評論」に基づく「右解釈論」は「労働に支障を生ずる程度」に至らぬ人身障害が、そのいう「労働に支障を生ずる程度以上の人身障害」に進展する危険を内在しているのであり、このことが全く考慮されていない机上のものである。

凡そ、労働災害の予見の問題に関して右「程度以上の人身障害」とそれ以外のものに区分するが如きは、人間の生命、身体、健康確保の観点を全くわきまえないものである。のみならず、そのいう「労働に支障を生ずる程度」というのは、労働災害それ自体だけを有機的存在である人体の症状から分解、抽出できるとして、その労働災害のみについていうものか、それとも労働災害が他病と合併して、労働災害の寄与により生体の全体として「労働に支障を生ずる程度」に至った場合を含むものかも不明確である。もし、前者というのなら、これ亦、人間の生命、身体、健康確保の観点を欠いた所見である。右述の点をみても、右「評論」また「解釈論」は、その内容自体においてもいずれも不明確、曖昧なものであり、両者いずれも「公務員」「労働者」の生体安全保持の観点を著しく欠くものといわざるをえない。

(5) また、右「解釈論」また「評論」は、被上告人または企業者が、そのいう場合についてのみ債務不履行の責任を負い、そうでない場合には負わないとする一個の労働条件を原判決をもって設定したものとみることができるのであり、このような労働条件を今になって「公務員」や「労働者」に対し、一方的に押しつけることは許されない。

(6) 以上を要するに、原判決の右「解釈論」は正当な法理と認め得ないものであり、原判決が上告人らに対する被上告人の「安全配慮義務」の法解釈、適用を誤ったものといわざるを得ないのであるが、右「解釈論」また「評論」はいずれも一審判決判示の「安全配慮義務」内容と異るだけではなく、従来の裁判例にもみられない異例のものである。

このような異例の出現は、原判決が従来の例によっては被上告人を勝訴とすることができず、被上告人の債務不履行の責任を肯定するほかはない程、本件の場合は上告人らに有利な証拠が充満しており、従って、被上告人を勝訴とするには右「解釈論」また「評論」のように、被上告人の債務不履行の責任を負う場合を著しく縮小する以外に方法がなかったことを原判決の理由自体も示している。

このような本件事案について、原判決が異例を十分承知のうえで、あえて前記のように不公正で、法理というに値いしない程の右「解釈論」「評論」を公然打ち出して被上告人を勝訴に導いたことは、臨調「行革」という今日的な政治、経済情勢の反映とみざるを得ないものがある。原判決は何はともあれ、被上告人勝訴の結論を先決し、その上で、特異な右「解釈論」を捻出したものとみるほかはない。

そして原判決は、右「解釈論」「評論」に基づいて、その理由中の各所において、その認定した具体的事実関係に基づいて、上告人らに対し被上告人の安全配慮等義務違反による債務不履行またはその責任がないとの所論を展開しているものであるが、上告人らは、この所論及び右「解釈論」「評論」のすべてにつきこれを絶対容認することができないので、先づ左記(二)、(三)のとおりこれらの憲法等関係法規各違反、最高裁判例牴触のことを明らかにする。

ついでその後に、原判決は、本件について、被上告人が上告人らに対しチエンソー等を使用させるにあたり、上告人らにただ単に何らかの人身障害が発症することは勿論のこと、そのいう「労働に支障を生げる程度以上の人身障害」の発症することを予見していたのみならず、「チエンソー業務について右各発症の危険を予想していた」ものであり、また、「その危険回避措置は不完全で債務不履行の責任を免れ得ない」等とすべきであったものを、これと異なる事実認定及び所論に出たことの各違法を明らかにすることにする。

(二) 憲法等の関係法規各違反について

原判決の右「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決がその理由の中の各所においてその認定した具体的事実関係に基づき、上告人らに対し被上告人の安全配慮等義務違反による債務不履行またはその責任がないとした後記各所論のすべては、いずれも左記(1)乃至(4)の各法規に違反するものである。

(1) 憲法一一、一三、二五、一四条各違反

憲法一一条は「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」とし、この基本的人権が「侵すことのできない永久の権利」としており、この規定は、すべての国民が人間たることに基づいて当然にすべての基本的人権を享有すること、そして国家権力によるそれへの侵害は禁止されることを意味する。

また、憲法一三条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追及に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」として、個人主義の原理を宣言し、国民の権利が「公共の福祉に反しない限り」国家によって最大の尊重を払われるべきことを定めている。

個人主義とは、人間社会における価値の根源が個人にあるとし、何にもまさって個人を尊重しようとする原理をいい、ここで個人とは人間一般とか、人間性とかいう抽象的な人間ではなくて、具体的な生きた一人一人の人間をいうと解されている。個人主義は、一方において他人の犠牲において自己の利益を主張しようとする利己主義に反対し、他方において「全体」のためと称して、個人を犠牲にしようとする全体主義を否定し、すべての人間を自主的な人格として平等に尊重しようとする。個人主義は基本的人権の尊重を要請し、そこから国民主権そのほかの民主主義的な諸原理が生れるのであり、国民主権の根源であるが、右規定にいう「生命、自由及び幸福追及に対する国民の権利」とは、憲法一一条及び九七条にいう「この憲法が国民に保障する基本的人権」を指すものと解されている。つまり、国民の基本的人権は原則として侵されないこと、その基本的人権の尊重が国政の指導原理であるべきこととされているのであり、就中、人間としての生存そのものにかかわる生命、身体、健康、すなわち人間が人間であるための最重且つ基本的な人間の生体そのもの、または人間の尊厳に対する危害は、その程度如何を問わず、許されないものというべきである。そして、右にいう国政に司法が含まれることはいうまでもない。

してみれば、原判決の右「解釈論」「評論」及びこれに基づいて、原判決がその理由の中の各所で、上告人らに対し被上告人の安全配慮等義務違反による債務不履行またはその責任がないとした後記各所論のすべてが、右憲法の各規定に真向から反する違憲のものであることは前記(一)のところから明らかである。

また、右述のような国民の「権利」に対して払われるべき最大の尊重は「公共の福祉に反しない限り」要求されるものであるところ、「公共の福祉」に類する言葉には、従来多かれ少なかれ、全体主義における「全体の利益」といったような反個人主義的な意味に用いられたもの、たとえば、戦争中の日本で使われた「公益優先」や「滅私奉公」がある。憲法における「公共の福祉」は明らかにそれらとはちがい、どこまでも個人主義に立脚し、「人間性」の尊重をその最高の指導理念とするものであり、ここには特定の個人の利益ないし価値を超えた利益ないし価値はあるにしても、すべての個人を超えた「全体」の利益ないし価値というようなものは存しないと解されているのである。

本件の場合は、前記(一)で既述のように、一審原告(上告人)ら「公務員」また「労働者」の人間としての生存そのものにかかわる生命、身体、健康、すなわち人間が人間であるための最重且つ基本的な人間の生体そのものまたは人間の尊厳に対する危害の当否が問題となっているのであるから、このような本件の場合は、前記「評論」のいう「機械文明の発達による人間生活の便利さの向上」「各種の機械による産業の発展で生活せねばならぬ国(における)国民生活の維持向上」なるものは、右の憲法規定にいう「公共の福祉」に該当せず、また、国また企業者の営利活動やそれにより得る高大な利益がこれに該当しないことも明らかである。

なお、この点について最高裁判例昭和二五年六月二一日大法廷(刑集四巻六号一〇四九頁)が、有料職業紹介事業に関する事例につき「在来の自由有料職業紹介においては、営利の目的のため条件等の如何に拘らず、ともかくも契約を成立せしめて報酬を得るため、更に進んでは多額の報酬を支払う能力を有する資本家に奉仕するため、労働者の能力、利害、妥当な労働条件の獲得維持等を顧みることなく、労働者に不利益な契約を成立せしめた事例多く、これに基因する弊害も甚しかったことは顕著の事実である」として、むしろ在来の自由有料職業紹介が「労働者の能力、利害、妥当な労働条件の獲得、維持を顧みることなく労働者に不利な契約を成立せしめた」ことが、「公共の福祉」に反するものと考えられていることを注目すべきである。

更に、憲法二五条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」として、国民の基本的人権としての「生存権」とこれに関する「国の社会的使命」を宣明している。

「健康で文化的な最低限度の生活」とは「人間の尊厳にふさわしい生活」(世界人権宣言二三条三項)を意味し、ここに「健康で……生活を営む権利」とは、各国民にそうした生活を保障することが国の義務であり、国はその目的のためにあらゆる必要な措置をとる責任を負うことを意味するものである。

この二五条の規定について、最高裁判例昭和二三年九月二九日大法廷(刑集二巻一〇号一二三五頁)、最高裁判例昭和五七年七月七日大法廷(民集三六巻七号一二三五頁)は、一項が「いわゆる福祉国家の理念に基づきすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべきことを国の責任として宣言したもの」であり、また二項が「同じく福祉国家の理念に基づき社会的立法及び社会的施設の創造拡充に努力すべきことを国の責務として宣言したものである」とし、一項が「個々の国民に対して具体的、現実的に右のような義務を有することを規定したものではない」が、二項によって「国の責務であるとされている社会的立法及び社会的施設の創造拡充により個々の国民の具体的、現実的な生活権が設定、充実されてゆくものと解すべき」としているものである。

この最高裁判所判例によるも、国はその「責任」として「いわゆる福祉国家の理念に基づきすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべき」ものであり、また、国がその「責務」として、「個々の国民の具体的、現実的な生活権」の「設定充実」のために二項で定められている「すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」ことは明白であるから、いやしくも、国がその「責任」またその「責務」に背馳することは、司法作用として許されない筈である。してみれば、原判決の右「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決がその理由中で上告人らに対し被上告人の安全配慮等義務違反による債務不履行またはその責任がないとした後記各所論のすべてが、右憲法二五条にも真向から背馳し、これを侵す違憲のものであることは上述及び前記(一)で述べたところから、これ亦明白である。

のみならず、憲法一四条は「すべて国民は、法の下に平等」としており、一審原告(上告人)ら一二名は国家公務員であったものであるが、「公務員」や「労働者」も同条にいう「国民」であるから他の国民と平等に右一一条、一三条、二五条の各適用をうけることはいうまでもなく、その適用をうけるにつき他の国民と区分されて差別されるいわれは全くない。右「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記各所論のすべては、一審原告(上告人)ら「公務員」また「労働者」を他の国民と差別して、前記の憲法一一条、一三条、二五条の適用を拒否するものであり、この意味において同法一四条にも違反する。所詮、原判決の「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記各所論のすべては、国民の基本的人権の本質をどうとらえるかについて、昭和五九年五月一九日東京地方裁判所三四部が予防接種禍訴訟の判決理由において述べている「このようにして、一般社会を伝染病から集団的に防禦するためになされた予防接種により、その生命、身体について特別の犠牲を強いられた各被害児及びその両親に対し、右犠牲による損失を、これら個人の者のみの負担に帰せしめてしまうことは、生命、自由、幸福追求権を規定する憲法一三条、法の下の平等と差別の禁止を規定する同一四条一項、更には、国民の生存権を保障する旨を規定する同二五条のそれらの法の精神に反するということができ、そのような事態を等閑視することは到底許されるものではなく、かかる損失は本件各被害児らの特別犠牲によって、一方では利益を受けている国民全体、すなわち、それを代表する被告国が負担すべきものと解するのが相当である。そのことは、価値の根源を個人に見いだし、個人の尊厳を価値の原点とし、国民すべての自由、生命、幸福追求を大切にしようとする憲法の基本原理に合致するというべきである」とした見解との間に根本且つ大きな差があり、憲法の規定する基本的人権の保障を蹂躪する恐るべき所論というほかはなく、前記の憲法の各規定に反するものであるから、原判決は破棄されるべきである。

(2) 憲法二七条、労働基準法関係法規各違反

原判決の右「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記各所論のすべては、憲法二七条二項、労働基準法一五条、労働基準法施行規則五条、労働基準法一条、同二条、同一三条一項の各規定及び同一六条の規定の越旨に違反し破棄されなければならない。

すなわち、憲法二七条は二項において「……その他勤労条件に関する基準は法律でこれを定める」としており、この規定は、労働条件の基準を法律によって定めるとの国家の基本方針を宣言すると同時に、労働条件の基準は常に「法律」の形式によって決定すべく、「命令」等の形式により得ないことを宣明している。

先に、安全、衛生に関する取締等が、従来省令等により行われていたのに対し、労働基準法の制定によって同法の規定により委任された労働安全衛生規則等によって定められることになったが、その後、労働安全衛生の重要性から昭和四七年六月八日法律五七号として労働安全衛生法が制定され、「労働基準法と相まって、労働災害の防止基準の確立、責任体制の明確化及び自主的活動の促進の措置を講ずる等その防止に関する総合的計画的な対策を推進することにより職場における労働者の安全、健康を確保するとともに、快適な作業環境の形成を促進すること」(一条)が宣明されたのである。そして、同法三条一、二項は事業者の責務として「事業者は、単に(この法律で定める)労働災害の防止のための最低基準を守るだけでなく、快適な作業環境の実現と労働条件の改善を通じて職場における労働者の安全と健康を確保するようにしなければならない。また、事業者は、国が実施する労働災害の防止に関する施策に協力するようにしなければならない」「機械、器具その他の設備を設計し、製造し、若しくは輸入する者、原材料を製造し、若しくは輸入する者は、これらの物の設計、製造、輸入又は建設に際して、これらの物が使用されることによる労働災害の発生の防止に資するように努めなければならない」としている。

このように、先に労働基準法が制定され、その後、同法により委任されていた労働安全衛生規則等が「法律」化して、労働安全衛生法の制定をみるに至ったのは、憲法二七条二項の趣意により一層副うものである。

従って、先の労働基準法の規定またはその後の労働安全衛生法の規定に準拠しない労働条件は、憲法二七条二項の違反して無効というべきものであり、裁判においても裁判官は「憲法と法律」に拘束される以上右法規に反する法解釈はなし得ないものである。

ところで、労働基準法一五条は「使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して………その他の労働条件を明示しなければならない」とし、この規定により、使用者が労働者に対し明示しなければならない労働条件として、労働基準法施行規則五条一号は「従事すべき業務に関する事項」、また七号に「安全及び衛生に関する事項」を掲げており、うち一号は必らず明示しなければならない労働条件とされている。

元来、企業者が労働者に新しい機械を初めて使用させるにあたっての、また、その機械使用業務についての労働者の健康障害の発生また増悪を防止するための事前調査、また、その防止に関する義務の内容は、労働基準法、労働安全衛生法等の労働関係法規に定められている事項や、その法規の規制を遵守してさえいればよいというものではない。たとえ法令の定めなくとも、労働災害防止対策上必要と考えられる措置をとるのでなければ、その責を免れることはできない。労働基準法一条二項には「労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない」と定められており、更に安全及び衛生についても、その実効を期し、また、当事者もこれを期待すべき筈のものであり、少くとも労働者は、このことを自ら放棄するのではない限りは当然に期待するものである。

抑々、憲法二五条一項は、前記のとおり「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定して、生存又は生活のため必要な諸条件の確保を要求する生存権を保障しており、これは憲法二七条、更には労働基準法一条に具体化されており、同一条は「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」と定めている。ここにいう「人たるに値する生活」とは、憲法一三条、同二五条一項の規定に当然副うべきものである。憲法二五条二項、同二七条及び労働基準法一条が、直接具体的な契約当事者の権利義務を定めたものとはみられないとしても、右に基づく労働基準法は、更にその所定の各規定を設けて、これらを最低の基準とし、更にその向上を図るべきものとしており、少くとも就業時の労働者の健康が就業の労働またはその業務により侵犯されないよう労働者の生命、身体、健康の安全を保障するものである。このことから、労働者の健康の安全が就業の労働またはその業務により侵犯されることのないよう、これを企業者が守り、保持することに関する事項は、前記労働基準法施行規則五条一号にいう「従事すべき業務に関する事項」また七号の「安全及び衛生に関する事項」の夫々に該当するものとして、労働条件の重要な内容をなすものと解されるのである。

蓋し、労働契約は、基本的に労働者が使用者に対して労務に服することを約し、これに対して使用者が報酬を払うことを約する双務契約であるが、労働者が使用者の提供する機械等を用いて労働提供を行う場合、これにより労働者は契約上の義務を履行するのであるから、これに対応する使用者の義務には、そのために労働者の健康の危険が労働者に及ばないように、労働者の安全を保護する義務も当然に含まれることになる。このように、使用者が右の義務を尽すべきとするのは、労働者としても、生命、身体、健康に何らの危険を生ずることなく、安全に就労しうることを当然に期待して労働契約を締結するものであり、従って、使用者としても、事前に使用者において労働またはその業務により何らかの健康障害が生ずることのありうること、また更に何らかの健康障害が生じた場合には、これが生じても全く或は或程度までの障害については、使用者において債務不履行の責任は負わないことを、労働条件として労働者に明示するか、または労働者において労働またはその業務のため何らかの健康障害が生じても、使用者に対し債務不履行の責任を追及せず、その場合の償いについては法定補償の範囲内で甘受することを事前に承諾することのない限りは、労働者の生命、身体、健康に何らの危険を生ずることなく安全に就労しうることを労働者に保証したものとみられるからである。

しかるに、原判決の「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記すべての所論は、前記のとおり企業者が、その被用者に対し与えた「人身障害」については、そのいう場合にのみ債務不履行の責任を負い、これを除く場合、少くとも「労働に支障を生ずる程度」に至らぬ「人身障害」またはそのいう「重症でない職業病」については、いかなる場合においても、企業者においてその危険を回避する義務がなく、債務不履行の責任を負うことはないとするものであり、右「解釈論」「評論」及びそれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記すべての所論の各内容は、前述のところから、本来一審原告(上告人)ら「公務員」と企業者たる被上告人国との間における労働条件としてその重要な内容をなすべきものであるから、この内容を企業者たる被上告人国或は林野庁が、一審原告(上告人)ら「公務員」に対しチエンソー等使用の業務に就かせるにあたり、労働基準法施行規則五条一号また七号の夫々に該当するものとして明示すべきものであったことは明白であるところ、右上告人らの誰にもその明示が全くなかったことは本件記録上明らかである。

してみれば、原判決は、被上告人国が右労働関係法規に基づき一審原告(上告人)らに右のように明示すべきであったのに、その明示をしなかった違法を、原判決の「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記すべての各所論をもって、右の明示があったのと同じ効果を付与しようとするものにほかならないことになるのであるから、これらはすべて脱法のものであり、右「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記各所論のすべてが、憲法二七条二項、またこれに基づく労働基準法一五条、労働基準法施行規則五条一号、七号(少くとも一号)に反することは明らかである。

のみならず、労働基準法二条は「労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである」としている。「対等の立場」とは、相互の人格と意思を尊重するということであり、労働条件の決定に際しての労使の心構えについての注文であると解されている。

また、同条一六条は「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない」ことを定めており、この規定にいう約定は、労働者が使用者に隷属するような事態を生ずるので、このようなことは右二条にも反することからこれを禁止したものと解されている。

ところで、原判決の「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記各所論のすべては、そのいう人身障害または職業病につき、夫々国また企業者の債務不履行の責任がないことを内容とするものであり、このような内容は、いずれも労働者の右二条にいう「対等の立場」を全く無視蹂躪するものであり、労働者を使用者の隷属事態に置くことまことに顕著なものであるから、右「解釈論」「評論」及びそれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記すべての各所論は右二条の規定に反し、また右一六条の規定の趣旨に反する違法のものである。

更に、労働基準法一三条は「この法律で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。この場合において、無効となった部分は、この法律で定める基準による」としており、同法一条は前記のとおり労働条件が「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきもの」としているのである。

しかるに、原判決の「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記各所論のすべては、労働基準法が最低基準として定める労働基準法一条の「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきもので」はなく、その規定を侵犯する内容のものであるから、右規定にも違反するものとして無効のものといわなければならない。

右を要するに、右労働基準法一条、二条、一三条、一六条はいずれも憲法二七条二項に基づく法律、規定であるから、右「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記各所論のすべては、右述の各点からしても憲法二七条二項に違反し、また右労働基準法の各規定に違反するものである。

(3) 憲法一七条、国家賠償法及び民法関係法規違反

原判決の「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記各所論のすべては、憲法一七条、国家賠償法四条及び民法の債務不履行に関する関係規定に違反し、またはその法解釈を誤った違法がある。

憲法一七条は「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる」とし、これに基づく、国家賠償法は、債務不履行に基づく賠償に関してはその四条において「民法の規定による」としている。

右一七条は、有責主義をとり無過失責任を認めてはいないが、国の有責である場合、少くとも日本国民である限り「何人も」賠償を求めることができ、また、その賠償の範囲につきその定めはないが、この点、国家賠償法四条の定めにより民法の規定によることになる。

その民法において、債務不履行による損害の範囲を定めているのは四一六条であるが、その規定によれば「通常生スヘキ損害」であれ、「特別の事情ニ因リテ生シタル損害」であれ、その範囲内のものであれば、賠償額についての当事者間の約定ない限り、財産上の損害であるか、精神上の損害であるかを問わずに、その一切を賠償すべきものと解されている(大審判、大正五年一月二〇日、民録二二輯四頁。最高裁判例昭和三二年二月七日裁判集、民、二五巻三八三頁、新聞四二―四三合併号一七頁)。

のみならずこといやしくも、人間の生存そのものにかかわる生体について障害を与える場合は、その障害の程度が、たとえ些細なものであっても、またその障害を与えた者が何人であれ、一般に違法として許容されるべきものでないこと既述のところであるから、このような生体の健康障害につき、企業者がその障害の程度によっては、つまり「労働に支障を生ずる程度」に至らぬ「人身障害」また「重症でない職業病」については、いかなる場合にも債務不履行の責任を負うことがなく、また右程度以上の人身障害についても、原判決の「解釈論」のいうが如き場合に限ってのみ債務不履行の責任を負うとする右「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとする後記すべての各所論の如きは、憲法一七条、国賠法四条、債務不履行に関する民法規定の全く夢想だにしていないところであり、右のようなことを許容する法規の定めは皆無である。

従って、右「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記各所論のすべては、いずれも憲法一七条にいう「何人」もの定めや、法定の物的損害のみならず精神的慰謝料をも賠償請求しうるとする憲法、国賠法、民法の右関係各法規に反して、労働者また上告人らの債務不履行に基づく損害賠償請求の権利を否定または制限するもの、或は否定また制限した違法のものにほかならない。

(4) 憲法七六条三項違反

原判決の「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記各所論のすべては、憲法七六条三項に違反する。

憲法七六条三項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」としており、これは裁判官の行動が、もっぱら法にしたがって行われるべきものであること、ただ裁判官が裁判するにあたって、その法を解釈するにはその「良心」、つまり、自主的な判断にしたがうべきであるとの意味に解されているものであるが、ここにいう「良心」とは「主観的」な宗教上、倫理上の意見、主張や信念を意味するのではない。従って、良心に従って法を解釈すべきだというのは、右のような「主観的」な意見、主張や信念というようなものにしたがって法を解釈してもよいとの意味ではなく、裁判官が法を解釈するにあたっては、裁判官自身のそういう「主観的」な意見、主張や信念から離れて、法のうちに与えられた客観的な意味を公正に理解するように努めなければならないのである。

しかるに、原判決の「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記各所論のすべては、いずれも右「評論」が法的有意性のない、世上一つの「機械文明評論」ともいうべきものにすぎない、しかも不公正なものであること前記のところであり、また、このような「評論」を基本的支柱として右「解釈論」が考案、導出されたものかまたは全く「恣意的」に考察されたかのいずれかとしか考えられない右「解釈論」が法理というに値しないものであり、このようなものを前提として原判決理由全般が構築、展開されていることも前記のところからすれば、右「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記各所論のすべては、原審裁判官の法解釈というよりは裁判官個人の単なる「主観的」な意見或は所論にすぎないものというべきものであり、客観性を著しく欠く不公正なものといわざるを得ない。

このような原判決の「解釈論」「評論」及びこれに基づいて原判決が被上告人に債務不履行またはその責任ないとした後記各所論のすべては、憲法七六条三項の規定に反するものといわなければならない。

のみならず、右「解釈論」は、前記のように一審原告(上告人)ら「公務員」また「労働者」たる人間の生存そのものにかかわる生体に関する危害のことについて、右のように「恣意的」にまたは一つの「機械文明論」ともいうべき右「評論」程度の、しかも全く不公正なものに基づいて考案、導出された法理というに値しないものであり、これをもって原判決に出たことは、裁判官が憲法七六条三項の「憲法と法律にのみ拘束される」としていることにも反しており違憲である。

(三) 最高裁判所判例との牴触(法解釈、適用の誤り、民法一条二項)

原判決の「解釈論」「評論」及びこれに基づいて、原判決がその理由の中の各所においてその認定した具体的事実関係に基づき上告人らに対し被上告人の安全配慮等義務違反による債務不履行またはその責任がないとした後記各所論のすべては、最高裁判所(昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決。民集二九巻二号一四三頁)の判例に違反し、国賠法四条、民法四一五条、国家公務員災害補償法五条等の解釈、適用を誤った違法がある。

原判決は右最高裁判所判例が、国の「安全配慮義務」の具体的内容が「公務員の職種、地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきもの」としていることから、本件の場合のものとして前記「解釈論」を考案、導出したかの口吻である。しかし、右判例が「国は公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置、管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたって公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という)を負っているものと解すべきである」とするのは、公務員の側において右判例判示の「主要な義務」を負うことになっていることから、これに「対応して」自ら当然に国が公務員に対し右義務を負うことになるとするものであることはその判文上明らかである。

そして、そのうえで右判例は、前記のように「右安全配慮義務の具体的内容は、公務員の職種、地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的情況によって異なるべきものである」というものであるところ、右判例事案の自衛隊員の場合にあっては「更に当該勤務が、通常の作業時、訓練時、防禦出動時、治安出動時又は災害派遣時のいずれにおけるものであるか等によっても異なりうるものである」としているのである。

右判旨の自衛隊員の勤務について通常の作業時、訓練時と防禦出動時などとの差異を論じている趣旨は、その勤務の緊急性と危険が本来予定されている勤務か否かの点に関する配慮に基づくものであろう。この点から考えれば、本件における国有林労働者の作業に、チェンソー等の機械を導入することにつき、緊急性と危険予定性はないものというべきである。危険の可能性があれば、機械の改良或は使用方法の工夫により、この危険を排除したうえで機械を導入するのが通常であり、この通常の方法を採るいとまがない程、緊急事態であったと、到底いうことができない。また、判旨の当該公務員の職種、地位の関係の点につき本件を考察するに、一審原告ら(原告らを含めチェンソー等の機械を操作する者全部)は、何れも現場の作業員であって、高級の職種でもなく、また高度の地位を占めるものでもない。彼らは林野庁特有の作業員制度に基づく雇用期間二ヶ月毎更新の身分不安定な作業員であり、日給出来高払賃金制の下で、当局から与えられた機械を使って、黙々として作業する職種、地位のものであるにすぎない。このように一審原告らは地位、職種のうえから、ある程度の危険を甘受しなければならない立場にたつものでないことも明らかであり、争がないところといえよう。

そこで、最後に、判旨にいう「安全配慮義務が問題となる当該具体的状況」について本件を検討してみよう。一審原告ら作業員のチェンソー等機械の操作は、概ね高山、急峻、寒冷に暴露しながら、重い機械を大径木に対して使用するもので、作業員の寒冷ばくろ、振動ばくろ、騒音の侵襲はおびただしいものがある。従って、具体的状況は、国側の安全配慮義務を軽減し得る要素は見当らず、辛うじて軽減し得る要素として、身体障害が生ずることの予見可能性が論じられるにすぎない。これとても、原判決は「林野庁がチェンソー等の実用を開始し順次これを増加させた昭和三〇年ないし同三六年ころ、チェンソー等を導入するとそれを使用する者の身体に何らかの障害が生ずることのある可能性を全く予見できなかったと認めることはできない」、「前述のように林野庁は振動障害の発生の可能性を全く予見できなかったとはいえない」といわざるを得ない証拠関係にあるのである(上告人らは別に証拠と採証法則、論理則のうえから予見可能性があっただけではなく、林野庁は、結果の発生を予見していたのであることを論証しているが、それは、この際措くこととする)。

結果の発生につき予見可能性があり、結果の発生を回避することは十分可能であったにも拘らず、右回避措置をなさず、その結果、作業員の人たちの健康に障害を与えた以上、安全配慮義務違反による債務不履行を免れないことは自明といわなければならない。

原判決は、右の最高裁の判旨から当然導き出される結論に対し「労働に支障を生ずる程度以上の人身障害が発症することが予見できた場合には、その実用化を差し控え」、「チェンソー使用業務につき右程度の危険を通常予想し得ない場合には、その危険回避措置をとる必要はない」また「右程度の危険が現実に発生した場合には」「危険を回避する措置をとらなければならず」等々をいい(三―三九、四〇)、「労働に支障を生ずる程度以上の人身障害」の予見可能性がなければ、労働者の安全を配慮する義務がない旨を論じ、またこれに基づいて原判決理由の中の各所において、その認定した具体的事実関係に基づき、上告人らに対する被上告人の安全配慮等義務違反による債務不履行またはその責任がないと論じている。

これは、生命及び健康等を、危険から保護する義務(以下「安全配慮義務」という)として、生命は当然のこととして、健康一般に対する危険から保護する責任として安全配慮義務を定立した最高裁判所の判旨に反して、健康に対する侵害の中から、労働に支障を生ずる程度に至らない人身障害については、安全配慮義務がない旨の判断をして、最高裁判所の判旨を矮小化したものであり、結局前記法令の解釈、適用を誤ったものといわざるを得ない。

更に原判決は、機械文明の発達を論じたうえ「職業病に対する損害補填のため無過失責任による労働者災害補償保険、公務員災害補償法等による労働災害補償制度が整えられ、それによって労働者が被った損害を補填しているとみられる」(三―四参)と述べ、「振動傷害が発生したとしても控訴人に国家公務員災害補償法による補償義務以上に債務不履行の責任を負わさねばならぬ程の批難を加うべき違法性があると判断することはできない」(三―四弐)という。これは、前記最高裁判所の判旨の矮小化の理由として、国家公務員災害補償法による補償で十分であるという趣旨に見える。しかし、この原判決の構造、趣旨自体、前記最高裁判所の判旨の「公務員が前記の義務を安んじて誠実に履行するためには、国が公務員に対し安全配慮義務を負い、これを尽くすことが必要不可欠であり、また国家公務員法九三条ないし九五条及びこれに基づく国家公務員災害補償法……の災害補償制度も国が公務員に対し安全配慮義務を負うことを当前の前提とし、この義務がつくされたとしても、なお発生すべき公務災害に対処するために設けられたものと解される」旨判示し、災害補償制度と安全配慮義務の懈怠に基づく損害賠償制度との質的な差を述べていることと全く正反対の立論なのである。

原判決のこの立論も又、前記最高裁判所の判旨に反し、前記法令の解釈、適用を明らかに誤った違法があるというべきである。

二 「安全配慮義務」違反の有無に関する事実認定についての法令の違背また法解釈、適用の誤りについて

(一) 林野庁のチェンソー等の導入、使用による人身障害の「予見」に関して

原判決は三―四〇乃至四四においてその認定した事実関係に基づき「林野庁がチェンソー等の実用を開始し順次これを増加させた昭和三〇年ないし同三六年ころ、チェンソー等を導入するとそれを使用する者の身体に『何らかの障害』が生ずることのある可能性を全く予見できなかったと認めることはできない」が、そのいう諸事由から「林野庁がチェンソー等の導入に当り振動障害の発生を心配して特別の配慮措置をしなかったことあるいはその後において使用中止しなかったことをもって、控訴人に作業員に対する安全配慮、安全保持主義の不履行があったと認めることはできず、それについて予じめ、又はその後使用中止の措置をとらなかった点になすべき注意を怠った過失があったと認めるのは相当でない」、また「前述のように林野庁は『振動障害』の発生を全く予見できなかったとはいえない」が、「その当時の知見、経験からみて身体に振動障害が発生することはないと思ってチェンソー等を導入し、使用させたものであるから振動障害が発生したとしても控訴人に国家公務員災害補償法による補償義務以上に債務不履行の責任を負わさねばならぬ程の批難を加うべき違法性があると判断することはできない」として、そのいう「予見」に関する(内容)情況毎に被上告人に安全配慮義務違反による債務不履行またはその責任がない旨の所論を展開しているが、この各所論がいずれも憲法等各法規に違反し、また国賠法四条、民法四一五条、国家公務員災害補償法五条の法解釈、適用を誤ったものであることについては、前記第二の一、(一)、乃至(三)において述べたところであるが、原判決の右各所論には、更に右「安全配慮義務」違反の有無の事実認定等に関して、以下(1)乃至(4)に記載の判決に影響を及ぼすこと明らかな各法令違背があり、また従って、右所論は国賠法四条、民法四一五条の法解釈、適用を誤った違法がある。

(1) 「何らかの障害」「を全く予見できなかったと認めることはできない」、、また「振動障害」「を全く予見できなかったとはいえない」としたことについて

1 「予見していた」ことは明らかである。

原判決は、林野庁が右のように「予見できなかったと」「認めることはできない」また「…とはいえない」とした人身障害の内容について、先に「何らかの障害」としているものであるのに対し、後には「振動障害」といっているが、右両者は同義語とは考えられず、先に「何らかの障害」とあるものが何故後には「振動障害」ということになっているのか不明であり、右「予見」対象たる人身障害の内容に関する事実認定の点において首尾一貫せず、理由齟齬、理由不備の各違法あるものといわざるを得ないが、このことはともかくも、原判決が右各人身障害の「予見」の内容情況につき、右のように「全く予見できなかったと認めることはできない」、また「全く予見できなかったとはいえない」としているのは、これに続き「その当時の知見、経験からみて身体に振動障害が発生することはないと思って」の文言あるところからみると、多少は「予見でき」たであろうが予見はしていなかったとの意で、「予見していた」との意ではないと解されるところ、この原判決のいう林野庁の予見内容情況に関して、原判決はこれを「わが国でも昭和二二年以来労基法で『さく岩機、鋲打機等により身体に著しい振動を与える業務による神経炎、その他の疾病』を職業病とされていたこと、昭和三四年、三浦豊彦が仮にはとはいえ振動の許容基準その他とともに振動工具による身体障害を発表し、農林省林業試験場の米田幸武と辻隆道がチェンソー使用によるしびれ、蒼白、関節痛、筋肉痛、その他の身体障害を調査して同三五年にその調査結果をまとめ、その一部を同三五年辻隆道が「林業機械化情報」に、同三七年米田幸武が「林業機械化概論」に各発表したこと、同三六年には松藤元が文献でガラニナの説を紹介し振動障害を説明していること、さく岩機、鋲打機などによる振動とチェンソーによる振動とはその質と量に差があるとはいえ振動が身体に伝わる点では同じであること」の各事情「に徴」(三―四〇)して認定したというものであるが、林野庁のチェンソー等の導入使用にあたり、チェンソー等をさく岩機、鋲打機等と同様に振動機械とみるべきものとしている点において一審判決の判示と同様であり、この一審判決の判示の右の点を、原判決が受容したほかに右各事情を認定しているばかりでなく、更に原判決が認定している後記列挙の諸事情を総合すれば、原判決はそのいう如き、林野庁が「何らかの障害」また「振動障害」について、ただ単に「予見できなかったと認めることはできない」また「予見できなかったとはいえない」というにとどまらず、「何らかの障害」はおろか「振動障害」発生の可能性をも「予見していた」ことを当然認定すべきものであり、そのうえで被上告人の安全配慮、安全保持義務違反あったものとすべきものであるにも拘らず、原判決が林野庁の右「予見」内容情況に関して林野庁が「予見していた」との事実認定をしなかった点において採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法があり、また法の解釈、適用を誤ったものである。

先ず、一審判決は「チェンソーの本格的導入以後、昭和三四年の農林省農林試験場作業研究室の調査、昭和三五年の長野営林局管内の作業員の訴えにより、チェンソー使用者に蒼白現象等の振動障害の起ることが明確になった」としているものであり、これに対し、原判決は右「訴え」の段階では、まだ一審判決判示のように「明確になった」とはいえないとしているものとみられるのであるが、その原判決が林野庁の「予見」に関する認定資料として掲げた前記の各事情のほかに、原判決が三―壱七から参弐にかけて列記する左の<1>乃至<10>の諸事情は、林野庁がチェンソー等の導入、使用による振動障害の発生の可能性を、ただ単に予見できなかったとはいえないというにとどまらず、林野庁において「振動障害」の発生またはその発生の可能性を「予見していた」ことを示す十分な資料と認められる。蓋し

<1> 原判決の「別表第二の(1)のとおり、昭和一三年に村越久男が鋲打工の一臨床例を報告」「その後昭和二二年までに同表(2)ないし(4)のとおり、労働衛生学の専門家三名が、当時、使用の増大していた空気振動工具と電気振動工具のうちの打撃振動工具使用により、使用者の手指に蒼白発作が生ずることや肘の関節等に障害が生ずることに注目し」これらは「いずれも若干の臨床例に関する研究結果」の「報告」ではあるが、この「各文献によると、右各振動工具使用による人身の障害」の症状が「筋肉神経系の障害として手首、肘等の関筋炎等、循環系の障害として手指の蒼白発作」であること、

<2> 「昭和二二年(一九四七年)までに外国で発表された振動障害についての文献には別表第二の(201)ないし(208)、(301)があ」り、「これらはすべて空気や電気による振動工具使用者の身体障害を調査研究したもので、(201)ないし(208)の各所見は、すべて右障害を局所疾患と説明」するが、「そのうち」の「軽症なものが大半であるとの所見(202)、(206)、」もなかには軽症でないものあることを否定しているものではないこと、

「振動障害の重症者には、右振動によりその使用労働者の手指先端等に壊死をおこし労働能力を相当に失うものがあるとの記述(202)がある」こと、

「(301)で、ソ連のアンドレーア・ガラニナ(以下、ガラニナという。)は、振動による人身障害を振動病と呼び、この疾患の症状には手指の血管運動神経の障害、感覚障害、栄養障害など局所的な症状が多いが、よく調べると、右症状のほかに全身性の変化がみられるので、局所的な疾患とはいえず、長期にわたり振動作用が身体の一部局所に加わることにより身体の中枢神経系に影響をおよぼし、その結果として、上肢等の運動器官に血管障害や栄養障害が発症し、場合によっては消化器官や平衡器官の機能障害を招来すると説明した」こと、「この所見を昭和三六年に日本の松藤元が別表第二の(10)で紹介し、ガラニナの前記書籍は良書であるが、わが国では恐らく入手不能であり、日本語への訳出が望まれると述べている」こと、

「ドイツ共和国が昭和四年(一九二九年)までに、そのドイツ労働者補償法で、空気式振動工具使用による労働者の筋肉、骨、関節の疾病を補償対象疾患損傷の一つに法定していた」こと、

<3> わが国においても、原判決の前記認定のとおり、昭和二二年以来、労基法施行規則三五条において「振動工具による疾病として」その一一号で「さく岩機、鋲打機等の使用により、身体に著しい振動を与える業務による神経炎その他の疾病」を職業病と定めたこと、「昭和四〇年五月二八日付労働基準局長」は「通達(基発第五九五号)をもって」「チェンソーは、さく岩機、鋲打機と同様振動工具であり、しかもその使用によって身体に著しい振動を与え振動障害をもたらす場合があるものと思料される。従って、チェンソーは、労基法施行規則三五条に規定するさく岩機、鋲打機等に含まれるものであるから、その疾病の取扱いについては遺憾のないよう留意されたい。」「と示達」するに至り、また「人事院規則一六―〇」、も「別表第一」に「昭和四一年七月の改定でチェンソー等を振動工具に掲記する」に至ったこと、

<4> 「昭和二三年から同三四年までの間におけるわが国の振動障害に関する医学的知見についての文献として、別表第二の(5)ないし(8)があ」り、「それらは(6)の所知雄らの所見を含め、すべて空気振動工具と電気振動工具中の打撃振動工具と回転振動工具による振動障害」ではあるが、その知見を明示していること、

<5> 「昭和二三年から同三四年までの間における外国の振動障害に関する知見として、別表第二(210)のとおり昭和二九年、イギリス政府から昭和二五年に振動障害を職業病に指定すべきか否かにつき諮問を受けていた同国の労働災害諮問委員会は、同委員会独自の調査研究その他の諸資料を検討して、職業病に指定すべきでないとの答申を行った」けれども、「同時に少数派意見として、レイノー現象によって大きな障害が生ずる事例が僅少とはいえある以上、レイノー現象を職業病に指定すべきであるとの見解も提出され」ていたこと、

「昭和三六年に、別表第二の(302)(303)でソ連のガラニナらとドロギチナらは、ソ連のガソリンエンジンを原動力とするチェンソー使用伐木夫に振動病が発症していること、そのチェンソーを含む振動工具全般の使用で発症する振動障害の臨床的特性や症状分類、疾病の進行段階に関する所見を発表した」。こと、

<6> 「昭和四一年に、別表第二の(304)が松藤元の翻訳で」、「ソ連ではその保健省が昭和四一年五月、振動障害防止規則を制定して、振動工具の振動の強さの最高限度を制限したこと、振動工具使用の労働時間を一日の労働時間の三分の二以下に制限し、超過勤務を禁止したことが明らかにされた。」こと、

<7> 「昭和三六年一一月、全林野長野地方本部から長野営林局に対し、機械化によって作業員に眼、耳、心臓の病気や神経痛、関節痛等の影響が現れているのでこれを調査し、措置することの要求があったので、長野営林局は作業員の健康管理のため、林野庁及び林業試験場と調査方法等について協議したうえ、同三七年一二月『林業機械化に伴う職業病的傾向に対する調査』を実施した結果、チェンソー使用作業員の中に昭和三五、三六年ころ手指の白ろう化や無感覚になる症状を経験したと訴えた者が一五名」も「いた」こと、

<8> 「昭和三八年一〇月、長野営林局坂下営林署は、前記調査で手指の蒼白現象が発現したことがあると訴えた同営林署のチェンソー使用作業員三名に坂下病院長窪田鋭郎の診断を受けさせた結果、同医師から『一過性の血管運動神経症によるもので、末梢神経障碍等による永続的な運動障碍又は知覚その他の感覚異常はなく、寒冷時の気温、湿度その他の気象的、地形的な因子並びに本人の血圧、血液循環器系あるいは栄養状態その他の因子に原因するところが大きく、作業自身による影響は職業病と認められる程度のものではない。』との所見が得られ、」その診断は「作業自身による影響」がないとするものではなく、「職業病と認められる程度のものではない」とするものであること、

<9> 林野庁が、昭和三八年一一月「チェンソー等使用者」ら「各種林業機械作業者全員を対象として」行った「アンケート調査の結果によると、チェンソー等の使用作業員中にレイノー現象(チェンソー使用作業員の五・七パーセントにあたる一六八名、ブッシュクリーナーの使用作業員の一・〇パーセントにあたる五一名)や指のしびれ(同一二・三パーセント)等の自覚症状を訴えた者のあること及び集材機、トラクターの使用者からも同様の訴えがあったこと、蒼白発作の訴え者率はチェンソー使用者が最高であることが判明した。」こと、

「右調査報告書中チェンソー等その他の集材機等の使用作業員の指のしびれと蒼白発作の訴え者数等の内訳は別表第四掲記のとおりである。同調査報告書は長野営林局内の局所振動の影響に関する蒼白発作の訴え率が一五・一パーセントで全国のそれと比べ有意に大きいと記述している。右アンケート調査結果中、高知営林局(別表第四中、西部地域に含まれる。)の蒼白発作経験訴え者数は二七名で、そのうち四名が各二日ずつ医療を受けたと回答した。二七人のうち二六人がチェンソー作業員、一名がブッシュクリーナー使用作業員である。被控訴人ら一二名のうち、被控訴人松本勇(マツカラー一の七二型のチェンソーを使用)が右二七名の一人に含まれており、被控訴人松本は冬、通勤途中に右手の第二、三、四指が三〇分蒼白になりしびれがおこったこと、医療を受けたことはないことを回答した。高知営林局には同局管内に関する右調査結果の資料が昭和三九年三月ころ送付された」こと、

<10> 「別表第二の(212)で、昭和三九年にオーストラリアのグラウンズがタスマニアでチェンソー使用の伐木手二二名を調査したところ、その九一パーセント(二〇名)の手指にレイノー現象(白指)の発症がみられたこと、」ただ「この文献がわが国に紹介されたのは昭和四〇年以降であった。」こと、

原判決は、右<1>乃至<10>の諸事情を各認定しているものであるが、これらによれば就中、昭和三五年頃までの内外の諸文献等はチェンソー、ブッシュクリーナー以外の振動工具による振動障害についてであるが、その振動障害が全部軽症というのではなく、重症者もいることを必らずしも否定するものではなく、または重症者あることを指摘しているものもあり、また昭和四年という早い時期にドイツ共和国が補償対象疾患損傷の一つに法定していたのみならず、わが国においても原判決も認められるように、すでに昭和二二年以来職業病に指定されているところである。そして昭和三五年二年まとめられた甲第六号証の農林省林業試験場作業研究室の調査は、上告人らの一審昭和五二年三月一五日付準備書面(7乃至13頁)及び原審昭和五八年一二月一三日付準備書面(34乃至36頁、51乃至53頁)で述べたとおり、その調査を行うにあたり、当時すでにチェンソーが、さく岩機、鋲打機等の振動機械と同じく「振動」機械であること及びその「振動による人体への影響」のおそれがあること、更にその「影響」として右さく岩機、鋲打機等と同様の障害発生が懸念されていたこと、またその調査の結果は原判決「別表第三の一、二の(1)ないし(5)のとおり」であることを各明らかにしている。この甲六号証の資料が単なる「疲労症候」調査というにとどまるものでないことはその内容から自ら明らかであり、それは振動によるものと認められる症状及びその心身に異常を訴える作業員の数が無視できない相当のものであることを示しており、このようなことはチェンソー等作業実施以前には見られなかった異常の事態である。従って、少くとも早やこの時点においてチェンソー等使用者にさく岩機、鋲打機等によるものと同様の蒼白現象等の異常障害の起こることは明確となったのであり、この甲六号証より以前の時期の後記の甲一三三乃至一四〇号証等の資料をまつまでもなく、チェンソー等使用による振動障害が生ずることが明確となったものといわなければならない。

そしてこれは、その後昭和三五年以降の長野営林局作業員の「訴え」等の事態出現及び甲一一号証等により、更に、逐次確認、検証されていくのである。

右の調査をまとめた一人である辻隆道は、その調査に関し昭和三四年五月、六月、九月発行の林業機械化情報(甲第一三八乃至一四〇号証)に掲載発表し、「振動の人体への影響」「振動による障碍のあらわれ方」、これらに対する「対策をたてる必要」等を提起していることつぎのとおりであり、原判決が三―弐五でその内容を要約引用するのは、被上告人国の有利にのみ要約されているのであるが、右掲載発表のうち、林野庁がチェンソー等導入、使用による振動障害を「予見していた」等のことを裏づけるものとして看過できないところは、「チェンソー使用作業員の振動による障害で顕著なのは局所的な振動の負荷で」あるとする点で、この点の仔細を原判決は省略しており、この仔細は「多くは手や足の先から、それぞれ前腕、上腕、上肢あるいは下肢が緩衝器の役目をなし、振動エネルギーがかなり弱くなって身体にわずかしか伝わらない。このために上肢や下肢の血管神経に対して血行障碍がおこり蒼白となり、しびれ感および疼痛感が起る。そしてこれが筋萎縮をおこし、関節にも同じように慢性の関節炎や神経痛がおこる。これが手先等の小さい関節などが直接一番強く振動を受けることからはじまり、しだいに前腕や上腕におよんでくる。振動に対する許容限界については法令には騒音のように規定された数値はないが、振動障碍としては災害補償の条項がある」というものであり、これによれば、振動障害が法定の補償の対象になる程のものであることについてまで言及されているのである。

そして、長野営林局管内作業員の「訴え」は、辻隆道の右甲一三八乃至一四〇号証発刊の翌年の甲六号証と同じ昭和三五年の出来事であるから、右甲第六号証の調査と右作業員の「訴え」により「振動障害の起こることが明確となった」との一審判決の判示、認定はまことに正当であり、右「訴え」によりその頃林野庁は、チェンソー等使用による振動障害が生じたことを十分に認識したものと認めざるを得ない。

更に、前記調査をまとめた一人の米田幸武も、昭和三七年一一月、原判決引用の林業機械概論(甲一四一号証)に、前記甲六号証の調査に関しての記事を発表しており、その内容は「辻隆道と同じく、チェンソー等を含む振動工具の操作による振動障害につき、その振動により使用作業員の人体に振動感、しびれをおこすのみでなく、その振動が強くなるとその体内の心臓、肺臓、胃、腸、眼球、脳などが障害されるに至ること」を記述しているものであるが、その後の前記昭和三八年一一月のアンケート調査は、それまでの如上の各資料等による知見からして、チェンソー使用による障害の発生をまたまた確認する知見であり、また、振動障害の拡大の傾向が示されている。従って、昭和三八年一〇月の前記坂下営林署作業員の手指の蒼白現象発現が振動障害であることは、如上の数々の知見の延長線上のものとして、当然、林野庁において認識していると認むべきものであり、坂下病院医師の所見も前記のように「作業自身による影響を否定するものではなく」ただ「職業病と認められる程度のものではない」としているにすぎないものである。

原判決も肯認する如上の各事情及び諸事情のみによるも、林野庁がチェンソー等の導入、使用につき振動障害発生またその可能性を予見していたことは明らかというべきものである。

しかるに原判決は、「甲五号証によると、昭和四四年一一月農林省林業試験場の機械化部長梅田三樹男がその場報で『現在問題となっているチェンソー等の使用による振動障害等は、一〇年前の昭和三四年にすでに同試験場の作業研究室で、実験測定を行ない、この種、振動工具の使用によりその作業員にレイノー現象が発症することを報告するとともに当時林野庁において折角の右研究報告が精読されていなかったと思われる。』旨記述しており、試験研究の成果が行政に生かされないという指摘は正しいものを含んで」いるとしながらも(「右の昭和三四年の実験研究とは」前記甲六号証の調査研究を指すものとみられるのであるが)、その研究者の一員である当審証人辻隆道が右研究結果は林業試験場の内部研究として林野庁には報告していない旨原審で証言したことから、その研究結果にもとづき右辻、米田両名が雑誌や単行本に記載の振動障害についての所見に関して「昭和四一年ころまで労働衛生医学の専門家を告め、関係各界に関心を寄せた者がほとんどなかったことにかんがみ、林野庁や労働省当局において林業試験場の右研究結果に注目しなかったとしても、安全保持義務の懈怠があったとは認めるのは相当でない。」として、あたかも林野庁が甲六号証の調査結果を当時認識しないでいたかのようにいうが、これはとんでもない誤りである。

抑々、当時の農林省設置法六四条は「林野庁は六五条に規定するものの外、その附属機関を置く」と規定し、その一つとして「林業試験場」をあげており、同法六二条の二は「林業試験場は林業に関する試験、分析、鑑定、調査、講習並びに標本の生産及び配布を行う機関とする」と定めていて、林業試験場はいわば林野庁の手足ともいうべき機関とされているものである。このような農林省林業試験場経営部作業研究室が、原判決も認めるように「チェンソー三台以上を現実に使用している国有林野の伐木造材事業所の作業員、指導員、事業所主任、営林署の事業課長、機械係を調査の対象として」全国的に実施した甲六号証のチェンソー作業のアンケート調査の結果につき、これを「林野庁に報告していない」とする辻隆道の原審証言が措信されるというのは全く不合理で信じ得ないところであり、右のような甲六号証の調査結果は当時、林業試験場より林野庁に報告されたに相違なく、右辻証言が措信し得ないことは、甲六号証の調査が林野庁の中で当時全国的、大規模に進められ、このアンケート調査につき営林局・署をあげての協力がなされていることが、その調査研究結果内容から明らかであるのみならず、右のような甲六号証また甲一三四乃至一四〇号証等に記されている如き内容の試験、調査研究を林業試験場が全くの自らの意向のみで実施するということは、右農林省設置法下に定めてある官庁組織の上からいってもあり得ないこと等からみて明白である。林業試験場がチェンソー等に関し行なった試験、調査研究の結果はすべて林野庁当局に連絡、報告されている筈のものであり、そのうちのいくつかは被上告人においても本訴上書証として提出しているところである。就中、甲六号証の如き程の内容のものを林業試験場が当時林野庁当局に連絡、報告することがなかったといってみても誰も信用することはできない。

また、辻が甲六号証の調査研究結果を林野庁に報告していないからといって、林野庁が甲六号証の調査研究結果を当時認識しないでいたということにはならない。甲六号証が右述のように、営林局・署あげての調査であったことからその結果につき当時林野庁が関心を抱かなかったとは考えられないところであり、当時林野庁当局側から林業試験場に甲六号証の調査研究結果を問合せる等して、その結果内容を十分認知していたものと認むべきものである。このことは前記甲五号証の「場報」の記事内容が裏づけており、それによれば「当時林野庁において」「右研究報告書が」「精読」「されていなかった」ということから自明のように、林野庁が読んでいなかったとは記されていない。この甲五号証の記事も右辻証言の虚偽を示す資料と認められるが、右記事は少くとも当時甲六号証が林野庁当局において目通しされたことを示しており、ただ「精読」されなかったというものである。このことは林野庁が右甲六号証の調査研究結果内容を当時認識していながらこれを柵にあげて顧みなかったことを明白に証明している。

仮りに林野庁が、甲六号証を当時認識しなかったと主張してみても、林業試験場は前記のとおり林野庁が置いた附属機関であり、林業試験場はいわば林野庁の手足とみるべきものであるから、その林業試験場の実施した甲六号証は林野庁当局に対する連絡、報告の有無如何にかかわらず、それは林野庁当局の当時得た資料と認めるべきものであり、甲六号証につき林業試験場が林野庁に対し連絡、報告をしなかったとしても、それは林野庁と林業試験場間における内部問題であるにすぎず、少くとも林野庁は右甲六号証の調査研究結果の内容を当時認識し、その知見を有していたものと認めるべきものである。

右述のところからして一審判決判示認定のとおり、おそくとも昭和三五~六年の長野営林局作業員の「訴え」時には、林野庁がチェンソー使用者に振動障害の起こることを十分認識、「予見していた」ものであることを優に認定しうるにも拘らず、原判決がこれと異る前記の認定にとどめたのは採証法則、論理則、経験則各違背、また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

2 「林業試験場の研究結果に注目しなかった」について

原判決が三―四四において「右研究結果は、林業試験場の内部研究として林野庁等には報告していない旨証言しているし、その研究結果に基づき、右辻・米田両名が雑誌や単行本として出版した振動障害についての所見に関して、昭和四一年ころまで労働衛生学の専門家を含め、関係各界に関心を寄せた者がほとんどなかったことにかんがみ、林野庁や労働省当局において林業試験場の右研究結果に注目しなかったとしても、安全保持義務の懈怠があったとは認めるのは相当でない」としているのは、使用者の安全保持義務について国賠法四条、民法四一五条の解釈、適用を誤った違法がある。

すなわち、右林業試験場の調査研究の結果というのは、林業試験場が、林野庁の付属機関であることに鑑みれば、たまたま林野庁内の担当係官が右研究結果を知らなかったとしても、林野庁は右の知見を有したものと認定または解すべきことは先に述べた通りである。しかし、仮りに、林野庁の担当者係官が、右研究結果を知らなかったのが事実としても、それをもって免責され得ないものと考える。原判決は、「研究結果に注目しなかったとしても」と述べるが、これは、そのいう意味があいまいである。「知らなかった」場合と「知っていても重視せず、生産第一主義に走った」場合とがあり得るので、知っていてもこれを軽視して、生産増強のみを念頭において導入を推進したとすれば、安全保持義務の懈怠の非難をうけるのが相当であり、これを安全保持義務の懈怠がないとするのは、前記法令の解釈を誤った違法があるものと解すべきであるばかりでなく、前記第二の一(一)乃至(三)の各違法あるものといわなければならない。そこで「知らなかった場合」をここで論ずることとしたい。

公知のカネミ油症国賠事件控訴審判決(福岡高等裁判所五三年(ネ)第一八〇号、第二一一号事件)は、「食品の生産流通を職務とする農林省係官が自己の職務を独自に執行中であっても、その過程で右のような食品の安全性を疑うような事実を探知し、食品の安全性について相当な疑いがあれば、食品衛生義務を本来の職務としないとはいえ、これを所管の厚生省等に通報し、もって権限行使についての端緒を提供する義務を負うものと解すべきである。けだし、複雑多様化した現代社会の仕組みの中で、自己本来の職務の殻にとじこもり、その範囲外のこととして等閑視し、行政庁相互間の有機的連携に意を用いなくては、食品の安全を十分に確保することは困難であり、右の程度の義務を課したとしても甚だしい負担となるものではないからである」と判示し、この判示は学界の支持もうけている。

勿論、食品衛生上の問題と企業庁が新規機械を導入する場合の安全上の検討とは相違する。しかし、前記カネミ事件の判決は、農林省と厚生省という縦割り行政のうえからいえば、所管外の事柄に関する通報義務である。

これに対し本件の場合は、企業庁である林野庁の担当係官と林野庁の内部付属機関である林業試験場の研究者との関係である。勿論、研究者の方は、林野庁の中でチェンソー等の使用が大規模に進められつつあることを熟知していることは、その研究内容から明らかである。また林野庁係官の側では、林業試験場の研究者の側で、チェンソー等を使用する作業員らに対しアンケート調査をなし、これに営林局・署をあげて協力しているのであるから、林業試験場においてチェンソー等の使用に関する調査研究をしていることも当然熟知しているところである。

してみれば、林業試験場の研究者に於てその調査研究の結果を林野庁の関係者に通報する義務があり、林野庁の担当係官の側においても林業試験場の調査研究の結果を精査する義務があったものと解するのが相当である。林野庁の担当者が林業試験場の調査研究の結果を知らなかったとして、国の安全保持義務の懈怠を免責する旨の原判決の所論は、前記各法令の解釈、適用を誤ったものとせざるを得ないのである。

3 「予見していた」ことは、より一層明らかである。

本件において原判決が、林野庁において「何らかの障害が生ずることのある可能性を全く予見できなかったと認めることはできない」また「振動障害の発生を全く予見できなかったとはいえない」との認定にとどめていることが失当であり、このことに関する法令の違背等の違法について右1、2で述べたところであるが、この1、2に加えて更に左の<1>乃至<5>に挙示の甲号証及びこれにより認めうる事情等を総合考察すれば、林野庁が昭和三〇年代前半の早い頃から、チェンソー等導入使用による「振動障害」発生の可能性或はその発生を「予見していた」ことはより一層明らかであり、これを到底否定し得ないところであるにも拘らず、原判決が右甲各号証をその事実認定の用に供してはいるものの、その各内容を正視することなく、林野庁の「予見」内容情況について漫然と前記のように「全く予見できなかったと認めることはできない」「全く予見できなかったとはいえない」との認定にとどめ、このことをもって被上告人の安全配慮、安全保持義務違反を否定しているのは首肯的合理性を全く欠いており、原判決の右認定は重要な証拠資料についての判断遺脱があり、また採証法則、論理則、経験則各違背、また理由不備、理由齟齬の各違法あるものといわなければならない。

<1> 先ず重要なのは、林野庁自らの名で作成されている昭和三二年度、林野庁「林業機械化と労働力の問題」(甲第一三三号証)を挙げなければならない。これを知らなかったと林野庁は絶対にいうことができない。

これによると「チェンソーの運転に伴う振動である。機械鋸と云っても手持工具であり、相当の重量(一〇~一二kg)を両手で支えて作業をする関係上、振動の負荷も比較的強くならざるを得ない。振動の障害については例えば造船の鋲打工等の場合、しびれ、蒼白、関節痛、筋肉痛等の症状を過半数以上の者が呈していることが知られている。又、両手で振動工具を持っている場合、手掌部分の血行障害、空気の膨張のために起る冷却のために手掌部からの放熱の増加、機械的刺激による筋肉痛や関節障害等の生体への障害があることが知られている」とあり、鋲打工の場合の障害と同じ障害の懸念が表意されており、当時すでに鋲打工等の振動障害はわが国法規をもって職業病に指定されていたところである。また振動の負荷が人体に加われば加わる程、その影響が強大となるのは常識でもある。このようにチェンソー使用に伴う振動障害発症の可能性が、当時すでに林野庁自らの資料に掲載されているのである。また、右甲第一三三号証は、続いて「振動、騒音等の環境による労働条件が何故問題となるかと云えば、やはり従来みられなかった、新らしい労働の負荷をもたらしてはいないかと云うことからである。労働の強さのところでも指摘したように、肉体的労働、エネルギー支出の面では確かに軽減されたが、精神的疲労は以前よりもはるかに感ずるようになったと云っているように、機械操作と、機械そのものの振動、騒音は従来にみられない、煩わしさ、気疲れをもたらし、精神的な負荷を与えているものと考えられる。これは今後に残された問題といえよう」と述べており、チェンソー等の導入が労働者を従来の重筋労働から解放するとしても、従来みられなかった新らしい労働の負荷をもたらす危険があることについても、すでに、この昭和三二年の時点において指摘されている。更に、右甲一三三号証は「伐木造材手」につき「機械化―近代化の受入れ体制として労働力の老齢化傾向は消化能力、対応能力からみて決して好ましいことではない」として適応年齢のことにも言及しており、「体力の衰え始めた老齢者は、生理的にみても決して好ましいことではなく、むしろ避けるべきですらある」ということさえも、この時点において指摘しているのであり、このことが原判決のいうような後記の「後になって考」えられたというものでは決してないのである。そして「むすび」のところで、「一般に機械化と云う場合、生産高を上げることのみに気を取られ易く、人間性が軽視され勝ちであるが、これは大局的にみた場合決して得ではなく、却って損を来すものである。機械重点主義ではなく人間が優先しなければならないと考える」としていること既述のところである。

右の林野庁名作成の甲第一三三号証において、右のように述べているところからしても、一審判決が「雇用者としての林野庁は、全く新しい機械を導入するのであるから、機械の人体に与える影響を当然事前に調査研究し、右機械の使用あるいは使用方法によって、作業員に障害がないことを確かめた上で、作業者に対し機械を使用させるべきであった」とするのは当然のことであり、このことはただ単に憲法の基本的人権保障の趣意にかなうものというのみにとどまらず、この当然のことを行わない場合には右甲一三三号証が述べているように「これは大局的にみた場合決して得ではなく、却って損を来すもの」となるのである。林野庁はチェンソー等導入、使用につき自ら発刊の右甲号証の内容に反して、初めから右の当然のことに何ら留意せず、人間を優先させずに、機械重点、生産第一主義でつっ走ったために後日林野庁はその代償を払わねばならぬ破目に陥るのである。従って、原判決も「その導入に当り五十才以上の人や重い既往症のある人にはチェンソー等を使用させないとか」「昭和三六年一一月、同三八年一〇月に全林野が長野営林局に振動障害とみられる訴えを行なったとき林野庁が速かに使用時間の規制その他の対応策を講じておけば、控訴人らから責められることも少なく年々多額に上る労働災害補償もすることがなかったといえる」といわざるを得ないのであるが、にも拘らず原判決は、これらのことは「後になって考」えられることで「こうしたことはその後の経験で判明したことであり」として被上告人を庇うのであるが、甲一三三号証右記述内容は庇いが庇いになっていないことを示している。このように右甲一三三号証は、林野庁がすでに昭和三二年の時点において、鋲打工等の振動障害と同じくチェンソー使用による振動障害発生の可能性を予見していたことを示すに十分なものであり、この資料だけでも一審判決判示のとおり、昭和三五年長野営林局管内作業員の「訴え」により振動障害の発生が明確となったものと認めるに足るものといわなければならない。

<2> 次に甲一三四号証であるが、これは林野庁の右甲一三三号証の後に農林省林業試験場が昭和三四年二月作成した研究報告書である。この中に秋保親悌他二名の「チェンソーによる伐木造材作業試験」なる小論があり、それによると「昭和三二年九月一〇日から一〇月四日」までの間に行なったチェンソー試用試験の結果「チェンソーの使用が本格的になってくるにしたがって、騒音、振動、排気ガスなどによる障害を考え、その対策をたてておく必要が痛感されるようになってきた」と述べられているのである。

林業試験場は、前記のように林野庁の附属機関であり、それが業務として行なった右の試験、調査研究結果の報告内容を、林野庁が知らなかったということのできないこと前記のところである。

<3> 次は甲一三五号証の林業機械化情報である。これは昭和三二年七月二五日発行のものであり、それに農林省林業試験場作業科が「海外の動力鋸研究」と題し、「ヨーロッパでの林業用動力鋸についての研究概要」の論文を紹介発表しており、これは甲一三四号証より以前の資料である。

これによると、動力鋸(つまりチェンソーのこと)に関する諸外国の概況が記されていると共に、動力鋸使用中の振動に関して「一般に連続的な振動は」「人体には、永久的に無能力になってしまうような血管の収縮をおこすことがある。」「それ故、メーカーがわとしては、つとめてエンジンの振動を軽減させる努力が必要である」という記述があり、この昭和三二年の時点において、すでに「一般的に連続的な振動」が、人体に与える影響を重視してその「振動軽減の対策」が「作業者の保護という観点から必要なこと」が指摘されていると共に、「動力鋸の振動が使用者の健康に与える影響は累積的なものであること」またわが国のような「山岳地帯で動力鋸をつかおうとする」ときの様々な困難についてもあれこれ指摘されている。従って、こういったことも後記の原判決のいう如き「その後の長年にわたる経験」を積まねば分らなかったというものではない。

右の論文紹介は、甲一三四号証と同じくわが国「林業試験場作業科」の名をもってなされており、右論文が林業試験場の資料であることは疑いのないところであり、この資料も林野庁が知らないということはできないこと前記のところと同様である。

ところで、林業機械化協会発行の林業機械化情報は、被上告人も乙号証として後記のとおり援用するわが国林業試験場及びその所属員の調査研究結果等をも掲載発表しうる定期刊行物であり、この情報資料を知らないでわが国有林野事業遂行を適正に遂行し得ない程の有力な刊行物であること、本件訴訟において当事者双方から書証として提出されている林業機械化協会発行の刊行物の各内容に照らし、自ら明らかである。従って、林業機械化情報に掲載の上告人ら提出にかかる甲各号証の林業機械化情報の各資料も亦、林野庁においてその発刊の頃、いずれも入手認識してその知見を得ていたものとみざるを得ない。

<4> 次は、甲一三六号証と甲一三七号証であるが、いずれも林業機械化情報であり、甲一三六号証は昭和三二年九月二五日発行のもの、甲一三七号証は昭和三三年一月二五日発行のものである。この両者は林野庁名の甲一三三号証及び林業試験場の紹介発表文である甲一三五号証よりも若干後のものであり、甲一三四号証の林業試験場研究報告よりは以前の秋保親悌と宮川信一の論文が掲載されている。この両人は、当時いずれも振動試験場職員である。右の甲一三六号証の中で秋保親悌は「チェンソーの騒音」と題する所論において、「チェンソーの使用にともなっておこってくる問題」の一つとして「振動」をあげていて、「現段階でのチェンソーではかなり大きいようでその障害についても一後考えておく必要があろう」とするだけでなく、これにつき「より振動の少ないチェンソーの出現を期待してこの原稿を終る」とし、チェンソーの振動がおろかにできないものであり、その防止、軽減の必要性をすでにこの時点において指示しているのである。また、甲一三七号証の中の秋保親悌の「チェンソーの騒音と耳栓(ミミセン)の効果」は右甲一三六号証と同様「騒音振動」「による障害を考究し、その対策をたてておく必要があろう」と繰返し指摘している。また、宮川信一の「自動鋸による伐木造材作業の今後の問題点」も亦「自動鋸の騒音」のみならず、「振動についても」「決して等閑視出来るようなものとは思われない」と警告しているのである。

<5> 右宮川、秋保らも辻隆道、米田幸武と同様、当時林業試験場職員であり、その頃、林業試験場がその業務としてチェンソー使用による人身障害の危険について十分に予知し、その対策の必要を認識し、これを提言していたことを認めるに十分である。

わが国農林省林業試験場は、前記のとおり法規に基づく国の機関であり、その職分として行なった試験、分析、調査の結果等は、わが国における知見、経験として最高のものに属し、しかもこの知見、経験は被上告人国自らのものに相違ないのであるから、これを原判決がいうが如き「作業研究室の内部研究資料にとどめ」たとか「林野庁等に連絡通知することも、部外へ公表することもなかった」ということで、林野庁が我関知せずとしてその責を免れうる筋合のものではない。

従って、林野庁が右甲各号証について、うち甲一三三号証を知らないといえないのは自らのものであるから当然であり、また甲一三四乃至一四〇号証の林業試験場及びその所属員の資料につき、これ知らないといえないことも前述のところから勿論であるが、甲一三五乃至一四一号証の林業機械化協会発行の林業機械化情報等についても、これらは前記のように林野庁がチェンソー等の導入、使用により、これによる事業推進を行う上での有力情報でもあり、且つ右事業を推進する当の本人であることからも、これを知らないですましうるものでなく、当然にこれらも当時認知していたものとみるべきものである。このことは、被上告人国が、自己に有利な林業試験場の資料及び林業機械化情報の数々を左のとおり証拠提出していることからみても明らかといわざるを得ない。

被上告人国が本訴において証拠提出している林業試験場及び林業機械化協会発行の林業機械化情報等は乙三四、三七、三八、二〇〇、二〇二、二六二乃至二六七等及び乙一五四乃至一五六、二五四、二九五等であり、自己に有利なもののみを見て、あとは知らなかったといって通るものではない。

右<1>乃至<5>からも分るように、林野庁はチェンソー等の導入、使用にあたり、チェンソー等に関する林業試験場資料また林業機械化情報等の知見のうち、その機械化事業推進に役立つ、その証拠提出にかかる右乙各号証に述べられている知見を採用したが、その推進の妨げとなる上告人ら証拠提出の甲一三四乃至一四一号証の各証拠資料の知見については、これをいずれも当時認知していながらこれを採用しなかったのである。それだけでなく、自らの名をもってする甲一三三号証の知見まで無視し、または軽視してこれを棚にあげ、もっぱら機械化促進の道を一路進んだのであり、林野庁が、チェンソー等導入、使用につき、すでに早くから右甲各号証の知見をも有し、振動障害発生の可能性を「予見していた」ことは否定しようのない事実である。この点につき、一審判決が「昭和三五年の長野営林局管内の作業員の訴えにより、チェンソー使用者に蒼白現象等の振動障害の起ることが明確になった」とした判示はまことに正当である。

従って、原判決がただ単に「林野庁がチェンソー等の実用開始し順次これを増加させた昭和三〇年ないし同三六年ころ、チェンソー等を導入するとそれを使用する者の身体にに何らかの障害が生ずる可能性を全く予見できなかったと認めることはできない」とか「前述のように林野庁は振動障害の発生の可能性を全く予見できなかったとはいえない」との認定にとどめて、「予見していた」ものとしなかったについては標記の法令違背の各違法あることが明らかである。

(2) 「当時の知見、経験からみて、身体に振動障害が発生することはないと思って」チェンソー等を導入、使用させたことについて

また、原判決は「当時の知見、経験からみて身体に振動障害が発生することはないと思ってチエンソー等を導入し、使用させたもの」と認定(三―四弐)しているが、これは原判決が明らかに事実を歪曲しており違法のものである。

すなわち、原判決は「当時の知見、経験からみて」というのであるが、「当時の知見、経験」とは、原判決が引用の被上告人に有利なものやそのいう医学界等のもののみが「当時の知見、経験」ではなく、上告人らが、前記列挙の諸事情は勿論のこと、甲六号証を始めとし甲一三三乃至一四一号証等も原判決のいう「当時における知見、経験」に属するのであり、しかも、これらの大部分は、いずれも、チエンソー等使用によるまたはその使用により予見される健康障害の知見、経験としては、当時のわが国におけるものとして、レベルの高いものであること前記のところである。しかも、林野庁自らのもの、また農林省林業試験場という被上告人国のものもあるのであつて、その有力、信用性において他の追随を許さないものがある。

原判決によれば、「振動工具の使用」による「振動障害」は、「相当長期間使用して後発症するもので、イギリスではその発症までの期間を振動障害の潜伏期間といい、二年ないし五年とみている」(三―弐)というが、何もイギリスの例を借りるまでもなく、上告人らが如上縷々指摘してきた証拠及び諸資料等は、その「知見、経験」が、振動機械使用による振動の使用者に与える影響が累積的なものであること、チエンソー等使用の場合も鋲打機等、他の振動工具使用の場合と同様な人身障害発生の可能性あること、のみならず、右振動の影響、累積による人体の健康障害防止のためには、チエンソーによる振動についてもその経減等の対策樹立の要があること、また高齢者の機械使用は要注意のこと等を明らかにしているのである。

このような右諸資料に基づく当時の知見、経験は、チエンソー等使用による振動障害に関する当時の医学的知見、経験がどのように未熟なものであつたとしても、チエンソー等使用による振動障害の発生またはその発生の可能性を予見するに十分な内容のものである。

原判決は、「辻隆道および米田幸武の右所見につき、労働衛生医学界を含む医学界からも、また林野庁、全林野、民間の林業者等、チエンソー利用関係者からも昭和四一年までは関心がもたれた形跡がなく、辻らが前記文献でチエンソー等の使用によつて生ずる疲労症状であると指摘した手指の蒼白やしびれ、上肢の関節痛、筋肉痛について、昭和四〇年五月、名古屋大学医学部衛生学教室助教授山田信也らが日本産業衛生学会で、チエンソー使用作業員の手指にレイノー現象が発症し、その末梢循環系に異常所見があり治療を必要とする報告とするまで、わが国において、チエンソー使用によつて振動病が発症することを指摘した知見やこれを予見した知見も発表されることはなかつた。」(三―弐六)というが、前述のように医学的知見のみが「知見、経験」というものではないし、「医学的知見」でなければ、「知見、経験」に値しないということにもならない。また、医学的知見、経験が発表されない障害は、障害ではないということにもならないのである。

なお、医学界等から「辻隆道および米田幸武の右所見」等につき関心がもたれなかったとすれば、それは林野庁等企業者のせいである。林野庁は前記のように長野営林局管内作業員の「訴え」以降においても、NHKテレビ「白ろうの指」放映まで約五年もの長きにわたりチエンソー等による振動障害を否定してきたり、昭和三八年一一月の甲一一号証のアンケート調査についての林野庁の姿勢も、振動障害防止につき前向きのものでなく後退的なもので、大したことはないとして問題を矮小化して不問に付してしまい、そのころ右調査結果の一部のみを漸く公表したのみで、その大部分を公表せずにかくすという不明朗な態度を採り、更に林野庁は右調査結果に基づく実態調査の実施対策の樹立を延期してしまう有様であり、このような林野庁の当時の動向は、三浦豊彦博士の甲一七九号証(464、468頁)及び甲六七号証(324、325頁)により有らかである。また、右三浦博士は右甲六七号証324頁で、企業の振動障害に対する取組姿勢の消極性を指摘しており、また同博士の乙三〇二号証はその727頁7行目以下において、チエンソー実用化の昭和三二~三年頃「各種産業」は「振動障害の調査など余り歓迎しない時期であ」つたといい、そのために「症状自身なかなかつかみにくい」と記述しているのである。

このように林野庁を始めとする企業者は、チエンソー使用による健康障害発生の情況を、極秘或はできるだけ矮小化していたものであり、三浦豊彦博士のような専門医学者ですら、その研究調査を林野庁、企業者に歓迎されなかったというのであるから、山田信也の前記調査研究の頃までチエンソー等の振動障害について、世上一般は勿論のこと、その他の医学者らが辻、米田の各所見等を知らず、また関心をもたなかったとしてむしろ当然であり、格別の不思議はない。原判決も、五―六〇において、一審原告岡本吉五郎の手指蒼白等の症状訴えにつきこれを診断した「沢本幸正」医師が、その症状を現認したにも拘らず「当時はNHKテレビで白ろう病が放映される前であり、同医師にも右蒼白発作の発症原因が不明で」「医療方法も不明のため、亡岡本に蒼白発作が発症したときはその手を温水と冷水に交互に浸漬する物理療法やマツサージを行うよう勧めたにとどまった」としているのである。

従って、前記の長野営林局管内の「昭和三六年一一月」また「昭和三八年一〇月」の作業員の健康障害の「訴え」(三―弐八、弐九)についても「管理医」また「坂下病院医師」が、適正な診断をなし得なかつたとして格別の不思議はなく、もし、右医師らが当時甲六号証その他振動障害の諸資料を林野庁から示されたうえで診断を行なっていれば、その「訴え」がチエンソー等振動機械の作業による影響であることを容易に診断できたであろうに、本件記録上明らかなように、林野庁側はそのようなことを右医師らに対し全くしていないのである。

全林野の依頼に基づく名古屋大学山田信也の調査、研究にあたつても、林野庁係官から「大学の研究上の興味でおこなうことに協力する必要はない」(甲六一号証、11頁左欄)等の嫌味を投げかけられたのである。

右述のところから白明のように、医学界等の関心如何をいうならば、それは三浦博士も指摘する林野庁の前記の如き、チエンソー等使用による振動障害の否定或は矮小化の動向、姿勢を抜きにしては考えられないのである。

原判決も三―参参でいうように、山田信也の右調査、研究の「発表」とNHKテレビ「白ろうの指」とが結びついて「一挙にわが国の社会的注目を集め」そのために林野庁が従来のチエンソー等振動障害無視、軽視の傾向を急変してから「以後」、この急変により「チエンソー使用による振動障害に関する研究、所見が医学界や文献で多数発表」輩出してくるのである。

全林野は、昭和三五年の長野営林局管内の作業員の「訴え」以降、作業員に発生、拡大の健康障害についての調査及びその防止等を林野庁当局に求めてきたが、この誠実な対応がなく、林野庁が、右健康障害につき、チエンソー等の使用によるものであることをあくまで否認等しつづけることから、やむを得ず独自の調査を行い、更に名古屋大学山田信也にその調査研究を依頼するに至つたのである。これに対し林野庁は、右のようにチエンソー等の導入、使用による振動障害発生の可能性を早くから「予見していた」ものであるのに、「人間」よりも「機械」による生産の方を優先して、「チエンソー等の全面作業推進の方針を採用したために、「辻隆道および米田幸武の右所見」につき「関心」をもとうとしなかったにすぎないのである。

「辻隆道、および米田幸武の右所見」等に他が関心をもたなかったからといって、チエンソー等導入、使用による事業を行う林野庁が他と同様に「関心」をもたなくともよいということにはならないし、また「関心」をもつていなかったということにもならない。

ともかくも、林野庁がチエンソー等使用により人身に「何らかの障害」にとどまらず、「振動障害」発生またはその可能性を予見していたことが明らかなこと前記(1)において述べたところであり、また「当時の知見、経験」なるものの実体が右述のとおりである以上、当時の医学界等の知見、経験が未熟であり、また当時、他が振動障害に関し関心を抱かなかつたとしても、当時林野庁が原判決のいう如き「身体に振動障害が発生することはないと思つてチエンソー等を導入し、使用させた」というようなことはあり得ない事実である。

一審証人三品忠男、同星沢正男、同宗石幸吉ら及び乙九、一〇、八六号証のチエンソーの導入、使用にあたり、振動障害発生の可能性を予想していなかった旨の証言、供述は、林野庁内における特定部局に所属の担当係官が得た個々の情報または認識であるにすぎず、これらをもつて、当時の林野庁の認識或は「予見」に関する内容とすることはできない。

してみれば、原判決認定の「林野庁」は「当時の知見、経験からみて」「身体に振動障害が発生することはないと思つてチエンソー等を導入し、使用させた」ということはありうべからざる虚構の事実認定であることが明白である。にも拘らず、原判決が右の認定に出たのは、事実の歪曲としかいうほかはなく、採証法則、論理則、経験則各違背、また理由不備、理由齟齬の各違法あるものといわざるを得ない。

(3) 右(1)前段の「何らかの障害」「予見」に関し「安全配慮義務の不履行がない」としたことについて

1 「振動障害」発生の可能性まで「予見していた」ことについて

原判決は三―四〇乃至四弐において「林野庁」が「昭和三〇年ないし同三六年ころ」「何らかの障害」を「予見できなかったと認めることはできない」としても、そのいう諸事由(後記イ乃至トの点)により「林野庁がチエンソー等の導入に当り振動障害の発生を心配して特別の配慮措置をしなかったことあるいはその後において使用中止しなかったことをもつて、控証人に作業員に対する安全配慮、安全保持義務の不履行があつたと認めることはできず、それについて予じめ又はその後使用中止の措置をとらなかった点になすべき注意を怠つた過失があったと認めるのは相当でない」というが、この所論は憲法等関係各法規に違反し、また、国賠法四条、民法四一五条の解釈、適用を誤つた違法のものであること前記第二の一、(一)乃至(三)において述べたところであり、また右所論の「予見」に関しての事実認定につき法令違背があり、林野庁の予見関係については、ただ単に「何らかの障害」というにとどまらず、「振動障害」発生の可能性を、しかもただ単に「予見できなかつたと認めることはできない」「予見できなかったとはいえない」というものではなく、その発生またはその可能性を「予見していた」とすべきものであること前記のところである。のみならず、右所論は、そのいう諸事由が左記イ乃至トで述べるとおり、いずれも失当または事実認定について判決に影響を及ぼす法令違背があるものであり、またこのことからも国賠法四条、民法四一五条の解釈、適用を誤った違法のものであることを明らかにする。

2 原判決のいう諸事由は左のとおりすべて失当、違法のものである。

イ 「感覚上弱い」との点

先づ原判決は「チエンソー、ブツシユクリーナー使用により身体に伝わる振動の強さは」「さく岩機、鋲打機の振動と比較して感覚上弱いと認められる」というが、「振動の強さ」(現在では加速度を用いている)が、「感覚上弱い」としても、果していずれの機械が工学的に強度であるかは一概にはいえない。のみならず、振動障害は振動の影響の蓄積に基づくものであること原判決も「振動工具による振動が」「継続する」ことにより生ずるとしていることから明らかであり、このことから振動暴露時間の長さも大きな要素であることが自ら明らかである(甲二〇一号証の二40頁等)。

この点一審判決は、「振動の影響は蓄積すると考えられ、主として(振動機械による一連続振動暴露時間、暴露と暴露の間隔の長短、その他の労働環境の影響もあるが)チェンソー、ブッシュクリーナーの使用の長い程振動障害の発生率の高いことが認められる」としている。

そうしてみれば、削岩機、鋲打機は振巾が大きいこともあり、チエンソー、ブツシユクリーナーの振動と比較して「感覚上弱いと認められ」ないということから、その一連続使用時間或は使用時間は人体にとり自ら限度、制約があり、短時間をもつてとどめざるを得ない。これに比較してチエンソー、ブツシユクリーナーは「感覚上弱いと認められる」ことから、その一連続使用時間及び使用時間は自ら長時間にわたり、過度に陥る危険性が極めて高いのであり、人体の安全面からいつて、むしろチエンソー、ブツシユクリーナーの方が要注意とさえ考えられるのである。三島好雄教授は「蒼白発作はチツピングハンマー使用者よりもチエンソー使用者のもののほうが高度」(甲二一五号証)といつている。

また、チエンソーに関する文献として、林野庁自身、また林野庁が当然認知している筈の前記の林業試験場及び「林業機械化情報」等前記甲各号証の諸資料は、前記のようにいずれもチエンソーの振動による人体障害の危険をいうだけでなく、その対策の必要性まで明示しており、うち林野庁の昭和三二年度「林業機械化と労働力の問題」(甲一三三号証)は、鋲打工具による振動障害の症状を記し、これを引用して、チエンソーについても鋲打工の場合と同じく振動障害の懸念の意を表示している。また甲一三五号証の林業試験場作業科の資料によると「一般に連続的な振動は」「人体には永久的に無能力となつてしまうような血管の収縮をおこすことがある」としている。

従って、原判決のいう「感覚上弱い」ということをもつて、被上告人の安全配慮等義務を限縮、軽減して故意、過失がないとすべきものではない。

ロ 「振動障害」の「補償事例」が少いとの点

原判決は「昭和二二年以降さく岩機や鋲打機による振動障害」が「労基法で職業病に認定されて」いることを認めていながら、その労働災害としての「補償事例」が「毎年少なく、多くても一〇件前後に過ぎなかった」ということをもって、被上告人の安全配慮等義務を限縮、軽減する事由とするのであるが、いやしくも右の「職業病認定」があり、チエンソー、ブツシユクリーナー使用によっても同様の障害発生の可能性が予見され、または予見できた以上、これ亦限縮、軽減の事由とすることはできない。

ハ 内外「医学界」の「関心」が低いの点

また原判決は「昭和四〇年ころまでわが国の医学界で、チエンソー使用により補償を必要とする程の身体障害の発生を予言した見解はな」いとか「アメリカは勿論イギリス等の外国の医学界のほとんどの見解もわが国の右の所見と同様で」、ソ連、オーストラリアの「文献も当時」「入手困難」また「わが国に紹介された形跡がないし」「昭和四〇年以前におけるわが国の医学界のさく岩機や鋲打機等による振動障害についての関心は低く、労働衛生医学の専門家の見解にも、振動により重い障害が生ずると警告した例がほとんどな」い等いうが、外国の情勢については、原判決も認定のドイツ共和国の例や前記甲一三五号証、また「入手困難」であったとはいえ、松藤言及のソビエトの学者の所見の紹介等、更にはイギリスには前記の少数意見もあり、また、医学界の「警告」例がないとしても、このことにつき林野庁、企業者の消極的、閉鎖的対応姿勢が看過できないこと前述のところであり、このような企業者の動向は、むしろかえって被上告人の有責を示す資料とさえみられるのである。

のみならず、甲一三三乃至一四一号証等の諸資料は、林野庁が振動障害発生またはその可能性を予見していたことを十分示すものであること前記のところである以上、原判決がいう内外医学界等の情況如何は、被上告人の安全配慮等義務を限縮、軽減する事由とすることはできない。

ニ 「労働能力の減少例」「転職の事例報告」が少いの点及び「凶器」ではないの点

また原判決は「労働能力の減少例や転職の事例報告も稀少であつた」というが、なかつたわけではない。また「当時の社会的背景からみて林野庁が伐木造材の作業員を重筋労働から解放し、効率のよいチエンソー等を導入したことに批難すべき点はなく、それに供されたチエンソー等は有用な工具でそれに接触したらすぐ身体に障害を発生さすような危険な凶器ではなく、その使用を許さぬという根拠はない」というのであるが、チエンソー等の導入が作業員の重筋労働を解放するとしても、昭和三二年当時の前記林野庁の甲一三三号証の資料は、その使用の方法如何等により「新らしい労働の負荷」を当時すでに危惧しているのであり、その危惧する新らたな障害発生またはその可能性を林野庁が「予見し」また予見し得た以上、これを導入するからには、その導入、使用による健康障害及びその危険が生じないよう万全の防止措置をとるべきものであること前記一(三)及び後記第六の一において述べるとおりであり、重筋労働解放の故をもつて、右措置をおろそかにしてもよいということにはならない。また、チエンソー等が、例えば爆弾、日本刀等のような器具ではないとしても、その使用により作業員の肉体的、精神的安全をおかし或は身体を損傷させることのないような万全の規制と予防措置が講じられないときは凶器と化するのである。本件においては、林野庁が右の規制と予防措置を講じなかったためにチエンソー等が凶器と化したのである。この意味において、上告人らは本訴において「その機械はこれを操作することにより、操作する者の身心に損傷を与える危険のない性能あることを要するのは勿論のこと、ただそれのみにとどまらず、当該機械を操作させるにつき、これを操作する者の生命、身体、健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負つている」と主張している(一審判決事実摘示)のである。従つて、原判決が「有用な工具でそれに接触したらすぐ身体に障害を発生さすような危険な凶器ではなく、その使用を許さぬという根拠はない」というだけでは、被上告人に故意、過失がないとする事由とはなり得ない。なお「凶器」の点については後記第六においても述べる。

ホ 「振動障害」「発症までには相当な年数を要する」等の点

更に原判決は「振動障害はその使用開始から発症までには相当な年数を要するのが普通である」とか「その使用者全員に発症するものでな」く「各学者の症度分類によつても振動障害による症状と同じ症状は加令その他の疾病によつても発生するものが多くその区別が難しい」というが、振動障害は振動の影響の蓄積によつて生ずるものであり、相当期間経過後に出現する性質のものであることは、何もあとになつて始めて判つたことではなく、チエンソー等導入の頃すでにさく岩機、鋲打機等の例から分りきつていたことである。従って原判決の右いうところが何故に被上告人の安全配慮義務を負う場合を限縮、軽減する事由ということになるのか皆目分らない。また、振動障害が「使用者全員に発症するものでな」く、またその症状と同じ症状が他の原因によつて「発生する者が多くその区別が難しい」ということが、何故に被上告人の安全配慮等義務の限縮、軽減の事由ということになるのか、これ亦さつぱり分らない。振動障害が「使用者全員に発症するものでな」くとも、またその症状に似た症状が他の原因によつて生ずることが多く「その区別が難しい」としても、導入の頃前記のようにすでにチエンソー等による作業員の「何らかの障害」また更に「振動障害」発生またはその可能性が被上告人において予見できたうえ、その対策の必要まで提唱されていたのであるから、どの作業員にもその発生、増悪のないように万全の措置をとるというのが、作業員の業務遂行に対応する被上告人の当然の義務というべきものである。右障害発生防止の努力をしてみても、その障害発生防止が本来的に不可能とみられるものであつても、その防止のためにとにかく最善の努力をしてみるというのが人の道である。いわんや収益追求の企業がそのことをなすべきは当然のことであり、原判決のいうところは、林野庁の見解そのままに当初から或る程度の障害発生はやむを得ないとする違法且つ不公正のものである。

ヘ 「全林野」等も「振動障害」を「予見」しなかつたの点

また原判決は「全林野をはじめ、チエンソーを使用した被控訴人らを含む作業員にもチエンソー等の使用開始時に振動障害を予見したものはなかつたとみられる」とし、これを被上告人の安全配慮等義務の限縮、軽減の一事由とするのであるが、これは、だから被上告人も予見しなかった或はそれ程大事になるとは思っていなかつたとでもいいたいのであろうか。全林野や上告人らを含む作業員らが、チエンソー等の使用開始時に振動障害等の健康障害を予見しなかつたことは疑問の余地がないが、昭和三五年の長野営林局管内作業員の「訴え」時以降、全林野はその使用による作業員の健康障害の発生を知り、それ以降このような健康障害の発生、拡大の傾向にも拘らず格別の防止措置をとることもなく、チエンソー等全面作業を従来どおり継続する林野庁に対し、適切な措置をとるよう再々要求してきたのである。これに対し林野庁は「何らかの障害」のみならず「振動障害」の生ずる可能性またその防止対策の必要性をも前記のとおり導入の頃からすでに予見し、また予見できたにも拘らず、適切な防止対策を全く行わないまま漫然導入し、右作業員「訴え」の健康障害が生じ更にこれが拡大増悪の傾向を示しても、それがチエンソー等使用によることを否定し或いは大したことはないといって、従来どおりのチエンソー等作業を昭和四四年の四、二六確認まで、右発生、拡大防止についての適切な措置をとることもなくこれ亦漫然と継続遂行したのである。

従って林野庁は、前記のとおりチエンソー等導入の頃から「何らかの障害」のみならず「振動障害」の発生またはその可能性を予見し、また予見できたのであるから、その当初から一審判決判示のように「事前に調査研究し、右機械の使用あるいは使用方法によって、作業員に障害がないことを確かめた上で、作業者に対し機械を使用させるべきであった」ものであり、更に右作業員の「訴え」以降はチエンソー等使用による健康障害ありとして全林野が問題視してその調査及びその防止策を求め、またその後、作業員の健康障害が更に発生、拡大している以上、仮りにその使用を継続するにしても、その操作する作業員の身体安全確保のための万全の規制と予防措置を講じ、その措置のもとに操作を行わせるべきであったものである。

抑々、振動障害はその原因が明白であり、その原因たる振動の影響の蓄積により生じ、またその蓄積がなければ生じないのである。その発生機序が不明であり、未解明のことがあるにしても、振動障害は振動機械を使用すれば生ずる可能性があり、また使用しない限りは生じない。また、振動障害が発生している障害者が依然振動機械使用を継続すれば、障害悪化の危険が多大であり、これに対し、その使用を中止、制限すれば障害の悪化は停滞する。

蓋し、振動障害の発生、拡大、増悪はいずれも振動の影響の蓄積により生じ、その蓄積の度合により進行決定されることになる。これは原判決のいうような「その後の経験で判明した」という筋のものではなく、その「経験」を持つまでもない、導入当時においてすでに判明していた当然の事理であり、原判決によるも「対策を講ぜず永年経つと全身的障害となる可能性」があるとしているのである。

この事理は「当時の」医学的知見や医学的解明がなければ分らないというものではなく、この事理につき右の医学的なものを借りる必要は毫もない。当時の医学的知見、経験がどうあれ、チエンソー等使用を継続すればする程振動障害の発生、拡大、増悪は進行し、その使用を中止または制限すれば、その進行が停滞することになるのである。

右の事理を否定できない限り、現にチエンソー等使用の作業員の健康障害が発生、拡大、増悪の傾向がある以上、これを防止する最有効策としては振動影響の蓄積を阻止することが必要で、それが一審判決判示のとおりチエンソー等の使用の中止であることも理の当然である。中止ができないというのなら、振動の影響の蓄積防止を極力軽減、減少する、手っ取りばやで、金のかからぬ次善の有効策としては、一刻も早い使用時間の大巾制規以外にないことはこれ亦明白なことであり、少くとも原判決のいう「その使用時間規制の基準」が不明等として、現に健康被害が発生、拡大しつつある現状の作業方法を従来どおり継続することはできない筈である。

原判決が右にいうところは、後記の林野庁の「人体実験」を弁護して、生体の安全及び個人の尊厳を侵ことを是認する空恐ろしい所論であり、被上告人の自業自得である「年々多額に上る労働災害補償」支出の弁論に眩惑され、個人の尊厳を擁護すべき司法の正当な任務を忘れた皮相浅薄な議論というほかはない。チエンソー等導入以来、昭和四〇年三月の前記NHKテレビ「白ろうの指」の放映までは勿論のこと、更に昭和四四年の四・二六確認までの一〇年を越える期間にわたり、林野庁の適切な防止措置がなかったことが、原判決別表第八の昭和四〇年度以降昭和五〇年度までの間、実に二、九七七人(うち高知局五三四人)もの多数の公務災害認定者を出す原因となつたのであり、これを「その後の経験で判明したこと」とか「多くの経験例を積重ねねば判定できないこと」と原判決がいうのは失当も甚だしく、「林野庁にこうした配慮や時間規制に欠け」ていたのは、林野庁が右記の当然の事理に背き、これをも否定しようとしたからにほかならないのであつて、「当時の知見、経験」に右の事理を否定またはこれに反するもののあろう筈がない。

従って原判決が「当時の知見をもつてしては控訴人に債務不履行があると認めることは相当でない」という(三―四参)のは全く失当である。

右述の次第であるから、「全林野をはじめ、チエンソー等を使用した被控訴人らを含む作業員にもチエンソー等の使用開始時に振動障害を予見したものはなかつた」ということは、上告人(一審原告)らが、全く善意の一方的被害者であることを示しこそすれ、被上告人の安全配慮等義務をいささかも限縮、経減する事由とはならない。

ト 「当時の知見」では「振動障害」の仔細まで「予見」できなかつたの点

また、原判決は「当時の知見によると控訴人がチエンソーの導入によって発生することのある振動障害の性質、程度、どういう人に発症し易いか等まで予見できたと認めることはできない」と認定しているが、およそ、身体髪膚は何人といえども、その程度如何を問わず、正当の理由ない限り、その毀傷は許されないところ、原判決の前記の「機械文明の発達」云々の「評論」がその根拠となり得ないことは既に詳述したので繰返さない。従って「当時の知見」により、一般に「何らかの障害」また「振動障害」発生またはその可能性が予見または予見できた以上は、原判決が右にいうような「予見」までできなかつたからといつて、被上告人の安全配慮義務をいささかも限縮、軽減する事由とはなり得ない。

のみならず「当時の知見」として、林野庁自らの前記甲一三三号証は当時すでに「チエンソーの運転に伴う振動」につき、鋲打工の振動障害と同様の障害発症の懸念が表明されていると共に、「機械化―近代化の受入れ体制として労働力の老化傾向は消化能力、対応能力からみて決して好ましいことではない」として、適応年齢のことにも言及しており、「体力の衰え始めた老齢者は生理的にみても決して好ましいことではなく、むしろ避けるべきですらある」としていること、チエンソー導入による振動障害の性質、程度に関し更に甲一三四乃至一四一号証の明白な証拠もあることいずれも既述のところであり、また昭和三六年出版の甲第六九号証松藤元(171乃至193頁)は「振動病に羅りやすい素質を有する人」だけでなく「振動を受けて悪化するような疾病をもつている人」を「振動作業につけないようにすることは予防上大切なことである」(なお労働安全衛生法六八条、一一九条一号、一二二条、労働安全衛生規則六一条三号)としており、原判決は右の明白な甲各号証を無視または歪曲してこれに反する標記の認定また所論に及んでいるものであり、この点において採証法別違背、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(4) 右(1)後段の「振動障害」の「予見」に関し違法性がないとしたことについて

原判決は三―四弐において「林野庁は振動障害の発生の可能性を全く予見できなかったとはいえないが、当時の知見、経験からみて身体に振動障害が発生することはないと思ってチエンソー等を導入し、使用させたものであるから振動障害が発生したとしても控訴人に国家公務員災害補償法による補償以上に債務不履行の責任を負わさねばならぬ程の批難を加うべき違法性があると判断することはできない」というが、この所論が憲法等各法規に違反し、また国賠法四条、民法四一五条、国家公務員災害補償法五条等の法解釈、適用を誤ったものであることについては、前記第二の一(一)乃至(三)において述べたところである。更に、右所論の「予見」の点に関して、また「当時の知見、経験からみて身体に振動障害が発生することはないと思つて」の各事実認定につき、判決に影響を及ぼすこと明らかな各法令違背等があり、その真実は、林野庁が「振動障害」の発生またはその可能性を「予見していた」ものであること、いずれも前記のところであり、また、従って右所論は国賠法四条、民法四一五条を適用しなかった違法がある。

(二) 林野庁の振動障害「対策」について

この点、原判決は時期毎、或は問題毎に分って論じている様子のため、以下、(1)乃至(3)及び(三)のとおり述べる。

(1) チエンソー等導入以降、昭和四〇年二月名古屋大学山田信也の「発表」までの間について

原判決は三―四弐、四参において「後になつて考えると控訴人はその導入に当り五十才以上の人や重い既往症のある人にはチエンソー等を使用させないとか」「昭和三六年一一月同三八年一〇月に全林野が長野営林局に振動障害とみられる訴えを行ったとき林野庁が速かに使用時間の規制その他の対応策を講じておけば被控訴人から責められることも少なく、年々多額に上る労働災害補償もすることがなかったといえるのであるがこうしたことはその後の経験で判明したことであり、その使用時間規制の基準も多くの経験例を積重ねねば判定できないことで今日においてもどの程度の時間規制が一番よいかという標準は必ずしも明らかでないのであるから林野庁にこうした配慮や使用時間の規制に欠けることがあったとしても当時の知見をもつてしては控訴人に債務不履行があると認めるのは相当でないと判断する」というが、この所論が、憲法等関係各法規に違反し、また右所論が国賠法四条、民法四一五条の法解釈、適用を誤った違法のものであることは、前記第二の一(一)乃至(三)において既述のところであるが、ここにおいて右法解釈、適用の誤りにつき、更に左記のとおり附加詳論するとともに、右所論には左記のとおり事実認定についての法令違背もあり、従ってこのことからも右所論が国賠法四条、民法四一五条の解釈、適用を誤った違法があることを明らかにする。

すなわち、今日、新しい機械の開発が多数にのぼっており、その相当数のものは高性能のものであるが、機械の機能が高度のものであればある程、一面それは相当の便益をもたらすけれども、その反面、同時に相当の危険を伴うとみるのは、むしろ社会常識でもあり、本件チエンソー、ブツシユクリーナーについては、前記のように重筋労働からの解放があっても、新しい負荷の身体に及ぼす影響として、職業病に指定されているさく岩機、鋲打機等の場合における振動障害と同様の障害発症が懸念されていたこと既述のところである。

されば、いやしくも、新しい機械であるチエンソー等の導入にあたっては、一時的または一面的使用実績或は便益面のみに漫然、眼を奪われ、機械の使用が人体に及ぼす影響の面を看過することは許されず、その人体に与える影響を十分に調査研究して、その影響による支障が生じないようにする具体的義務を免れ得ないのである。一審判決が「雇用者としての林野庁は、全く新しい機械導入するのであるから、機械の人体に与える影響を当然事前に調査研究し、右機械の使用あるいは使用方法によって作業員に障害がないことを確かめた上で、作業者に対し機械を使用させるべきであった」と判示する所以である。

のみならず、振動障害は振動の影響の蓄積によるもので、その発症には相当年数を要するのであり、従って、その発症を防止するのには、それまでの間における振動の影響の排除または軽減、減少が必要不可欠であることが自ら明らかである。

蓋し、チエンソー等の使用を必要不可欠としてその使用を開始したその当初から、その使用に伴う振動の影響の蓄積の排除または軽減、減少のことが、振動障害発生の防止策として同時に重要事となるのである。このことは別に当時或はその後の医学界等の知見を借りなくとも、チエンソー等導入時点においても明らかな当然の事理に属すること前記のところである。

にも拘らず、昭和四〇年三月のNHK放映までは、その振動の影響蓄積防止のための、林野庁の具体策としてみるべきものは皆無であつたものである。このことは原判決も否定しないこと後記のところであり、また被上告人も一審及び原審準備書面において自陳するところである。また、この点に関する被上告人申請の一審、二審証人等も一様にその証言において認めているところである。

林野庁は、私企業ではなく、その調査研究については勿論のこと、その防止策を行うにしても、我国で最高の知見と能力を持つ国家機関であり、そういう国の機関としての企業者の注意義務が本訴において問われているのであり、それが民間等一般並みで足りるというのは失当である。医療に関する注意義務においても、我国の裁判例は、大学病院医師と一般開業医においては異るとし、大学病院医師の場合にはより高度の注意義務が求められているのである。それを原判決は「チエンソー使用業務につき」「通常」「予想し得ない場合には」(三―参九)として、林野庁を私企業や世間一般並みに格下げしてしまったのである。一審原告ら作業員に対し、国家公務の地位の特殊性や職務の公共性を事由として、労働基本権行使を制約し勤務時間内の公務の遂行を常時強いようというのであれば、これに対する企業者たる林野庁に対しても、国家企業たる地位の特殊性や職務の公共性に鑑み、国家公務員たる作業員の身分と地位保障の一環として、一審原告ら作業員の生体の安全保持につき、万全の配慮をする義務と責任を当然科すべきものである。

にも拘らず、林野庁はその義務をおろそかにして、一審判決も判示するように「本格的導入以前にすでにチエンソー、ブツシユクリーナーと同様の振動器具である鋲打機、さく岩機等」「の使用による」「振動障害が起ることが、わが国の学者の研究論文等で明らかとなつており」「鋲打機、さく岩機の使用による振動障害は労働基準法により、職業病に指定されていたにも拘らず」、「単に振動の強度が異なること」「チエンソー、ブツシユクリーナーによる振動障害の実例がないこと」を理由に事前に「調査、研究」をせずに、チエンソー、ブツシユクリーナーを「導入し」昭和四〇年三月のNHKテレビ放映までは、何らの障害防止の具体的措置を行わなかったものであり、そのために、このことが上告人らを含む原判決別表第八の多数の公務上疾病罹患認定者を発生させる最大且つ根本の原因となったものである。

原判決も自認するように、振動障害の発症は「相当な年数を要する」のであり、その間に振動の影響が蓄積して、人体の有害レベルに到達するのであるから、相当の蓄積後に急遽対処してみても時期おくれである。それ故にこそ、早くからチエンソー使用による健康障害防止対策の必要性が提唱されていたのであって、その防止策は時機を得たものでなければ好結果が得られないことも、すでにチエンソー等導入の頃から分りきっていたことである。

林野庁が、後記の昭和四〇年以降の振動障害対策を採るようになるまでの林野庁の無為無策は最も重大であり、しかもこの無為無策は不可能事のために無為無策であったというのではなく、可能事であったのに全く無為無策であったという点を看過すべきではない。

一審判決の右判示は、前述の当然の事理或は右の分りきったことに基づいてなされている正当、自然のものであって、原判決の如く林野庁の安全配慮義務を限縮、軽減するいささかの理由も認められない。

このチエンソー導入以降、昭和四〇年に至るまでの間の林野庁の無為無策のことについては原判決も前記のようにこれを認めて、「林野庁が速かに使用時間の規制その他の対応策を講じておけば、被控訴人らから責められることも少なく年々多額に上る労働災害補償もすることがなかったといえる」というほかはなかったのである。にも拘らずこれを原判決は反転させて「こうしたことはその後の経験で判明したこと」また「使用時間規制の基準」も「多くの経験例を積重ねねば判定できないこと」等の前記の認定、所論に出ているものであるが、チエンソー等の導入に当り「五十才以上」等の高齢者や「重い既往症のある人」にはチエンソー等を使用させないということは、原判決認定の如き「その後の経験で判明した」というものではなく、前述のように甲一三三号証や松藤元等の各所見等によって、早くから分っていたことであり、また「使用時間の規制その他の対応策」の必要のことも同様に「その後の経験で判明した」というものではなく、右甲一三三号証乃至一四一号証等の諸資料によって、これ亦早くから判明していたことであって、右いずれも原判決の如く「当時の知見をもってしては」被上告人に「債務不履行があると認めるのは相当ではない」とすべきものではない。原判決の右の認定は全く失当である。この原判決の認定所論は、これは反すること明白な右記の諸資料を無視または歪曲してなされた違法のものであり、判断遺脱、また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法があるばかりでなく、この違法あることから、原判決が被上告人に安全義務違反による債務不履行がないとしたのは国賠法四条、民法四一五条の解釈、適用を誤ったものというべきである。

更に、原判決は「その使用時間の規制の基準も多くの経験例を積重ねねば判定できないことで今日においてもどの程度の時間規制が一番よいかという標準は必らずしも明らかでない」等というのであり、これは林野庁の言そのままであるが、これは要するに、いわば「人体実験」してみなければ分らないという、まことに不公正な所論である。のみならず、重要なことは、振動障害または健康障害が生じないようにすることであり、「使用時間の規制の基準」如何なるものは振動障害防止対策の一方策にすぎないのであるから、振動障害の発生、拡大の傾向がみられる以上、「使用時間の規制の基準」不明を口実として、チエンソー作業を従来どおり継続することが容認されてよい筈はない。原判決の右所論は、不公正な前記「評論」と同根のものであり、人間よりも機械を優先する思想と一連のものである。このようなものを口実として、被上告人に安全義務違反による債務不履行がないとした原判決の認定、所論が、前記第二の一(一)乃至(三)のとおり、憲法等各法規に違反し、また国賠法四条、民法四一五条の解釈、適用を誤った違法あることは愈々明らかである。

(2) 山田信也の「発表」後昭和四一年七月「人事院規則」「改定」までの間について

原判決が「別表第二(101)で、山田信也らが昭和四〇年二月」「発表」から「人事院規則を改定して、その疾患を公務上災害と指定するまでに一年四か月の期間が経過した」としながら「……労働省、人事院、林野庁が前記第三の三の16ないし24のとおり講じた各処置にかんがみると、人事院規則の右改定までの控訴人の処置に安全確保上の債務不履行があったと認めるのは相当でない」(三―四四裏)としているのは、憲法等各法規に違反し、また国賠法四条、民法四一五条の解釈、適用を誤った違法があること前記第二の一(一)乃至(三)で述べたところであるが、右「一年四か月の期間」「経過」はそれ以前における右(1)で述べた林野庁の怠慢と一連のものであり、これを、そのように認めていない原判決は事実認定に関しての法令違背の違法があり、また従って、この点においても国賠法四条、民法四一五条の解釈、適用に関しての違法がある。

すなわち、林野庁は甲一一号証の昭和三八年一一月のアンケート調査結果が出ても、従来の姿勢を変えず、原判決も認めるように「昭和四〇年三月」「山田らの前記所見は」「白ろうの指と題して」、「NHKテレビ放送と結びついて一挙にわが国の社会的注目を集め」このように「白ろう病の名で社会の注目を浴びるに至つたことにより」「臨時健康診断を早急に実施する」等従前の態度、姿勢を急変するに至るのであり、それまでは原判決の認定からも明らかなように、チエンソー等による作業員の健康被害防止の具体策に出ることは全くなかったのである。右の山田の「発表」やテレビ放映等による「社会の注目を浴びる」ことがなければ、林野庁は右諸々の施策実施をより大巾に遅らせ、その被害は今日のものより一層悲惨なものとなったであろう。

右の点につき一審判決は「林野庁は、全林野の要求により、昭和三八年一一月チエンソー等振動機械使用者のアンケート調査を行ったが、その際チエンソー、ブツシユクリーナー使用者の中に蒼白現象等振動障害を訴える者が存在したにもかかわらず、鋲打機、さく岩機使用者に比較して蒼白発現率が低いことを理由に振動障害について誠実に取り組もうとしなかったが、ようやく昭和四〇年に入つてから、振動障害の本格的検討を開始した」と判示しているものである。

なお、昭和三八年一一月のアンケート調査(甲一一号証)も、作業員間で振動障害が問題となり、これを全林野が取りあげ林野庁当局と交渉したが相手にされないため、昭和三七年に全林野自らがアンケート調査を行うという事態が出てきたことから行われたものであり、これ亦林野庁の自発的所作ではない(甲六七号証325頁)。

林野庁の具体策が開始されるのは、昭和四〇年の前記NHKテレビ放映の後からであること、被上告人が原審準備書面で自陳し、また原審証人伊東邦雄、同青木昭二らが証言するところであり、林野庁が専心した「防振」のことに関してすら、昭和四〇年に入るまではその具体的取組み或は実現はなく放置されていたこと前記のところである(右青木昭二証言調書71丁、伊東邦雄証言調書及び乙一三五号証)。

更に、前記原判決認定のチエンソー、ブツシユクリーナー振動障害の公務災害認定或は人事院による職業病指定及びこれに至る林野庁の動向、対応も亦、不実なもので、まことに消極的なものであったのであり、管理医以外の医師にみてもらうのであれば、その費用は出さないといって被災者を牽制したりし、上告人下元は自費負担を覚悟ではるばる後記のように名古屋大学まで診断を受けに行くというように、その公災認定につき厳しい枠をはめてみたり、また職業病指定をも遅らせようとする有様であった。その様子については甲六一号証9乃至11頁、16頁、17頁に具示されており、これを原審山田信也第一回証言(調書48乃至65丁、なお19乃至21丁)も肯定している。林野庁は「人事院規則」「改定」についても抵抗または消極の態度を示していたのである。

右の経験次第から、林野庁のチエンソー等導入以降における林野庁の振動障害に関しての一連の対応、動向は、一審判決判示のように「振動障害について誠実に取り組もうとしなかった」ことを明らかに示しており、前記「一年四か月の期間」「経過」ということもそのあらわれと認められるのであり、そのように認定すべきものである。このことを原判決がみないで、ただ「前記第三の16ないし24のとおり」の「各処置」が、そのいう期間内に「労働省、人事院、林野庁」により講ぜられた(原判決は16も林野庁の所作というが、これは全林野または山田らの所為であり、「林野庁」らの所作ではない)として、このことのみを取りあげ、このことをもって漫然「人事院規則の右改定までの控訴人の処置に安全確保上の債務不履行があったと認めるのは相当でない」とするのは木をみて森をみない違法、不正の所論というほかはなく、原判決の標記の認定、所論は判断遺脱また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法があり、また従って国賠法四条、民法四一五条の解釈、適用に関しての誤りあるものである。

(3) 昭和四一年七月以降について

1 林野庁が「相応の施策を講じてきた」とはいえない。

原判決が四―参〇において、林野庁は以上の一ないし八の認定事実により、「振動障害について無為無策であったのではなく、それ相応の施策を講じてきたとみるのが相当である」とし、これをもつて被上告人に債務不履行がないとしているが、この所論は憲法等各法規に違反し、また国賠法四条、民法四一五の解釈、適用を誤ったものであること前記第二の一(一)乃至(三)において述べたところであるが、右所論には、更に以下述べる事実認定についての法令違背があり、また従って右所論は国賠法四条、民法四一五条の解釈、適用を誤ったものである。

すなわち、原判決は「相応」というが、その趣意が明確でなく、それは「十分」或は「万全」というのと異るものであろう。林野庁の施策につき、原判決もさすがに「十分」または「万全」のものといいかねたのであろう。のみならず、原判決は「以上一ないし八の認定事実」のみに基づいて、林野庁が「無為無策」であつたかどうか、また林野庁の施策が「相応」のものか否かを論じているものにすぎない。

抑々「無為無策」であったか否か、また「相応」か否かは、林野庁の振動障害に関するチエンソー等導入の頃からの対応情況をも通じ、これを併せみて論ずべきものであり、そうするのでなければ「無為無策」であったか否か、また「相応」のものか否かを正当に判断することはできない。振動障害に関する林野庁の対応、施策を原判決のように、時期毎また個々に分解、区分し、その夫々についてのみその当否を論ずる手法は失当である。

チエンソー等導入の頃からすでにその使用者の健康障害防止のため、その振動軽減、高齢者の使用不適当のことまで提唱されていたこと前記のとおりであるのに、右導入以降昭和四〇年に入るまでの林野庁の振動障害についての対応情況は、まさに無為無策であったのであり、昭和四〇年に入り、林野庁が原判決認定の諸施策を講じたとしても、これは、それ以後にチエンソー等使用を開始した者には有効としても、それ以前からの使用者である一審原告らを含む作業員らには全く無効または時機遅れのものであって「相応」のものとはいえない。しかも、林野庁が講じた具体的諸施策は、そのすべてが全林野の再再の要求に基づくものであり、振動障害の職業病指定、公災認定、予防、治療、補償等どれをみても、自発的になされたものは少くとも昭和四四年四・二六確認までにはなく、原判決が四―壱四乃至参〇において認定の林野庁の諸施策亦然りである。従前、林野庁がチエンソー等振動障害の発生を否定また軽視、矮小化していた態度を昭和四〇年に急変させたのも、全林野が依頼した山田信也の調査研究の「発表」と結びついた昭和四〇年三月のNHKテレビ「白ろうの指」放映による「社会の注目」の事態発生により、その急変を余儀なくされたのであり、このことは原判決も林野庁の「臨時健康相談」実施が「白ろう病の名で一挙に社会の注目を浴びるに至ったことにより」としていることからも明らかである。

このような林野庁の一連の消極姿勢、動向のために、全林野はことごとに振動障害防止のため林野庁に対する要求、交渉或は独自の調査等を何度も何度も重ねてこざるを得なかったのである。昭和三九年一二月の山田信也の調査は勿論のこと甲六三号証の細川汀の調査も全林野の依頼に基づくものであり、また「疫学調査」や「外国との交流」に先鞭をつけたのも林野庁ではない。チエンソー等導入以降昭和四四年四・二六確認までの間、林野庁は、昭和三五年長野営林局作業員の「訴え」の発生、その後におけるチエンソー等使用による作業員の健康障害の発生、拡大の傾向、さらに昭和四〇年以降における原判決別表第八の公務災害認定者の発生また急増等の事態、経過をみながら、またこれらの経過事態につき、前後約一〇年もの長きにわたる全林野の善処方或は健康障害防止等の諸要求、交渉にも拘らず、とにもかくにも、かれこれあげつらって従来どおりのチエンソー作業を一意継続、推進したということは何人も否定できない事実である。

昭和四四年、振動障害協定成立に至ってその後における林野庁の動向、諸施策にはみるべきものもあり、なかには原判決もいうように外国よりも進んでいると認められるものもあるのであるが、看過できないことは、林野庁がこのことを何故もっと早く実施しなかったかということである。それらの大部分のものは、林野庁がその気になればもっと早くから実施可能であったものばかりである。「健康診断」の実施の如きはチエンソー等導入時から行うべきものである。振動軽減の方策として、機械改良等のことには時間もかかり、そのための経費も必要であろうが、使用時間の短縮規制のことは、最も簡便且つ有効な施策である。チエンソー等の導入使用が、原判決のいう「機械文明の発達」上必要不可欠というのなら、その導入、使用につき、人身障害発症の防止が不可能或は不可抗力というのならまだしも、可能なものをしないで放置するのが許される道理はない。可能な限りの手を尽してみたが不可抗力または不可能或は力及ばずやむなく障害が発生したということと、可能なことを手を尽さずに手を拱いていたため障害が生じたということとは、同じく障害が生じても前者と後者は根本的に異るのであり、本件の場合は前者ではなく後者である。林野庁は一審原告ら作業員のチエンソー等業務に対応する義務と責任を果しているとはいえない。

右の次第から原判決が、振動障害について林野庁が「無為無策であったのではなく、それ相応の施策を講じてきた」とする所論は採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法あることまた標記の各違法あることが明らかである。

2 林野庁の「相応の施策」について

のみならず原判決の右所論は以下述べるところからも失当であり、原判決のいう林野庁の施策をもって「相応」のものということはできず、その認定についての法令違背があり、また従って前記各法条の解釈、適用を誤ったものである。

イ 「いわゆる自律作業」の点

原判決は四―壱四において、「いわゆる自律作業の度合が強」いとして、前記協定前におけるおおよそのチエンソー使用の実働時間を認定しているのであるが、そのいう「自律作業」の実態として、林野庁独特の作業員制度と賃金の日給出来高払制を看過することができない。これは林野庁が、作業員に稼げるときに稼ぐよう仕向けるものであり、このことは、勢いチエンソー使用時間の延長を招くことになる。これについても、全林野は林野庁にその改善を迫つたが、前記協定成立以降も近時まで改善されることは全くなかったのである。従って、林野庁の前記施策が「相応」か否かについては右の点を抜きにすることはできないのに、原判決がこの点を全く考慮していないのは、判断遺脱または採証法則、論理則、経験則違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

蓋し、上告人(一審原告)らはいずれも退職時常用作業員であり、定員外職員である。この定員外職員の任用は、林野庁の言によれば、人事院規則八―一四「非常勤職員等の任用に関する特例」によるということのようであるが、国公法は非常勤職員につき何ら規定するところはないし、また右人事院規則は国公法第三条二項所定の人事院の一般的権限により制定されたものをみるほかないのであるが、この規定は公労法第四〇条一項一号により、その適用が排除されているところから、右人事院規則は公労法の適用をうける国有林野事業に勤務する定員外職員には適用できない筈のものである。にも拘らず、林野庁は、定員法との関係で定員外職員を非常勤職員と称し、右規則により任免を行なってきたが、これは違法であり脱法的運用というほかはないのであるが、この脱法的運用は「国有林野事業作業員就業規則」(乙第一号証)、つまり林野庁独特の作業員制度により行われてきた。これによると上告人ら常用作業員の雇用は、定期作業員らと同様二ヶ月の期間を定めて行われ、二ヶ月を越え引き続き使用される場合には、その雇用は二ヶ月ごとに更新される定めとなっているため、二ヶ月の雇用期間が満了すれば(更新拒絶、不採用解雇により)退職とされるおそれがあるばかりか、同就業規則第一三条一項四号は「林野庁若しくは営林局の直轄事業場又は営林署の停廃、縮少又は完了により過剰人員を生じた場合」と規定しており、これは営林署などの「事業の停廃、縮少又は完了」等、事業計画のありかたひとつで、つまり、任名権者の業務の都合によって、いつでも定員外職員を解雇し得る仕組みとなっており、このように上告人らはまことに不安定な身分の職員であった。この定員外職員は近時大分改善されてきたが、未だに国公法上の身分保障を受けていないのである。のみならず、上告人ら定員外職員の賃金は法律、予算によって定められたものではなく日給制であり、出づらによって支払を受け、又、伐木作業に対しては出来高給制という極めて不安定な賃金制度であり、このような劣悪な条件のもとで上告人らはチエンソー作業に従事していたのである。このことから分るように、林野庁採用の作業員制度は、右の日給出来高払賃金制の林野庁施策とあいまって、稼げる時に稼ぐよう作業員に仕向けるものであった。そのため、当時上告人らとしては振動障害に被災していても、退職前はその身分と自分、家族の生活保持のために我慢をし、苦痛を堪えしのびながら力の許す限り働くほかはなかったのである。

ロ 「科学的根拠や資料」の点

原判決は四―壱四、壱五において、昭和四〇年一一月九日の全林野の使用時間短縮規制等の要求とこれに対する林野庁の回答を認定しているのであるが、それによれば、全林野の時間制限の要求が「科学的な根拠や資料にもとづくものでな」いとし、そのように「制限すれば、レイノ現象の発症を抑圧できるのではないかとの推測にもとづく」程度のいい加減のものであるかのようにいう。

全林野が右要求を行った昭和四〇年一一月といえば、すでに前記山田信也の「発表」及びNHKテレビ放映は勿論のこと、原判決によるも、その三―参参乃至参八に記述のことが遂次進展し、振動障害のより一層の発生、拡大、増悪の傾向がみられ、この傾向防止のためにはいよいよもって振動影響の蓄積の排除また軽減、減少の施策を必要とする情況になってきていることが認められるのである。

従って、その施策として機械改良、その使用の(一時)中止、使用時間の短縮等のことが考えられるのであるが、林野庁がその使用中止を行わず、また機械改良の実施が全面、一時、早急に期待されるのでない限りは、右記の傾向がみられる以上、その傾向防止のために、全林野が全面、一時、早急に実施しうる振動影響防止策として使用時間短縮を提案することは当然のことであり、またその短縮は短かければ短い程よいことも自明のことである。これが原判決のいうような「推測」にもとづくものとしても林野庁が右の傾向を防止する意向があるならば、全林野の右提案、要求をもって「科学的な根拠や資料にもとづくものでな」いとして非難し得る筋合のものでなく、いわんや、このことを口実にして従来どおりチエンソー作業を継続すべきものではない。何故ならば、右傾向防止策がとられることなく、林野庁が従来のチエンソー等作業を継続することは、右傾向を更に進展させることになること火をみるより明らかであるからである。

原判決は、右の至極当然または自明のこと以上に全林野の使用時間の制限要求につき、一体どのような「科学的な根拠や資料」が必要というのか、教えて欲しいものである。そのようなものがあろう筈がない。このようにあろう筈のない「科学的な根拠や資料」なるものを林野庁が云々して全林野の要求を拒んだということは、とりもなおさず振動障害のより一層の発生、拡大、増悪の傾向を抑止しうる科学的根拠や資料もなしに、全林野の要求を拒んだ以外の何ものでもない。このようにまでして、林野庁が使用時間の制限を拒み、右の傾向をみていながら、四・二六確認または前記協定成立まで、従来のチエンソー等作業を全面継続したことは、これが亦、その後の公務災害の認定者多数を生出する大きな原因となっているものであるのに、このことを原判決がみないで、逆に右のように全林野の要求に「科学的根拠や資料」がないとして、そのうえで原判決のいう、林野庁の諸施策を「相応」のものとするのは、判断遺脱また採証法則、経験則、論理則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

ハ 「医学的にも明らかでなく、究明する必要がある」の点

原判決は四―壱五において、昭和四四年四月四日の全林野の要求と、これに対する林野庁の回答を認定している。これによれば、全林野が使用時間「一日二時間以内一か月四〇時間以内とし、ツーマンソーとすること」、「罹病者の機械使用中止」を各要求したのに対し、林野庁の回答は「操作時間をどの程度にすべきかについては医学的にも明らかでなく、究明する必要があるがなお検討する。」「ツーマンソーは採用しない」「罹患者も従来どおり業務に従事」「させる。機械の使用は続ける」というものである。ここでも林野庁は、振動の影響の蓄積防止のための全林野の右要求をすべて拒否しているのであるが、原判決が四―壱九でいう防振の開発、改良を行なっても、なお依然として原判決別表第八のとおり、年々公災認定者が増加する傾向にある以上、その傾向防止のためには医学的知見の必要は全くなく、使用中止か、その使用時間を規制するほかに良策のあろう筈がない。のみならず、林野庁のいう「医学的」な所見は次のニで述べるように、使用中止を最良とし、次善の策として使用時間の短縮を指示しており、全林野の要求の正当性を裏づけている。

従って林野庁が、右のように「操作時間をどの程度にすべきかについては医学的に明らかでなく、究明する必要があるが、なお検討を要する」と称して、全林野の時間規制等の右の要求を拒否し、右の傾向をみていながら、依然として従来どおりのチエンソー等作業を全面継続したことは、これまた、その後の公務災害認定者輩出に大きく寄与しているものであるのに、これをも原判決がみないで、そのいう林野庁の諸施策を「相応」のものというのは、判断遺脱また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

ニ 「わが国の主要な労働衛生専門医学者」の点

原判決は四―壱七、壱八において、「昭和四〇年から同四四年ころまでにおけるわが国の主要な労働衛生専門医学者」の所見を記述している。

それによると、その「主要な」所見は右2、ハに記した全林野の使用時間規制を求める正当性を裏づけるもので、「使用を止めて転職するのが治療上最も望ましい」としており、ただ「転職すると当該作業員の賃金が相当に低下するなど経済的に不利となるため、転職が容易に期待できない実情なので」次善の策として「使用時間の短縮が望ましい」という所見であり、これはまさに右ロ、ハに記述の全林野の要求内容そのものといってよい。

作業員は、国有林野事業のチエンソー等作業により振動障害にかかったのであるから、林野庁が作業員にその「転職」ができるよう、それについては「賃金」「低下」等がある場合には、その賃金差額を補償してやれば、作業員は、右所見のとおり使用をやめて、その振動障害の「治療」に専念できるのであるが、当時林野庁は、後記のようにこのような補償を全く行わなかったために、転職が一向に進展せず、このようなことから「主要な労働衛生専門医学者」も仕方なく使用時間の短縮等をいわざるを得なかったのである。その差額補償がなされるようになるのは、原判決四―弐九、参〇のとおり、後日のことであり、しかも完全に補償されるようになつたのは昭和四八年六月になってからである。これがその当時早くから林野庁によりなされていれば、作業員は右所見が「治療上最も望ましい」とする「使用を止めて転職」を行い「治療」を行うことができたのに、それができなかったのは林野庁がその補償をしなかったからであり、それは林野庁のせいである。このように林野庁は、その補償を当時行わなかったのであるが、重大なことは林野庁が前記ハのように、昭和四四年の時点においてすら、その回答において「労働衛生医学者」の右「使用中止」の正当な所見に反し、「罹患者も従来どおり業務に従事」「させる。機械の使用は続ける」との態度でいたことである。この林野庁の態度は、とりもなおさず作業員の振動影響の蓄積を更に増加することを是認するものであり、これがその後も長く続くのである。可哀そうなのは作業員ではないか。「職種替」の難行のこともさることながら、「主要な労働衛生専門医学者」は、右の林野庁の態度故にこそ次善の策としての使用時間の短縮をいうほかはなかったのであり、「職種替」の難行のことはさしみのつまであるにすぎない。また右短縮についての医学者の所見は「振動障害の発生抑止との関係からみて」作業時間の「最長許容限度をどの線に設けるのが合理的であるかについては、具体的な提案ができるような調査資料等がないので、提案するに至らない」というものであるが、それは従来どおりの作業をそのまま継続していって良いというものではない。その所見のいうところは、右述のところから明らかなように、先づ使用中止であり、それができなければ使用時間の短縮ということである。そしてこれに続き、右「労働衛生専門医学者」は右「提案」もできない「状況下で、振動病予防対策として実行すべき重要なものとして」は「振動工具の振動」を「減少」させるための「機械装置の開発改良」であるというのである。そのいうところを正視すれば自明のように、「主要な労働衛生専門医学者」の所見も亦、上告人ら主張と同じく振動障害防止のためには、一にも二にも、ともかく「振動」の「軽減」「減少」だといっているのである。「機械装置の開発改良」が早急にできなかったり、またそれによるもその効が余りみられずに依然として振動障害の発生、拡大、増悪の傾向あるときは、その傾向阻止のためには、上告人らが主張してきたとおり使用中止か使用時間の規制による振動の排除また軽減、減少しかなかったのであり、これは既述の当然の事理からの当然の帰結であるから、これを当時の「主要な労働衛生専門医学者」も否定できるわけがなく、この事理に基づき林野庁の右頑迷な態度に則して、やむなく右述の提案を行っているのである。

従って一審判決が「更に、林野庁は、振動障害を予防するため、振動障害の調査研究、振動機械の改良(防振ハンドル、防振機構内蔵型のチェンソー、振動機械の軽量化等)、作業員の健康管理、作業管理に取り組んできたが、それでもなおチェンソー、ブッシュクリーナーの使用により、振動障害が発生している以上、振動障害を予防するためには根本的にはチェンソー、ブッシュクリーナー等の振動機械の使用を中止することが必要である。仮りにこれができないとすれば、振動障害を予防するための措置をとらなければならない。ところが、林野庁は振動機械の使用を中止せず、又振動機械の使用を中止しなかった場合振動障害を予防するため必要な措置と考えられる全林野の振動機械使用時間規制の要求に対して振動機械使用時間と振動障害との因果関係が明確でないことを理由にこれを拒否し、昭和四四年四月二六日に至ってようやく右要求に応じた。」とする所以であり、その正当は明らかである。

右の次第であるから、「昭和四〇年から同四四年ころまでにおけるわが国の主要な労働衛生専門学者」の右所見も亦、原判決が「相応」という林野庁の諸施策がすべて時機おくれのものであり、「相応」のものとはいえないことを明示しているものと認むべきものであるのに、原判決はこの事実を歪曲し「相応」のものとし、また「相応」とする資料として供しているかの如くであるから、この意味において、そのいうところは、判断遺脱また採証法則、論理則、経験則の各違法あるいは理由不備、理由齟齬の各違法がある。

ホ 「四・二六確認」と「振動障害に関する協定」の点

原判決は四―壱四乃至壱七において、「四・二六確認」と「振動障害に関する協定」の各内容を記しているが、林野庁は右確認また協定に至るまで、前記ロ記載の昭和四〇年一一月九日全林野の使用時間規制等の要求時からみても、実に少くとも約三年半もの長きに亘る間、時間規制を全く行わなかったものであり、その間後記トの「開発と実用化」の機械改良を実施するも、原判決別表八の示すとおり、公災認定者数は年々大巾に増加し続けたのであり、これをみれば機械改良もさほどの効をあげているものとは到底認められないことが明らかである。このように、改良後においても、依然右別表のとおりの認定者数の増加、つまり振動障害の発生、拡大、増加の傾向がやまず、継続するからには、この傾向防止のためには、他に応急の有効策があるのなら格別、それがない以上は、当面、手っとりばやく且つ容易な使用中止または使用時間の短縮、規制が障害防止策として最上のものであり、その早急実施が必要不可欠というべきものであるにも拘らず、林野庁は「振動機械使用時間と振動障害との因果関係が明確でない」という如き前記の事理等に反すること明白な理由にもならないものを口実にして、右確認、協定まで従来のとおりチエンソー等作業を継続したのであるから、少くとも一審原告らに対する関係においては、昭和四四年四月に入ってからの右確認、協定は遅きに失し、時機遅れのもので、到底「相応」のものということはできないにも拘らず、原判決が右「確認」「協定」をもって「相応」の施策をいいなさんとし、また「相応」とする資料に供しようとするのは判断遺脱、また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

ヘ 「外国」の「制限事例」の点

原判決は四―壱八において、外国の使用時間の制限例を記述している。それによると、アメリカ、イギリス、フランス等は使用時間規制措置がとられていないというが、一番遅れていたイギリスもチエンソー等振動障害を職業病に指定するに至っており、これより以前、原判決指摘の外国の殆んどすべてがすでに振動障害を職業病としているのである。そして、原判決の右認定事例によれば、使用時間規制を行っている国も多い。のみならず、原判決は、その規制事例につき単に昭和四四年以降の情況を記述しているにすぎないのであるが、これらがそれ以前の何時から規制されているか、またチエンソーがその国にいつから導入されたか等々についての認定は全くない。問題はわが林野庁の右協定の時間規制事例を「相応」のものといわんとして原判決は右外国事例を記したのであろうが、わが国の右協定と単純比較してみても余り意味はない。

本件訴訟は、わが国国有林野事業におけるチエンソー等による振動障害発生時以降の具体的経過、情況に関する、林野庁の具体的姿勢、対応についてその責任の有無が問われているのであり、英米等の具体的事実関係も同じというのならともかくも、外国のチエンソー振動障害の発生、推移については各国各自各様のものがあり、従って、これに対する対策も各国各様のものがあると思われるのである。わが国有林の場合よりも綜合的に、よりましな振動障害対策がなされていれば、その度合によって振動障害の発現情況やその症状の程度等の情況もその現われ方に自ずとわが国の場合とは異なるものがあるであろう。また、労働条件や労働環境、体格、体力、国民性等が異っていれば、これらによっても振動障害の現れ方に影響するであろう。わが国有林の場合は山奥の山岳地帯での作業であり、伐木種も異っている。また、あの敗戦下の国情から今日の国情を作りあげたわが国労働者の勤勉性も看過できないところであり、英米の労働者との国民性も異っている。白人より体力、体格も大きくはない。これに加えて日給出来高賃金制と身分不安定の林野庁独自の作業員制度をもって作業員を処遇すれば、再雇用を希求し、また収入向上のために鋭意働らき、勢い過度に陥ることは必定であり、功程単価の引下げも容易に行われ易いのである。なお、ソ連のチエンソー使用規制は一九五七年(昭和三二年)からすでに始まっており、「根本的解決をはかるため」、「防振を含めた改良を二年以内に完成させること」及び「それまでの間」「振動の作業を受ける時間を大巾に短縮し、作業方法、作業条件を改善して」いるのである(甲七〇号証252 253頁)。こういった各国の具体的情況をみることなしに、いたずらに昭和四四年頃以降の外国の使用時間規制はどうであったかのみをみて、これをわが国の「四・二六確認」や協定と単純比照し、林野庁の諸施策が「相応」であったというのは失当である。

従って、原判決が右のような単純対照によって林野庁の前記使用時間規制或は諸施策を「相応」のものまた「相応」とする資料として供しようとするのはその判断を誤ったものであり、採証法則または論理則、経験則違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

ト 「防振」の「開発と実用化」の点

原判決は四―壱八、壱九において、「防振」関係の事実を記述している。それによれば、防振装置等の実用化は、早くとも昭和四〇年末以降ということである。振動機械の振動対策としては機械改良だけではなく、その使用中止また使用時間の規制を含めて、すべてそれらは所詮防振であり、この防振以外にはあり得ないのである。その対策の必要は、昭和三三年前後の早くからすでに主張されていたこと甲一三一乃至一四〇号証等から明らかである(なお防振ゴムは昭和四〇年頃から各分野で使用されており、甲一四四号証に記されている)。その後甲六号証、更には甲一一号証の各結果が出ても、林野庁は無為無策で、機械改良のことすら右のように昭和四〇年になってから以後のことであり、これを対策のおくれといわずして何であろう。従って、原判決が右記述の「開発と実用」をもって「相応」の施策とするのは失当である。

のみならず、原判決の右記述の昭和四〇年末から「開発と実用化」によるも、原判決別表第八の公災認定者数は昭和四四年までの間、年々飛躍的に増大しているのであって、それによれば当時の右「開発と実用化」が防振策として差程のものではなかったことを示している。これに対して、昭和四四年以後の認定者数の推移は、それまでの情況と異り、増加率の減少等を記録しており、四・二六確認及び前記協定による時間規制が最有効のものであったことを当然のことながら数字をもって如実に証明しているということができる。

また、原判決の右認定によれば、高知営林局が「独自」の開発、実用化を行ったとするが、そのことにつき一審証人細川汀は、昭和四一年四月の甲六三号証の調査報告書においてその調査結果を記している。それによれば、右認定の「工具の改良については地区によって事情が異なるようである。たとえば、四国地方では防振ゴムによる改良機械は約半数の作業者の手にしか入っていない」((3)頁)と述べている。そして改良の「防振工具」でも「防振ゴムが不良で、やわらかすぎて飛び出したり、硬すぎて防振に役立っていないことがあるようである。重くなったと云う訴えの多いことにも注目したい。ともかく約半数の作業者は著明な変化はないと云っている」としており、また「防振工具が実際にどの位振動が少くなっているかを調査してみた」結果は、改良後のものの「加速度振動は空転中では1/5~1/3に減振しているが、伐採中では1/2~2/3しか減振していない。伐採中の振動は5.7~6.2Gであり、依然として振動症状を発症するに充分な振動であった」((4)(5)頁)となっている。高知営林局の場合も、原判決別表第八によれば、昭和四〇年以降昭和四四年までの公災認定者数は逐年飛躍的増加を示しており、これによるも一審証人池田充興の開発とその実用化は、差程の効果あるものではなかったことが認められるのであり、またこの数字の示すところが右甲六三号証の記述内容の正当性を如実に裏づけている。高知営林局においても、公災認定者数の増加が低調になったのは、使用二時間規制が採用された翌年の昭和四五年からであることが、右別表第八の公災認定者数の推移情況をみることによりはっきりと分るのである。当時の機械改良(防振ハンドル装置等)の程度では、振動障害の抑止策として差程有効ではなく、使用時間の短縮規制がチエンソー等振動障害の発生、拡大、増悪の防止策として如何に決定的有効であったかは、何よりも動かぬ右公災認定者数の推移がこれを証明して余りあるものである。当時林野庁が機械の改良にのみ専らこだわり、使用時間の規制を容易に採用しようとしなかったのであるが、右「開発と実用化」の林野庁の施策をもって「相応」のものとし、また「相応」の資料とすることは到底できない。

従って、原判決記述の「開発と実用化」が外国の事例と比較して「相当に進ん」でいたからといって、当時これが振動障害防止対策として有効また「相応」かどうかは、例えば前記上告人ら指摘のソ連の事例が、防振に有効な機械改良がなされるまで、使用時間規制を実施している等のことから自明のように、使用時間の規制をも含めた綜合的防振対策としてどうかを観察するのでなければ無意味であり、当時林野庁は右ソ連の場合と対比し、使用時間規制を全く行なっていないのであるから、この意味においても、林野庁の当時における振動障害に対する施策をもって「相応」のものということはできず、これと反する認定所論に出た原判決は判断遺脱また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

また、原判決は「振動を従来の一〇Gを超えるものから、三Gに軽減、改良することは、昭和四〇年代当初ころにも容易であったのに」そうしなかったのは「控訴人の怠慢である」旨の原審証人山田信也の供述を排するにつき、民間産業では「昭和四五年三月当時でも」「なお従前の非防振チエンソーを使用しているところが多かった」ということを事由として挙げている(四―参〇、参壱)が、山田供述は林野庁が容易であったのにそれをしなかったとして批判しているものであるのに、その容易であったか否かを原判決が究明しないで、民間ではまだまだ遅れているのだから(それが容易であろうとなかろうと)山田のいう供述は採用できないというのでは答えになっていず、判断遺脱また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備の各違法がある。

どうやら、原判決は国の機関であっても、国民の健康等を守るについては、民間の企業並みに対処していればよろしいという考え方のようである。

チ 「振動障害の調査研究」の点

原判決は四―弐〇乃至弐参において、林野庁の調査研究を記しているが、「健康診断」の如きは、チエンソー等導入の当初から、少くとも甲六号証の段階から開始すべきものであった。「振動障害対策委員会」も亦同様である。林野庁は、原判決認定の各調査を行なっているのであるが、その間においても昭和四一年根岸の心因説が出現するや(この説はその後間もなく立ち消えになった程度のものにしかすぎないのに)、当時林野庁はすぐさまこれに便乗する有様であり、それは、このことにより、林野庁が振動障害対策をさぼることができるからである。林野庁の諸施策が「相応」であったかどうかは、こういうことも看過してはならないのに、このことをも原判決が全く無視して標記の施策を「相応」とし、また「相応」とする資料に供しているのは判断遺脱または採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

リ 「管理医」の点

原判決は四―弐参乃至弐五において、「管理医」関係につき記述しているが、原判決が右記述をなすにつき、その用に供したことになっている乙二〇七号証(林野庁職員部長から各営林局総務部長に対し、昭和四〇年一二月一五日付、四〇―一五九をもって施行した「管理医に対するレイノー現象対策の指導について」と題する通達文書の写)によれば、この通達をもって林野庁が管理医に対し、レイノー現象の指導を強化した事実とその内容が明らかであり、このように振動障害をレイノー現象に「限る」傾向があったこと、またこのように「限る」傾向の主体は、管理医ではなく林野庁であったことが各明瞭である。原判決は、右の通達内容を何故か説示していないのであるが、右の林野庁がレイノー現象に「限る」傾向のことにつき、四―参壱において「当時でも、振動障害が全身的疾病であるとの医学的所見は一部専門家に限られた特別のものであったのみでなく、当時は振動障害に関する診断方法が確立されておらず、またレイノー現象がチエンソー使用による振動障害の最も特徴的な症状とみられていたため、その認定にあたり、レイノー現象の誘発検査の結果所見が重視されていてそれもやむを得なかったのであるから」、一審証人谷添(沿)嘉瑞らの各意見は採用できないとしている。

しかし、その原判決も「局所障害でもそれの対策を講ぜず永年経つと全身的障害となる可能性はある」といっているものであり、また、レイノー現象が振動障害の「特徴的な症状とみられていたとしても、それはただ特徴的というだけのことで、それだけが振動障害の症状というものではなく、昭和二二年労働基準法に基づく施行規則は、振動工具による疾病として「さく岩機、鋲打機等の使用により、身体に著しい振動を与える業務による神経炎その他の疾病」と規定し、また、昭和四〇年五月二八日付労働基準局長の通達は「チエンソーはさく岩機、鋲打機と同様振動工具であり」「等に含まれる」(三―弐〇、弐壱)とし、更に甲一八一号証、乙二四三号証、乙二二五号証の一の労働基準局の文書は「疲労、不眠、消化障害」や「頭痛」「手掌発汗」「吐気、めまい」等が生ずるとしているのみならず、人事院規則一六―〇も、昭和四一年七月改定までは「手指神経症、関節炎又は筋炎」、改定後は「レイノー現象又は神経、骨、関節、筋肉、けんしょう、若しくは粘液のうの疾患」として、いずれもレイノー現象以外の右の諸症状をも、補償対象として各指定しているのである。また原判決も四―弐四において記述のように、右人事院規則改定後の昭和四一年一〇月に至り、乙五六号証の林野庁長官通達をもってレイノー現象のほか「神経炎、月状骨壊死、関節炎、筋萎縮、腱鞘炎、粘液のう炎」としているものである。

しかるに、その通達後においてさえ、依然林野庁が振動障害をレイノー現象に「限る」傾向は、右通達後四年以上も経過の昭和四六年三月一九日付団交議事録抄の労使間の問答記載(甲一七七号証、116頁下から8行目以下)、更にその後の昭和四八年六月六日の時点における団交議事録抄(甲一七七号証、117頁下から11行目以下)等からも明らかなように容易に改らず、先に林野庁長官通達があっても、それは形ばかりのもので真意でないための通達不順とみざるをえない。

右のように、振動障害についての法規上の定めまた労働基準局の解説あるいは通達等あるにも拘らず、林野庁はそのたてまえはよそにおいて、とにもかくにも右法規、通達にもいっている他の諸症状を全くみようとせず(被害者の「訴え」も信用しようとせず)ただひたすらレイノー現象を重視して、もっぱら管理医にその確認を追及するよう指示指導していたことは否定できないことであるから、原判決のいう「当時は振動障害に関する診断方法が確立されておらず」ということは、林野庁のいう口実をそのまま原判決が受け売りしているものにすぎず、被上告人国を免罪する理由とはなり得ない。原判決四―九には、あたかも「医学界」が「レイノー現象の確認手段」に「重点」を置いたかの如く記述されているが、「重点」を置いたのは医学界ではなく、右のように林野庁であった。

右のようにレイノー現象に「限る」傾向についての林野庁の所作を庇う原判決の所論はすべて失当である。

この点について一審判決も亦「振動障害」がレイノー現象だけでなく全身的な疾病であり、右人事院規則によっても「レイノー現象の他」「神経、骨、関節、筋肉、けんしょう、もしくは粘液のうが疾病として指定されている」にもかかわらず、「林野庁」は当初振動障害をレイノー現象に限る傾向があったと判示しているのである。またこれだけではなく、一審判決は「林野庁」がその確認を営林局、営林署の「管理医に限っていたため、公務災害の認定が遅れたこと」を判示しているものであるが、この「レイノー現象の確認を」「管理医に限っていた」との点につき、原判決は四―参壱、参弐において「昭和四〇年当時は、わが国の医学界で振動障害の罹患判定に関する医学上の知見には未解明な点が多く、このような情勢の下では、一般の開業医師等にチエンソーの使用による振動障害の罹患の有無の診断を求めても、適正な診断を得ることが期待できないと判断したのは理由のあることであるから、林野庁が既存の管理医体制を充実、強化したうえ、チエンソー使用による振動障害の検診に際し、管理医の所見を重視したのは正当であり、しかも、人事院規則で振動障害が公務災害と指定された昭和四一年七月の長官通達が出た後は、その振動障害の検診医師を管理医に限らず、振動障害関係の専門医師であれば良いこととしたのであるから、この点に関する」一審証人町田健夫らの各意見は採用できないという。

しかし、医師は一般開業医だけではなく、大学病院の専門医等もいる。レイノー現象に限る傾向の林野庁の指示指導をうけた管理医によるも、もっぱらレイノー現象を追及して振動障害の確認が一向に進まず、しびれをきらし、また自己の体調不調に不安を抱いた被災者が管理医以外の医師にみてもらおうとすれば、林野庁はその費用は「林野庁で出さない」といって被災者を牽制していたものであり、このことは関係証拠により明らかである。そのため、上告人下元一作の如きは、自費を覚悟ではるばる名古屋大学まで診断を受けに行ったのである。

右のように、林野庁が管理医の確認に限ったのは心因説が出現すればすぐにとびつき活用する等、甲六号証の調査結果以降、一貫してチエンソー等による振動障害を否認又は極力矮小化してきたことと一連同根のものであり、また、当時林野庁の指示指導下にある管理医をして、もっぱらレイノー現象の確認の追及にあたらせ、これをもって自己の指示指導下にある管理医の範囲内に振動障害を押し込めることにより、極力うちうちにことを収拾、処理しようとしたためと認められるのである。

「林野庁が既存の管理医体制を充実、強化した」と原判決はいうが、乙二〇七号証によって明白なとおり、それは管理医に対するレイノー現象重視、追及の指導強化であり原判決が「チエンソー使用による振動障害の検診に際し、管理医の所見を重視した」というのは虚構の所論であって、林野庁が管理医の所見を重視したのではなく、逆に林野庁が管理医にレイノー現象を重視、追及させたのである。このことを明白に示す乙二〇七号証を原判決が無視または歪曲して右の所論を行なっていることは判断遺脱また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

のみならず、原判決の四―弐四にいう林野庁長官通達であるが、その通達がなされたということは、少くともそれまでは、名実共に、林野庁としては管理医に限っていたことを示すものであり、原判決によれば、この「通達が出た後は」「管理医に限ら」ないとしたというのであるが、この通達後も、なお依然として長年にわたりその傾向あったことは、昭和四四年四月四日全林野の要求書(甲二二号証)の中に「医師選択の自由」が掲げられているほか、その後更に四年も経過した昭和四八年六月六日時点における団交議事録抄の労使間の問答の中にそのことの記載(甲一七七号証117頁下から3行目以下)があることによっても否定できないところである。こういったことは、右通達はあっても、肝心の下記機関や現場でそのことを遵守しなかったということであり、それは名目上のものにすぎず、林野庁は実際は右のたてまえを棚にあげて、管理医に限ろうとする傾向を依然持続したためのものと認められるのである。このことをみないで、原判決が右通達後、医師選択の自由が保障されたかの如くいうのは、判断遺脱また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法あるものである。なお一審関係証拠や原審阿部保吉証言等によっても明らかなように、当初の頃、林野庁は「振動障害をレイノー現象に限りその確認を管理医に限る」だけではなく、このことは同僚或は職場上司がレイノー現象を確認しただけでは勿論足らず、これを管理医自らが「現認」しなければならないとさえしていたのである(なお、原審山田信也一回証言48乃至58丁、64、65丁)。

右のことも亦、「レイノー現象に限る傾向」のところで述べたように、甲六号証以降における林野庁の一連継続の振動障害の無視また矮小化策と一連のものであることは明白であり、原判決が右にいうところも亦すべて失当である。

抑々、上告人らが主張し、また一審判決の判示するところは、管理医体制の整備、強化それ自体を問題視するのではなく、「その確認」を「管理医」に「限る」とし、またレイノー現象に「限らせようとする」林野庁の施策を問題視し、指摘しているのである。

右のように「限る」林野庁の施策は、「人事院規則によって」さえも「レイノー現象」に限らず、それ「以外」の症状をも振動障害症状として指定されているそれ「以外」の症状を見捨てるばかりか、「レイノー現象」が発現し、これが管理医により確認されるまでは公災認定を受けられず、その認定なければ補償法による治療等の補償も受けられないことになり、また引続きチエンソー等作業に従事することになるのであるから、右の「限る」ために更に振動障害者の障害が進行、その増悪に至ることは必然である。

林野庁自身も、振動障害の進行、拡大、重大化の事態を否定しきれなくなったことから、昭和四八年六月六日にいたり、同日付団交議事録に記されている(甲一七七号証、117頁下から8行目以下)ように、振動障害防止対策として、遂に「初期の症状の段階で認定することが好ましい」といわざるを得なくなるのである。林野庁が右のようにいわざるを得なくなったこと、また被上告人の原審準備書面(一)73頁における「遺憾ながらレイノー現象等の認定者は逐年増加の傾向にあり」との発言は、何よりも林野庁の当時の施策が不相応であったことを林野庁自らが認めているものといわざるを得ない。

一審判決が林野庁の右の「限る」傾向により「公務災害の認定が遅れ、」「振動障害を増悪させた」としたのは当然のことをいったまでである。

如上のように、原判決が右に指摘の証拠や事実関係等をすべて捨象、無視または歪曲のうえ、虚構を作りあげて林野庁の右「限る」施策を弁護し、「管理医」に関する原判決の諸記述をもって「相応」の施策といいなおそうとし、また「相応」とする資料に供しようとするものであることは明らかであり、このような原判決の認定、所論は判断遺脱また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法あることは明らかといわなければならない。

ヌ 「作業管理の強化と作業環境の整備」の点

この点につき原判決は四―弐五、弐六に記述しており、その最後に外国の事例を記しているのであるが、これは右記述の林野庁の施策が諸外国の情況と比べて良いということをいわんとするものと考えられる。

しかし、前記への点で述べたように、この「作業管理の強化と作業環境の整備」のことのみを諸外国と対比し、その良悪をいってみても全く意味ないことである。

このように、原判決が意味ないことをいい、このことをもって林野庁の施策を「相応」とし、また「相応」とする資料に供していることは、採証法則、論理則、経験則各違背または理由不備、理由齟齬の各違法がある。

ル 「治療に関する施策」の点

原判決は四―弐六、弐七において、林野庁の「治療に関する施策」を記述しているが、この記述からも分かるように、林野庁は「レイノー現象」発症作業員に対する「治療」を「専ら管理医に行わせ」たのであり、その余の振動障害の症状については、前記の法規の文面や通達に拘らず、殆んど重視することはなく捨象し、無視してしまったのである。

また、原判決の右記述によれば「レイノー現象」発症作業員の「転職休職等の要否判断に際しては管理医の診断を重視した」というものであるが、当時「わが国の主要な労働衛生専門医学者」の所見が「使用をやめて転職するのが治療上最も望ましい」としているものであること前記ニで述べたところであるのに、原判決が、その「専門医」のいうことを他処において「管理医の診断を重視した」林野庁の所作を妥当であるかのようにいうのはまことにおかしな話である。しかも、管理医は、前記のように林野庁の指示指導下にあるのであるから、その所見は「わが国の主要な労働衛生専門医学者」の良識ある所見と比較して余りあてにはならない。このような余りあてにはならない管理医の診断を重視して「わが国の主要な労働衛生専門医学者」の所見を全く顧みない林野庁の施策が、原判決のいうところによれば「相応」ということになるのであるから全く恐れいる次等である。

のみならず、振動障害を軽症視する林野庁が「昭和四四年六月二〇日以降、副腎皮質ホルモンの投与」等、また「温泉療法」を自発的に採用実施する筈がなく、治療方法についても全林野の早くからの要求にも拘らず、かれこれいって引きのばし、「温泉療法」の如きは漸く「昭和四八年」に至りやっと採用したものであり、その経過については右甲一七七号証105乃至140頁に記載の労使団交議事録及び原審阿部保吉証言が明示するところである。

上告人らが右に指摘したところをみないで、原判決が右に記述のところをもって林野庁の右施策を「相応」とし、また、「相応」とする資料とするのは、判断遺脱また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

ヲ 「職種替」の点

原判決は四―弐七、弐八において、「職種替」に関する記述をしている。

その記述によると「その後の昭和四一年七月にチエンソー等による振動障害が職業病として指定されたことに伴なう災害補償の取扱いに関連して、林野庁は各営林局長に対し『チエンソーを使用する公務に起因する疾病が反復発症し、その療養補償を行なう場合、チエンソーを継続使用させることは、療養補償管理上好ましくない。』旨を通達した」というものであるが、「わが国の主要な労働衛生専門医学者」も「使用をやめて転職するのが治療上最も望ましい」といっていること前述のところであり、またこのように「チエンソーを継続させることは」「好ましくない」情況また「転職」を余儀なくさせる情況に至らせたのは、林野庁がチエンソー等導入以来、振動障害の発生を長年にわたり頑固に否定しつづけ、または大したことはないとしてきたことによるもので、林野庁の責任であることは明らかであるから、振動障害者に対して林野庁は、その者が転職し易いような施策を当初から採用する義務と責任がある。

にも拘らず、原判決の記述するところによれば、「障害認定作業員の大半は、そのレイノー現象等の発症中は局部にしびれや疼痛があっても、それが消滅後はこれらの自覚症も消滅し、チエンソー等の操作やその使用作業に支障がなかったし、また医師も通常の勤務を可とする診断を行なったこと、さらに職種替に伴う賃金低下が予測されること等から職種替に対して認定者自身消極的でこれを望まぬ者が多かったため、林野庁としては、このような職種替についての実情等を勘案し、昭和四四年以降、後に述べるように職種替に伴う補償制度を逐次改善し、認定者の健康回復を図るとの観点から職種替を進めるよう営林局、営林署に対して指導を行い、その後、同四八年には振動障害認定者に原則として振動機械を使用させないこととした。」また、「右処置により、高知営林局管内で、振動障害認定者でそれまではチエンソー等を使用していた作業員約三二〇人が昭和四八年に職種替を行った。」として、いかにも林野庁が善処したかの如き口吻であるが、これ亦林野庁のいうところそのままのうけ売りにすぎない。原判決が右にいう「医師も通常の勤務を可とする診断を行った」とのその医師は、林野庁の指示指導下にあるお抱えの「管理医」であり、これに対して「わが国の主要な労働衛生専門医学者」のいうところでは、機械使用を中止して職種替を最上のものとして提起しているのである。これは振動障害が振動の影響の蓄積であることを否定できない以上、この当然の事理から、レイノー現象発症者や公災認定者等の振動障害者の振動機械作業継続が、振動障害増悪の原因となることは誰でも分っていることだからである。

右のことを棚に上げて、原判決の右記述のようなことをいってみたところで、その記述の職種替えに関する林野庁の処置が「相応」のものであった等お世辞にもいえないことである。

のみならず、振動障害を軽症視し、当時の医師によるもチエンソー等操作の通常の勤務が可能で、医師の所見も同断であったと主張し、また振動障害を気のせい、また心因性のもの或は振動機械使用以外の原因等々といい、或はその公務災害認定、治療、補償を前記リの「限る」ことにより、否定または引きのばそうとしていること明白な林野庁が、職種替を自ら勧める等のことは土台考えられないところであり、仮りに自ら勧めることがあったとしても労働以外に生計費を捻出して家計を維持するしかない労働者にとってみれば、職種替により賃金低下を招くことになるのであり、その差額を補償してくれるならともかくも、そうでない限り、苦痛をしのびながら稼働するしかなかったのである。しかも、作業員は雇用期間二ヶ月間の不安定な身分であること前記のところであるから、再雇用されないことになれば、たちどころに失職することになるのであるからなお更のことである。

林野庁が、振動障害者に対し後になってバナナの叩き売り式に「逐次改善」するのでなく、職種替えによる賃金差額の完全補償を当初から早急に実施しているならば、前記林野庁長官の通達の意は徹底実現されることになるのであるが、それでなければ、単なるスローガンにしかすぎず、全く実意のないものである。

右のように、職種替えが順調に行われないのは作業員のせいではなく、そのもとは、全く林野庁のせいである。このように林野庁のせいにより職種替えできない振動障害者が、我慢して継続作業することになれば振動の影響が増々蓄積され、障害増悪を招くことは誰も否定できないであろう。

一審判決が「振動機械使用によりレイノー現象が発現している者にも振動機械を使用させたこと等により振動機械使用者の振動障害を増悪させた。」と判示する所以である。

なお、原判決は四―参弐、参参において、高知営林局と全林野四国地方本部との団交関係につき記述し、そこで記述の高知営林局の発言について「営林局が当時の医師の所見によれば、通院治療(この間も休業である。)で十分であり、それ以外の時間に休業してまで加療を必要とするものではない旨を説明したものにすぎず、もちろんチエンソー等の作業をせよというものではなく、他の仕事に従事できるというものであり、また高知営林局の振動障害の治療に関する方針を述べたものでもないし、当局は同じ交渉の場において、医師が必要と認める場合は休業加療を認めると表明していることが看取できるので、高知営林局の前記発言を批難するのは相当でない。他に、高知営林局が林野庁の指示に違反し、振動障害が反復発症して療養補償を行っている作業員に対し、休業療養を行うことを許さない旨を表明したことを肯認できる証拠はない。」としているものであるが、その発言は一審証人町田健夫の証言するように、高知営林局が「チエンソー使用による振動障害罹患の作業員に対し、休業治療やチエンソーを離れての治療を否定する従来の方針を変えないことを表明したもの」と解されるものであり、その「方針」が前記の「わが国の主要な労働衛生専門医学者」の「最も望ましい」とする所見に真向から反するものであることは明らかである。蓋し、原判決の右記述にいう「当時の医師の所見」が、右の「労働衛生専門医学者」のものでなく、林野庁の指示指導下にあるお抱えの管理医の所見であることも明らかであり、このような医師の所見は林野庁の意に則する所見をいう疑いが極めて強い。のみならず、この所見は繰返し述べてきている当然の事理にも反するものである。また、「もちろんチエンソー等の作業をせよというものではなく、他の仕事に従事できるというものである」というが、前記のように職種替えできる条件を整えずに、そのようにいうのは従来どおりチエンソー等作業を作業員に余儀なくさせるものであり、それは引続いて「チエンソー等の作業をせよ」(それが嫌なら退職すればよい)というに等しい。また、「高知営林局の振動障害の治療に関する方針を述べたものでもない」というが、右の発言内容をみれば、それは「高知営林局の振動障害の治療に関する方針を述べ」ているものにほかならない。すなわち「専門家によるいろいろな検査の結果も正常者との差は認められない」(四―参弐)つまり「医師」(管理医)が「必要と認める場合」でない限り「仕事をしながら治療を行っていくというように考えている」(医師が必要と認める場合は休業を認める)というのであるからそれは高知営林局の「治療」「方針」そのものといってよいであろう。この「方針」に関する高知営林局の発言は林野庁長官の前記通達には反しないとしても「わが国の主要な労働衛生専門医学者」の前記所見とは異るものであることは対比して明らかである。要するに林野庁は作業員をいわゆる「労働に支障を生ずる程度」の障害にいたるまで働らかせ、それ以後は安あがりに体よく使い捨てにしようとしたものにほかならない。

所詮、原判決は、上告人が右に指摘したところをぬきにして、その記述するところをもって林野庁の施策を「相応」といいなし、また「相応」といいなす資料とするものであり、このことは右述のところから判断遺脱また採証法則、論理則、経験則の各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法あるものといわなければならない。

ワ 「補償」の点

原判決は四―弐九、参〇において林野庁の行なった「補償」関係の記述をしている。

それによると、「認定者がその療養のため勤務することができない日の賃金」が一〇〇パーセント補償されて「療養に専念できるように」なったのは、漸く昭和四八年になってからであり、また「職種替による差額賃金」が全額補償されるようになったのも同じく昭和四八年になってからである。それまでその補償は不十分なもので昭和四四年一二月までは、昭和四一年七月以降の「平均給与額の一〇〇分の一〇に相当する」休業援護金の支給にとどまり、その補償につき、林野庁が従来のものに加えて若干の額の支給を始めるのが、振動障害に関する協定成立の昭和四四年一二月以降からで、それも徐々に増加するというみみっちい話である。このようなことから振動障害者は「十分な療養」はできず、また「職種替」もかなわず、チエンソー等作業の継続を余儀なくされ、振動の影響の蓄積増加による障害の悪化を招くしかなかったのである。

右のような諸事情を原判決が捨象して、ただ右記述のことのみをもって林野庁の施策を「相応」とし、また「相応」とする資料に供しているのは判断遺脱また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(三) チエンソー等の「使用中止」「時間規制」に関して

(1) まえがき

原判決は、四―参参乃至参五において、「林野庁の国有林野事業におけるチエンソー等使用作業員についての振動障害認定者数の昭和四〇年から同五三年六月までの年度別推移及びそのうち昭和五一年一〇月当時と同五三年六月当時と両期間の中間の一時期当時の三時期における認定者の症状区分は別表第八記載のとおりであることが認められるが既に説明したように、昭和四〇年当時におけるわが国の振動障害に関する医学的知見では、チエンソー等の使用を継続する作業員中に、レイノー現象を中心とする局部振動障害が発症するであろうことの予見が不可能であったとみることはできない」が、そのいう諸事由(後記1のイ乃至ハ及び2のイ乃至ハ)を綜合すると、「林野庁が昭和四〇年以降もチエンソー等の使用を中止しなかったこと及び昭和四四年四月までチエンソー等の使用時間を短縮制限しなかったことは、作業員の公務上の安全確保義務との関係において債務不履行の責めを免れるに足る相当な理由があったものと認められる」というが、この所論が憲法等関係法規に違反し、また右所論が国賠法四条、民法四一五条の解釈、適用を誤った違法のものであることは、前記第二の一(一)乃至(三)において述べたところであるが、更に右所論はそのいう前記諸事由が左記1のイ乃至ハ及び2のイ乃至ハのとおり、いずれも失当または事実認定について判決に影響を及ぼす法令違背あるものであり、またこのことからも、被上告人に安全確保義務違反による債務不履行の責任を免れるに足る相当な理由があるとした右所論は国賠法四条、民法四一五条の解釈、適用を誤った違法がある。

(2) 原判決のいう諸事由は、左記1のイ乃至ハ及び2のイ乃至ハのとおりすべて失当、違法のものである。

1 「予見」に関する部分について

イ 原判決はその「別表第八記載のとおり」、多数の認定者が国有林に生じていることを認めており、また「昭和四〇年当時におけるわが国の振動障害に関する医学的知見では、チエンソー等の使用を継続する作業員中に」「振動障害が発生するであろうことの予見が不可能であったとみることはできない」と認定しているのであるが、このように「予見が不可能であったとみることはできない」とあるのは事実に反しており、「作業員中に」「振動障害が発生するであろうこと」を林野庁が「予見していた」ものであることは既述のところである。また、原判決挙示の昭和四〇年頃までの医学文献によるも明白である。この点の原判決の右認定は、違法に事実を認定しているものであり、判断遺脱また採証法則、論理則、経験則違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

ロ また「昭和四〇年当時におけるわが国の振動障害に関する医学的知見」は、「レイノー現象を中心とする局部」振動障害を予見するものだけではなく、「全身的障害」の発生を予見するものもあったこと原判決もその別表に記述しているところであり、にも拘らず、原判決がこれらを抹殺し、わが国の医学的知見として、あたかも「レイノー現象を中心とする局部」振動障害を予見するものしかなかったかのようにいっているのは失当である。

チエンソーによる振動障害が、局所的障害か全身的障害かは今日の医学界を二分しているのであり、原判決も「対策を講ぜず永年経つと全身的障害となる」といっているのである。

「当時における医学的知見」とは、それまでに集積された総知見を指すのであり、局所的振動障害説のみが医学的知見ではない。

従って、原判決は右の点においても、違法に事実を認定しており、判断遺脱また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

ハ また原判決は、「その症状の大多数は労働能力に影響がないとみられる程度の軽症なものであることが予見されたにとどまり、労働能力を減退ないし喪失させるような症状が相当に高い割合で発症することの予見可能がなかったことは前記第四、第五で判断したとおりである」と記述している。

しかし、そのいう「第四、第五」が失当であること前記、後記のところであり、そこでも述べているとおり、振動障害の発生、拡大、増悪は、いずれも振動機械の使用による振動の影響の蓄積の進行により生じ、その蓄積の度合により決定されることになる。従って、この進行が停滞しない限り障害の発生、拡大、悪化の進展も亦避けることはできない。これは当然の事理である。前記のように、原判決によるも「対策を講ぜず永年経つと全身的障害となる可能性」があるというのである。

右の事理からして、振動の影響の蓄積が進行する限り、当初は軽症者でも、やがて重症者となり、労働能力を減退また喪失させるような症状も高い割合で発症するに至ることは誰でも当然に予見しうるところであり、標記の原判決の記述はこれに反する全く合理性のないものである。右の事理を否定できず、このことを十分承知していたからこそ、振動障害を局所障害という三浦豊彦、松藤元らも右事理に則して振動の影響蓄積の防止策の必要をいい、また前記のとおり良識ある「わが国の主要な労働衛生専門医学者」の医学的所見も「振動病罹患者が、振動工具の使用を止め」ることが「最も望ましい」といっているのである。これこそが「当時におけるわが国の振動障害に関する医学的知見」でもある。

のみならず、上告人らのように公務災害に認定された者のその障害症状をもって軽症または労働能力に支障ないとすることはできない。

右述の次第であるから、標記の原判決の認定記述は、採証法則、論理則、経験則各違背または理由不備、理由齟齬の各違法がある。

2 右「予見」に関する部分を除く部分について

イ 原判決は「別表第八の認定者数の年度別推移のとおり昭和四三年までの認定者数四八三名のチエンソー等使用作業員全体に占める割合は、前記昭和三八年一一月実施のアンケート調査時にチエンソー等を使用していた作業員総数約八〇〇〇人の約六パーセントで、その割合が一〇パーセントを超えたのは昭和四四年以降である」とし、また「全身的疾患説の知見」では「チエンソー等による振動障害のうち重症例が多く現出するようになったのは昭和四四ないし四六年ころ以降であるとみている」としているのであるが、これによれば、認定者数が年々増加の傾向にあり、また重症化してきているということであり、チエンソー等使用者の振動の影響の蓄積が年々進行していることを明らかに示しているものといわざるを得ない。

わが国有林野の振動障害の経過が管理医の判定によってさえ、なお大半が要治療となっている(林野庁健診判定)こと、これだけ治りにくい、長期の苦しみが続くということは、生身の人間にとっては大変なことである。甲一二六号証等がこのことを語っている。

原判決は、「わが国の主要な医学的知見や諸外国における医学的知見では、チエンソー等使用による振動障害は局部的なもので、かつその症状は大半が軽症であるとの所見で軌を同じくし」ているというが、右の内外各知見のいずれも前記事理を否定しうる筈がない。

右の事理を否定できない限り、原判決も「局所障害でもそれの対策を講ぜず永年経つと全身的障害となる可能性」があるといわざるを得ず、軽症より重症に転化することを認めざるを得ないのであるから、振動障害を「局部的」なもので、その症状の大半が「軽症」というのは「それの対策」が「講ぜ」られることが当然の前提となっているのであり、この前提なしに右各知見は勿論のこと、原判決も振動障害を「局部的」また「軽症」ということは成立しないのである(わが国有林野の場合、チエンソー等振動障害は比較的短期間で全国的に多数また高率に発生し、それが社会問題化してからも有効防止対策の採用に更に約五年もかかっているということで特徴的である。)。

原判決が、右の前提をぬきにしてチエンソー振動障害を、本来的に「局部的」また「軽症」のものというのであれば、それは「永年経つと全身的障害となる可能性はある」との自らの言にも反する失当のものということになり、採証法則、論理則、経験則各違背または理由不備、理由齟齬の違法あるものといわざるを得ない。

ロ ところで、認定者が昭和四〇年に出現し、これが年々増加していることは原判決も認めるところであり、従って、爾後の発生、拡大また増悪を防止する最良の「それの対策」がチエンソー等の使用中止にあることは前記の事理からいって、また「わが国の主要な労働衛生専門医学者」の医学的所見からみても当然のことであり、原判決も否定できないところであろう。

しかし、原判決は「昭和四〇年から四六年ころの社会情勢からみて林野庁がチエンソー等導入開始前の人力を主体とする伐木造材、植林作業に切替えようとしても既に能率のよい機械を使っていたものに人力に戻らせることが容易でないという一般論からみても到底不可能であった」というのであるが、そのいうように「人力に戻らせる」ということでなく、振動障害の発生、拡大、増悪の傾向ある以上、安全が確認できる「その対策」を「講」ずるまで、一時的に使用を中止するという施策もありうるのである。これをぬきにして、いきなり「人力に戻らせることは容易でない」と帰結するのはためにするものというほかはない。

原判決は四―参五において、「高知営林局管内で」は「昭和四八年以降の数年間、人工植林樹木の伐倒作業に手鋸が使用されていたこと」につき、「原審証人西村秀雄、当審証人青木昭二の各証言によれば、高知営林局管内では、昭和四八年七月以降、その他の営林局管内でも昭和五〇年四月ころ以降に人工植林樹の伐採作業がチエンソー使用から手鋸使用に切替えられたこと、その後の昭和五五年まで高知営林局管内では天然林での一部伐木作業にチエンソーが使用されてきたほかは、その余の天然林の伐木作業と人工植林樹木の伐木作業にはすべてリモコンチエンソー(機械作動中の振動が作業員の身体に伝播しないチエンソー)が使用されていることが認められる」とするが、高知局における天然林の伐木につき、リモコンの使用はなく、また、「右昭和四八年から数年間、人工植林樹木の伐採作業がチエンソー使用から手鋸使用に切替えられていたのは、戦後間もない時期に植林した樹木が昭和四八年ころ伐採適期に成育し、そうした植林樹木の伐倒は天然林の伐倒と比較し労働強度が軽くてすみ伐倒技能の習得や災害防止面でも手鋸使用の方が容易で危険性が少なかったからであり、それ以前には手鋸使用による伐倒に適する植林樹木がそんなに多く存在してなかったのであるから、昭和四八年以降の数年間、人工植林樹木の伐倒作業に手鋸が使用されていたことは、前記判断に消長を及ぼすものではない。」というのであるが、「戦後間もない時期に植林した樹木」は「昭和四八年ころ」は、まだ二七、八年しか経っておらず、人工林の伐採適期は平均的に杉四五年、松五〇年と森林施業基準昭和五五年三月(55高計第53号別冊)にも示されており、伐採してきている人工林は杉、松ともに大半が六〇年以上の樹齢であることからも「植林」「樹木」が、「伐採適期」にあるというのは失当であるのみならず、「伐採適期」にあるとし、またそのいう「危険性が少な」い等いってみても、それだけでは従来チエンソーにより伐倒していたものを、「数年間」も手鋸使用によったということについて合点がいかない。「手鋸が使用されていた」のは、そのいうことからではなく、振動障害の予防、治療対策が進まないために、組合側が手鋸使用を提起したことによるものであることが明らかであるが、その理由如何はともかくも、高知営林局のようにチエンソー使用が作業の一部につき一時中止されていたこともあるのに、原判決は「人力に戻らせること」は「倒底不可能」ということで、その使用を作業員の健康よりも優先させて既成事実とし、その使用継続を前提に「使用時間を短縮制限しなかったこと」の当否につき論及している。

ハ そこで、使用時間短縮制限のことについてみるに一審判決が作業員の健康を重視して「林野庁は、振動障害を予防するため、振動障害の調査研究、振動機械の改良(防振ハンドル、防振機構内蔵型のチエンソー、振動機械の軽量化等)、作業員の健康管理、作業管理に取り組んできたが、それでもなお」「振動障害が発生している以上」「使用を中止する」か、「仮りにこれができないとすれば、振動障害を予防するための措置をとらなければならない。」のに「必要な措置と考えられる全林野の」「使用時間規制の要求」「を拒否し、昭和四四年四月二六日に至ってようやく右要求に応じた」と判示しているのに対し、原判決は、右のように、一審判決が振動障害発生の予防策として、まだ有効ではないとみた施策を含む原判決理由「第六」でいう「各般の施策」をもって、「昭和四四年五月以降実施したチエンソー等使用の時間短縮制限処置を含めて、諸外国の施策と比較して、進んでいる点はあっても、遜色がない」また「チエンソー等使用の時間規制については、その使用による振動障害発生が認められても、昭和四三年まではその認定者数が高率であったとはいえず」「この機械実用開始後六年余を経過し既に定着傾向にあった使用時間を短縮制限するためには、林野庁は国家機関であるから随時任意に行うことはできず、それなりの根拠や資料の収集を必要としたのは当然である」とするものであるが、この原判決の所論は、左記(i)乃至(iii)のとおり、いずれも失当のものである。

(i) 先づ原判決が、「諸外国」より「進んでいる」「遜色がない」ものとする林野庁の「第六」の「各般の施策」は、時期的に分けて昭和四四年四・二六確認以前におけるものと、それ以降のものがあるが、四・二六確認までのものは、使用時間規制のことを除けば、それらは昭和四〇年末前後の機械改良のことも含め、当時、いずれも振動障害予防策としてその効が余りなかったものであること前記のところであり、一審判決も同様右記のようにこれを肯定しているのである。

本件においては、わが国の国有林野にチエンソー等が導入、使用されて、昭和三五年以降生じ、拡大したその振動障害についての前後十数年にわたる間の林野庁の対応情況に関しての具体的諸問題の当否が問われているのであるから、このことについてその林野庁の諸施策またはその個々を外国のものと単純或は同時期において比較等して云々してみても全く意味ないことであり、また「進んでいる」「遜色がない」の評価も一概にはなし得ないことも既述のところである。

蓋し、上告人らは、林野庁がその具体的、時期、情況下において、必要とみられた使用時間の短縮制限処置を実施しなかったことをもって、これを安全義務違反として問い、林野庁のその時の対応、姿勢を批判してきているのであるから、原判決の右認定所論は上告人らの右批判に対するまともな回答とは認められないものであり、判断遺脱、また論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法のものというべきものである。

(ii) また、原判決は「振動障害発生」を認めながら「昭和四三年までは認定者数が高率であったとはいえ」ないというが、機械改良等を行うもその障害は依然発生、拡大傾向にあり、このことは林野庁自らも前記のように「遺憾ながら」として十分認知しているのであるから、前記の当然の事理等からして高率、大事に至ることは誰でも予見できたのに、ひとり林野庁が右事理をも否定しようとしたために高率、大事をもたらしたのである。従って、原判決が「昭和四三年までは認定者が高率であったとはいえ」ないとするのは、言いわけにもならず、また「高率」かどうかは、原判決は「高率であったとはいえ」ないとするが、そのように評すること自体が正当でなく、むしろ、高率というべきものであり、しかも「昭和四三年までの認定者数」は年々飛躍的に増加してきていることをみても「高率であったとはいえ」ないとの原判決の認定、所論は失当であり、採証法則、論理則、経験則各違背または理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(iii) また、原判決は「機械使用開始後六年余を経過し既に」「使用時間」が「定着傾向」にあったというのであるが、まさにそのことこそが、機械改良等をするも及ばず、依然振動障害の発生、拡大、増悪の傾向を生む根源にほかならなかったのであるから、使用を一時的にも中止できないというのであれば、せめて使用時間を短縮する位のことは当然のことであり、これにつき原判決は「国家機関であるから随時任意に行うことはできず」というのであるが、使用時間を短縮制限することができないとの法規やとりきめが別にあるわけではなし、作業員の健康にかかわることであるから、要は林野庁の作業員に対する健康についての考え方である。結局のところ、林野庁としては作業員の多少の健康ぐらい損じても当然で、大したことはないと考え人身の安全を軽視したのである。作業員の安全を軽視してはいないというのであれば、いかに国家機関といえども、何らの法規やとりきめもないのであるから「随時任意に行うことは」可能であり、また使用時間短縮ということであるから、格別の手間、費用も必要とするわけではなく、容易に行うことができる筈のものであるのに、林野庁はこれをしなかったのである。また、原判決は「それなりの根拠や資料の収集を必要としたのは当然」というが、昭和四〇年末前後の機械改良等によるも、振動障害の発生、拡大、増悪の傾向がやまず、この傾向を可急的速やかに防止しうる適当な具体策として、使用中止または時間規制以外に見当らない以上、従来どおり時間短縮も行わずにチエンソー等作業を継続していけば、これを継続すればする程右傾向がより一層進展することはこれ亦明白な事理であるから、この事理を上廻るだけの「それなりの根拠や資料」などあろう筈がないのに、原判決がそのようにいうのは当然の事理をさえ全く無視またはこれと相反する林野庁の主張べったりの詭弁であり、この詭弁は判断遺脱、また論理則、経験則の各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法あるものといわざるをえない。

3 上告人下元一作ら三名に関するものについて

なお、原判決は四―参五、参六において、上告人下元一作と一審原告亡岡本吉五郎及び上告人浜崎恒見につき、夫々同人らの「チエンソー使用中止不履行と使用時間規制実施遅延の主張は、その前提を欠いて理由がない」というが、上告人らは右の「中止」及び「時間規制実施遅延」を原判決のいうように「昭和四〇年五月」以降(四―参参)の時期に限って主張しているものではなく、それ以前においても林野庁の「万全の」措置がなかったと主張しているものであること一審判決事実摘示に記されているところであり、にも拘らず、原判決の右にいうところは、昭和四〇年五月までの時期における「中止」及び「時間規制の実施遅延」のことにつき判断をしていないことを自認しているものにほかならないから、この点において判断遺脱また理由不備の各違法がある。

第三原判決のチエンソー等による振動障害の「病像」、「症状」に関する事実認定についての法令違背について

一 「病像」について

原判決は三―弐乃至四、四―壱乃至壱壱等において、チエンソー等による振動障害の病像につき、全身的障害ではなく、局所障害としたが、これについては左の各違法がある。

(一) 乙鑑定採用と甲鑑定不採用について

原判決が「振動障害とは末梢循環障害、末梢神経障害、頸部や上肢などの骨、関節、筋肉、腱等運動器系の障害、自律神経、内分泌系の異常などの中枢性の機能障害、前庭機能異常、騒音性難聴、頸肩腕障害、腰痛を含む」とする甲鑑定を排斥して、乙鑑定を採用し、これに全面依拠して「チエンソー等の振動エネルギーはそれを握っている手で殆んど吸収され全身に伝達されることは少なく、この手に吸収されたエネルギーが手の組織をこわし、そこに発生する有害な物質が全身に伝播して種々の全身症状を招くとは考えられないし、被控訴人らの訴えの多くは不定愁訴でありその症状の大部分は永い間労働に従事したことによる一般的な職業性疾患、私傷病、加令によるものを含んでいるとみざるを得ないのでチエンソー等による振動障害とはチエンソー等を長期に使用したために生じた末梢循環障害、末梢神経障害、運動機能障害とみるのが相当である。」とした所論は左の各違法がある。

(1) 「全身症状を招くとは考えられない」の点

1 先づ、三―参にある「手で殆んど吸収され全身に伝達されることは少な」いの点であるが、そのいうところによるも、「殆んど」「少ない」というものであり、振動エネルギーの全部が手で吸収されてしまうというのではなく、その一部が全身に伝達されることを否定するものではない(また、わが国有林野におけるチエンソー作業の場合、直接足、腰等にも振動暴露を受けることが多いこと上告人らの昭和五八年四月一四日原審準備書面8、9頁に指摘のとおりである。)。このことは後記の乙二四三号証の労働省労働基準局作成文書や甲一三〇号証の林野庁林業労働障害対策研究作成の文書も認めているところであり、全身的障害という山田信也ら(甲一八五号証248頁、七五、二〇一号証等)は勿論のこと、乙鑑定の鈴木勝已鑑定人の甲二〇九号証一乃至七も手に伝えられたチエンソーの振動が、頭部(乳腺突起部=耳のうしろにある頭蓋骨の出っぱり部分)にまで達することを明らかにしており、また、乙鑑定の斉藤幾久次郎鑑定人も原審証言(主尋問)において、右乙二四三号証を肯定している。

してみれば、その全部が手で吸収されてしまうのでない限りは、少いながらも全身に伝達される振動エネルギーは、相当期間にわたる振動の反覆継続により、その影響が漸次蓄積されていくことが当然考えられ、これがやがて一定の大きさを越えるに至れば、人体は有機的存在であるから、振動の影響は、直接的にも間接的にも中枢にまで達して局所的な障害に続いて全身性の障害が現われてくることになると考えるのは、まことに自然且つ合理的であり、甲鑑定はこの見地に立っている。この見地は、振動障害が振動の影響の蓄積により生ずるとの当然の事理を否定できない限り、その正当性は明白といわなければならない。

一審判決も、これを認容して、チエンソー、ブッシユクリーナー「の振動は機械を把握する手(又は機械を支持する足、場合によっては腰、臀、背)に物理的刺激を加えるとともに、生体を伝播し、躯幹や頭部にまで達する。この物理的刺激が局所を障害し、神経性インパルスとなり、あるいは体液性の変動をひき起し、影響は全身に波及すると考えられている。従って振動による障害の症状は血管、神経、筋肉、骨、知覚等に起り、局所だけでなく全身に波及し、中枢神経系及び内分泌系にも強い変動を及ぼしている。

又振動の影響は蓄積すると考えられ、主として(振動機械による一連続振動暴露時間、暴露と暴露の間隔の長短、その他の労働環境の影響もあるが)チエンソー、ブッシュクリーナーの使用時間の長い程、振動障害の発生率の高いことが認められる。」「又、その予防対策としては、振動機械をできるだけ使用しないこと、振動機械を改良して、使用者にできるだけ振動が伝わることを防ぎ、振動を減衰させること、作業環境を改善すること、更に振動障害罹患者を早期に発見し、治療を施すこと等が重要であると考えられる。」と判示しているのである。

のみならず、原判決自らも四―壱〇において、「有機的存在である人体は」「局所的障害でもそれの対策を講ぜず永年経つと全身障害となる可能性はある」と述べているのである。振動障害が局所的、末梢的な機序によるだけでなく、むしろ自律神経系をはじめ、中枢神経系の機能的異常がその本質をなすことは内外の多くの研究によって指摘され、振動障害を全身的疾病として把えることは、日本産業衛生学会の通説になっているものである。

右のほか、チエンソー等による振動障害を全身的障害とする甲鑑定が合理的、正当性を有し、これに反する乙鑑定が、医学的鑑定というに値しない政策的所見にすぎず、不正、不当なものであることは、上告人らの昭和五八年四月一四日付準備書面及び同年一二月一三日付準備書面において詳述のとおりである。してみれば、原判決が、甲鑑定を排斥し、乙鑑定を採用して「種々の全身症状を招くとは考えられない」としたのは、右述の各証拠等及び事理やそれらに副う自然且つ合理的で正当性のある甲鑑定に反するまことに不自然、不合理な所論というだけではなく、原判決自らいうところとも矛盾するものであり、判断遺脱また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法があるものといわなければならない。

2 また、原判決は「この手に吸収されたエネルギーが手の組織をこわし、そこに発生する有害な物質が全身に伝播」するというのであるが、このような珍説は今までに聞いたことがなく、乙鑑定が独り勝手に想定して、ことをあげつらっているものを、原判決がそのまま採用したものにすぎず、甲鑑定及びこれに副う医学者の誰一人として右のような珍説を唱えたことはないし、このような珍説を上告人らも今日まで主張したことは一度もない。このような誰も言っていない珍説、空論を乙鑑定のいうままに採用、引用し、これを前提にして「全身的症状を招くとは考えられない」とするのは、全く無意味であるのみならず、不公正の極みといわなければならない。原判決が乙鑑定同様に全身的症状の発生原因を、そのいう有害物質の全身伝播以外にはあり得ないというのであれば、然らばそのいう「有害物質」とは一体如何なるものであるのかさっぱり分らない。このように原判決が乙鑑定を採用して何やら訳の分らぬ全く意味不明のことをいい、これを前提にして「全身的症状を招くとは考えられない」としたのは、採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法あるものといわなければならない。

(2) 局所障害「とみるのが相当である」の点

原判決は「被控訴人らの訴えの多くは不定愁訴である」とし、これが他覚的に確認し得ず、またその一つ一つが振動障害に特有なものではないとしても、振動障害にこの種の愁訴が高率であることは振動障害を研究した多くの医学者が指摘、注目してきたところである。のみならず、労働省労働基準局作成の文書(甲一八一号証、乙二四三号証、乙二二五号証の一17頁、54頁)も「全身症状として疲労、不眠、消化障害」や「頭痛」「手掌発汗」「吐気、めまい」等を生ずるとし、また「これらの症状又は障害は」「いずれも本規定が適用される」として、これらも振動障害とみており、更にこれらの症状はわが国の国有林、民有林を併せ、万を越えるチエンソー振動障害の臨床例を積み重ねることにより明らかにされ、或は確認されているのであって、一審判決もこのことを「七、要約」において「チエンソー、ブッシュクリーナー使用による振動障害の病像は、単に手指の蒼白現象に止まるものではなく、振動機械使用者の全身的な疾病として捉えられ、又、その疾病は臨床例を積み重ねることによって明らかとなった振動障害の症状例えばめまい、不眠、性欲減退等の自覚症状、その他の他覚症状を含むと解される。」と判示している。

元来「不定愁訴」という症状は、主に自律神経の機能的異常に由来するものであるという考え方で扱われてきており、「不定愁訴」に属する愁訴が多数訴えられる場合(例えば振動障害患者)には、当然そこに自律神経の異常や失調の存在を考えるのである。振動障害の場合には、レイノー現象等の血管運動の異常が確認されており、また異常な手掌発汗も認められるのであるが、前者は自律神経機能の中の血管運動を司る系の異常が、後者は自律神経機能の中の発汗を司る系の異常が存在すると考えられるところから、同時に存在する「不定愁訴」も又、自律神経の機能異常と関連があると考えるのはまことに自然である。それを、あえてわざわざ他疾患に原因を求めようとするのはきわめて異常な態度というべきものであるが、原判決は不定愁訴の「症状の大部分は永い間労働に従事したことによる一般的な職業性疾患、私傷病、加齢によるものを含んでいるとみざるを得ない」とし、上告人らのうち相当数のものは、永い間チエンソー作業に従事してきたのであるから、そのチエンソー作業による職業的疾患、すなわちそのいう「一般的な職業性疾患」そのものとみてよいことになるのであるが、このことはともかく、そのいうように「一般的な職業性疾患、私傷病、加齢によるものを含んでいるとみざるを得ない」場合もあろう。このことは、単に不定愁訴のみに限らず、甲鑑定書のいう前記の「頸部、上肢などの骨、関節、筋肉……」等についてもいえることである。これらのなかに「私傷病、加齢によるものを含んでいるとみざるを得ない」場合においても、人間の心身は有機的存在であるから、その症状を振動障害とそれ以外のものに分解整理、或はその症度区分をすることは、今日の医学をもってしては不可能である。このことは、甲鑑定は勿論のこと、乙鑑定の亀山正邦鑑定人も同意見であり、これが臨床医学を含む今日の医学的知見であり、また常識でもある。

右のことから、上告人らのようにすでに公務災害の認定を受けている者である以上、このような振動障害者が振動障害症状として訴える不定愁訴や、甲鑑定書のいう前記の「頸部、上肢などの骨、関節、筋肉……」等の諸症状については、それが私傷病また老化による症状と類似のものであるとしても、乙鑑定や原判決の手法とは逆にそれが私傷病または老化による症状と認め得ぬ限りは、むしろ振動障害症状であること、またはその関与を否定し得ないものというべきものであるのに、原判決は、この不定愁訴等に振動障害以外の原因によるものが含まれ、或はそれと類似しているということのみをもって直ちに「末梢循環障害、末梢神経障害、運動機能障害」以外の症状のすべてを振動障害ではないとして切り捨てているのである。これは、医学的追究の任を全く放棄した医学鑑定というに値しない、極めて政策的なものとして、上告人らが原審準備書面で批判した乙鑑定書の内容そのままである。

これは、振動障害を正視するものではなく、振動障害を長年にわたり否定または矮小化してきた林野庁の方針とその軌を一にするものであり、振動障害の病像また症状を見誤り振動障害に対する正当な補償を拒否するものである。

この点について、山田信也証人の原審二回証言(調書58、59頁)の所見は、「振動障害の影響を受け」「その状態が改善されないままに加齢してゆ」く「人達」を「実際に」「診断しますとき、これは、振動障害の影響なのか加齢の影響なのかを見極めることは難かしい場合がしばしば現われます。これは、当然人間の体を臨床医学的に検査をします際に、判断のつかない、つまり何が原因であったか判断がつかない、現象的に同じであるという事例は当然現れます。」「振動障害が非常に頑固な治りにくい病気となってしまう段階というのは症状の三期になりますと目立って参ります。四期になれば当然治癒困難な症例が沢山出て参ります。そういう人達が、そのまま症状が改善されないで加齢現象に加わっていった場合の判断というのは大変難しくなると思います」「労働者を保護するという立場から考えますと」「振動障害の症状の残存する状態を認める以上、その人達の予後に対して、これを考慮に入れながら、老齢の問題も含めて対応せざるを得ないというふうに考えます」というもので、人体が「有機的存在」であることをふまえての正当なものでありまたわが国のチエンソー振動障害絶滅のために立ち上り(甲第六一号証)、当初の頃から振動障害に関し、誠実且つ献身的な取組みを続けてきている医師の語るものとしてもこれを看過するわけにはいかない。

また、前記(1)で述べたように、「全身症状を招くとは考えられない」との原判決の所論が違法、不当であるだかりでなく、振動障害を局所障害というのなら、その治療方法としては、その局部のみの手当をすべきものであるのに、そうではなく、全身的治療を行うことが振動障害治療を行なっているすべての医師に定着しているというこの厳然、明白な事実は、チエンソー等振動障害が甲鑑定等多くの研究者がいうように、全身的症状であることを如実に裏づけているものであり、局所障害をいう見解の皮相・浅薄を何よりも有力に物語っている。

してみれば、原判決が甲鑑定を排斥し、乙鑑定を採用してそのままに右の如く「不定愁訴」等を全く捨て去り、そのいう「末梢循環障害、末梢神経障害、運動機能障害」のみを「振動障害」として対象視するのは右述の各証拠等及び前記(1)に指摘の各証拠等及び事理並びに正当な甲鑑定、更には、前記(1)の自らいうところ(四―壱〇)とも矛盾する全く不自然、且つ合理性のない所論であり、判断遺脱、また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法があるものといわなければならない。

(二) 「全身障害説をとることはでき」ないについて

原判決のいうように「局所振動による人身障害が、その振動の当該人体に伝播する人体局所ないしその付近の局所的な障害に限られる(局所的疾患)か、あるいは中枢神経系の障害等を含む全身的疾患(全身的疾患)までに悪化する場合があるかに関して、医学的知見は一致していない」ところ、原判決が、「いかなる疾病でも苦痛を感じ、有機的存在である人体は僅かな局所の障害でも全身的苦痛として感ずることは当然であり、局所的障害でもそれの対策を講ぜず、永年経つと全身的障害となる可能性はある」としながら「中枢神経が苦痛を感ずるのはその機能によるものであり、乙鑑定がいうようにチエンソー等の振動が中枢神経を障害し脳、脊髄、心臓、下肢に病変を与えると考えることはできないこと、外部からの負荷刺激に対する人体の反応が顕在化したものが振動障害であり、この負荷刺激を除去したり治療を施すことにより振動障害が治癒軽快することはあっても、それが経年だけにより進行増悪したり年を経て新しく顕在化することは臨床医学上説明できないことであり、それらは私傷病や加齢によるものとみるより外ないので中枢神経の障害をはじめとする全身障害説をとることはできない」とするその所論は左の各違法がある。

(1) 先づ、右所論は先に「全身的障害となる可能性はある」としているのに「全身(的)障害説をとることはできない」と結んでいるもので、論旨一貫せず、右は前後矛盾しているので論理則、経験則違背または理由齟齬の各違法がある。また、原判決は「中枢神経が苦痛を感ずる」というが、「中枢神経が苦痛を感ずる」ことは医学的にあり得ないと認められるので、この点も亦、同様の各違法がある。

また、右所論は「乙鑑定がいう」ところの「ことは臨床医学上説明できない」というのであるが、然らば、逆にチエンソー等の振動が中枢神経を障害し、脳、脊髄、心臓、下肢に病変を与えるということがなく、また振動障害が経年により進行増悪したり、年を経て新しく顕在化することはないとのことを臨床医学上説明できるのであろうか(例えば、打撲傷がなおっても、その後、特に老年になって痛傷に再びなやまされる等のことは、よくきく話である。なおこの点上告人ら昭和五八年四月一四日原審準備書面25乃至27頁及び昭和五八年一二月一三日付原審準備書面119、120頁)。右の説明ができない限りは、原判決が「局所的障害でもそれの対策を講ぜず永年経つと全身的障害となる可能性はある」ことを肯認する以上、右所論のように「それらは私傷病や加齢によるものとみるより外ない」とすべきものではなく、少くとも振動障害の関与を認むべきものであり、この点採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(2) また、原判決が「局所障害でも」「全身障害となる可能性はある」というのは「局所」が突如全身的になるというのではなく、そのいう「局所」が全身に徐々に波及していくということ、つまり振動が人体に対し、不断に全身的に影響を与えつつあることを意味するものであり、そうでなければ「局所」はいつまでも「局所」のままにとどまり、「全身的障害となる」ことはあり得ない筈である。

そうとすれば、仮りにそのいうように、臨床医学上説明ができなくとも、その故をもって「それら」をすべて「私傷病や加齢」によるものとし、振動障害の関与が全くないとして、これを全部切り捨てたり、またそのこと故に「全身障害説をとることはできない」とする原判決の右所論は採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法あるものといわなければならない。

(三) 人事院規則について

原判決は三―参八、参九、四―壱弐等において「人事院規則一六―〇、一〇条、別表第一、番号44に規定の疾病は、身体のうち右の範囲の『局所』障害を公務上災害として指定したものと解する」として、右規則があたかも振動障害を「局所」障害としているかの如き口吻であるが、だとすれば、この所論は法の解釈を誤った違法がある。

すなわち、右規則には「局所」の記述はなく、これは原則的補償の範囲を定めたにとどまるものであって、右規則をもって振動障害をその指定範囲の「局所」障害と定めたものではない。このことは右人事院規則の立法趣旨や前記(一)(2)で記した甲一八一号証、乙二四三号証、乙二二五号証の一の労働基準局の各文書記載等に照らしても明らかである(なお、上告人ら昭和五八年一二月一三日原審準備書面105頁以下)。

(四) その他

(1) 原判決は四―四乃至六において、鎌田正俊、東儀英夫、人羅俊雄、坂田英治、的場恒孝、三上吉則、田葺清治、山田信也らの各検査所見につき、「いずれもその検査方法がどの程度正確であったか疑問がある」等から「臨床医療に応用できる程の知見とはなっていないとみられる」とし、このことをもって前記(二)の原判決の所論の資料としているものであるが、右の所論は次の各違法がある。

1 「検査方法がどの程度正確であったか疑問」というのであれば、このことは原判決がその対比に供した豊倉康夫の結果報告書や斉藤和雄、石田一夫、斉藤幾久次郎、岡田晃らの各所見についてもまたいえるのに、何故、鎌田正俊らの場合についてのみそのことをいうのか理解に苦しむところであるのみならず、「疑問」というのなら、そのことを確かめるべき所作をなすべきものであるのに、原審証人として出廷した山田信也に対してすら、その正確性の点につき問い質すこともしていないのに、右のように「疑問」というのは審理不尽、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

2 のみならず、原判決が「疑問」とした鎌田正俊らの見解を未だわが国の医学界においてコンセンサスを得ているものではなく、臨床医療に応用できる程の知見とはなっていない」とみるにしても、臨床医学でなければ「病像」を明確にし得ないというものではないのであるから、そのことの故をもって、前記(二)の所論でいうように「それらは私傷病や加齢によるものとみるより外ない」とか「全身障害説をとることはできない」との所論の資料とすることは失当であり、採証法則、論理則、経験則に違背し、また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(2) 原判決は四―壱壱において甲七〇号証による高松誠と山田信也の所見につき「その事例数がわが国における認定者総数と比較して極端に少ないこと、しかもその中には老齢者が数人含まれていて、加齢の影響との関連、鑑別が不明であるからこれにより、全身的疾患説の正当性を裏付けるものとは認められない。」というのであるが、その事例は典型事例が出されているもので、数の多い少ないの問題にはならない。また、右所論は「加齢の影響との関連、鑑別」の「不明」をいうが、原判決自身「局所的障害でも」「全身的障害となる可能性」を肯認する以上、「全身的疾患説の正当性」を否定するものとはなり得ないのであるから、採証法則、論理則、経験則に各違背し、また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(3) 原判決は四―壱壱において、宮本政秋、竹邑正一の死亡事例をもって「振動障害が寄与したとみる余地があること及びその障害が死亡原因の一半であるとの認定をうけたことが認められる」としていながら「これらの事例があるからといって、直ちに、全身的疾病説が正当であることないし局部的疾病説が誤りであることの裏付証拠とみることは、前者の事例は単なる可能性があるというにとどまるし、後者の事例は極めて稀有な特殊事例であることにかんがみ、賛同できない。」というが、上告人ら昭和五八年一二月一三日付原審準備書面77乃至78頁に引用の各裁判例、松藤元の所見、労働安全衛生法規等は、振動障害にかかると私病の素質があっても、振動障害にかからなければ発病しないで済むかも知れない私病が発病したり、或は私病の悪化を促進する可能性が十分あることを裏づける資料であり、右宮本、竹邑の事件は、むしろその典型事例とみられるのであり、振動障害の全身的障害であることを示すに十分なものと認めるべきものであるのに、原判決が右のようにいうのは、採証法則、論理則、経験則各違背または理由不備、理由齟齬の各違法がある。

二 「症状」を重症でないとしたことについて

(一) 乙鑑定採用と甲鑑定採用について

(1) 原判決が三―四において「甲鑑定は被控訴人らの症状のうち私傷病や老化現象から振動障害を原因とする症状のみを抽出することは不可能であるとし、被控訴人らのうち山中が中等ないし高度、同下村、浜崎が中等度、亡大崎は軽度ないし中等度としている外は全部今なお高度の振動障害があるとしているが、その鑑定は労働者一般が長年の労働から職業病に罹患する点の説明として理解できるが本件はチエンソー等による振動障害の有無が問題なのであって被控訴人らの職業病一般を問題としているのではないから採用できない。」とする所論は甲鑑定を不採用とするにつき「本件はチエンソー等による『振動障害』の有無が問題なのであって、被控訴人らの職業病一般を問題としているのではない」として、恰も甲鑑定が「職業病一般を問題」とする鑑定を行なったものであるかのようにいうのであるが、甲鑑定書によれば、「振動工具使用に伴う健康障害」を対象として観察したというもの(なお、労基法施行規則三五条二の別表(3)は「チエンソー等の機械器具の使用により身体に振動を与える業務による「障害」とする)であり、原判決のいう如き「職業病一般を問題」とした鑑定でないことは明白であるから、原判決が「職業病一般を問題」としたものとして、標記のように甲鑑定を不採用としたのは採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(2) また、上告人らは、その昭和五八年一二月一三日原審準備書面87乃至108頁に述べたとおり、振動の「直接」関与の障害だけでなく、「間接」関与の障害或は私傷病、老化の症状と区分できない振動障害をも振動障害またはその関与があると主張したものであるのに、原判決は、前記のように医学的追究の任を全く放棄した、極めて政策的な乙鑑定の結果をそのまま採用して、乙鑑定と全く同様に振動障害の範囲を前記のように狭く限定し、しかも、その範囲以外の振動障害を、そのいう振動障害と全く分離区分のうえ、四―参六において別個のものとしてとりあげ、「次に被控訴人らは、被控訴人らが労基法施行規則や人事院の規則により認定を受けた振動障害以外にもチエンソー等の使用により多くの身体障害を受けていると主張しているので以下において被控訴人らの各症状と退職事情を検討する。振動障害として認定を受けたもの以外でもチエンソー等の使用と相当因果関係のある障害については控訴人の責任が生ずる余地があるからである。」として、その検討を進めているのであるが、このことは、原判決が四―壱〇において、自ら述べている「人体」が「有機的存在」との所見に反するものであり、のみならず、これは上告人らの振動機械使用に伴う健康障害を正当に捉える手法ということはできず、この手法を用いて審判を行なった原判決は判断遺脱、審理不尽また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(二) 上告人らの振動障害症状について

原判決は三―四において、振動障害の「症度分類」について「乙鑑定の結果にあるように、日常生活の機能を失い、甚しい肉体的精神的苦痛のあるものを重度、日常生活の機能に著しい障害のあるものを中等度、中等度までには至らないが日常生活の機能に何らかの障害のあるものを軽度の(a)、日常生活の機能に格別の障害はないが、振動障害により継続或いは断続した不快感を有するものを軽度の(b)に分類する区分によれば足ると解する。この分類によると乙鑑定の結果によると被控訴人らの症状は、被控訴人田辺が軽度の(a)であるのを除き他はすべて軽度の(b)に相当し、被控訴人浜崎、亡安井、亡大崎の場合は振動障害によるものはほとんどないものをみられる。」としたが、この所論については左の(1)乃至(4)の各違法がある。

(1) 原判決の右所論は、前記一(一)(1)(2)で述べたとおり、合理的正当性ある甲鑑定の上告人らの全身的障害、症状の所見を排し、まことに不自然、不合理な乙鑑定そのままに、先に振動障害の公災認定を受けている上告人らの健康障害のうち、振動障害症状とみられる大部分のものを捨象して、これをすべて私傷病、老化扱いし、その振動障害症状を著しく矮小化して、軽症視するものであり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法あるものといわなければならない。

(2) 原判決の右所論は、相対立する甲乙二つの鑑定所見のうちの一つであるコンセンサスのない乙鑑定をそのまま、そっくり引き写したにすぎないものである。これに対する甲鑑定は、前記のとおり、上告人らのうち「山中が中等ないし高度、下村、浜崎が中等度、大崎は軽度ないし中等度としている外は、全部今なお高度の振動障害がある」としているもので、上告人らを、ただ鑑定時に診断したというものではなく、長期にわたり上告人らを診療してきた一審原審証人五島正規医師も、略甲鑑定の所見に副う証言を行なっているのである。

チエンソー等による振動障害者は、重症者もいれば軽症者もいるのであって、原判決も「局所的障害でもそれの対策を講ぜず永年経つと全身的障害となる可能性はある」とするのであるが、その障害発症及び増悪は振動の影響の蓄積の度合によるのであり、振動とその防止対策との相関関係で軽症にも重症にもなるのである。また、原判決の判文によるも、重度者の存在を必らずしも全面否定するものではないようにも思われる。原判決は四―七で、「全身的障害説」を記述しているが、その「説」も振動障害者は、すべて重症者といっているものではない。

また、原判決は局所障害説を「わが国の『主要な』医学知見」(四―八)ということで、その概要を記述しているのであるが、そのいう「主要」の趣意は不明である。「多数」知見の趣意とすれば如何なる証拠資料をもって多数としたのかよく分らない。要は「有機的存在」である人体についての振動障害を全く局所のものとみるのと、全身的に波及していくものとみるのとのいずれがより正当、合理性あるものかの問題に帰着するであろう。このことは、ともかくも原判決は、局所障害説でも労働能力の喪失には至らぬが、相当程度の労働能力減退を生ずることがあるとし、外国の場合(四―壱〇)も「殆んどを軽い」とするが、そうでないものもあることを認めているのであり、原判決指摘の昭和三六年当時のソ連文献(乙二九八号証)資料の評価についても、その前後におけるチエンソー振動障害対策としての「振動の作用をうける時間を大巾に短縮」した等(甲七〇号証253頁)の措置あることをぬきにしてチェンソー振動障害の軽度を論ずることはできない。

ところで、本件上告人らは雇用期間二ヶ月毎更新の身分不安定な作業員で、賃金は日給出来高払であり、その大部分が高齢時からチエンソー等を機械改良のない時期からその使用を開始したもので、昭和四〇年末頃の或程度の機械改良はあったものの、障害防止策としてさしたる効能もなく、また使用時間規制の全くなかった時期の振動障害公災認定者である。上告人らの振動障害の発症及び公災認定の前後の経過をみれば分るように、上告人松本、田辺、岩崎、加納、亡三笠、下村、亡大崎らは、夫々管理者の蒼白確認、更には管理医の蒼白確認があっても、その日を災害発生日とされずに、更に後日の管理医の蒼白確認をもって「災害発生日」とされている。また、上告人岩崎、山中、下元、亡安井、亡岡本、浜崎は、公災認定通知日とそれに記載の「災害発生日」との間隔が半年以上も置かれ、浜崎の如きは、実に約二年余もの間隔を置かれている有様であり、公災認定が著しくおくれている。

上告人らは、甲三号証の一乃至一二にも記されているように、いずれも真面目な働らき者で、それだけに林野庁がまさか或程度までの身体障害がチエンソー等使用により上告人らに生じてもやむを得ない等の故意あるものとは夢にも知らず、一生懸命に働いてきたのであり、それだけ振動影響の蓄積は重大なものがあったと認められるのである。しかも、当時は林野庁が自賛する後日の治療、補償は全くなかったのである。公災認定後、上告人らは夫々長年にわたる医師の継続的療養監理の下に置かれてきており、既死亡者は、振動障害のさしたる改善のないまま、また生存者については二〇年近くもの長い年月を経た今日に至るも、なお乙鑑定によるも振動障害症状の消えることなく、多かれ少なかれ残存しているというのであり、また長年にわたる医師の療養と補償によって漸く現症にとどまることができ、これを離れては、上告人らの身心を現在の情況に保ち得ないと認められること等の点からすれば、甲鑑定書、一~二番五島正規医師の証言等はまことに正当、合理性あるものといわざるを得ないのであり、乙鑑定書及びこれのみに依拠する原判決の上告人らに関する前記所論は、その首肯的合理性を全く認め得ず、ただ現症の上面のみをみて軽症視するものといわざるを得ない。

従って、原判決のいう全身的障害説、局所障害説のいずれによろうとも、被上告人らの振動障害を軽症視した原判決の前記の所論は、右述の経過に関する諸事情に照らしても、著しく不合理な所論であり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法あるものといわなければならない。

(3) また原判決は、五―壱乃至壱〇壱において、上告人らの人体から、そのいう振動障害が抽出できるとして、有機的存在である上告人ら人体の健康障害を、そのいう手法により分解、区分し、そのいう振動障害だけでは、その発症時以降今日まで軽症また日常生活の機能、また労働能力に各支障はない旨を記述しているが、局所障害説によるとするも、人体は有機的存在であるから振動障害発症と老化現象、私症が合併し、振動障害の寄与により生体全体の健康障害が重症化し、或はそのため日常生活の機能また労働能力に支障を来している場合、或は振動障害とそれ以外の障害があいまつことなければ、重症化しあるいは日常生活の機能また労働能力に支障を来すことはなかったということも多々あるのであるから、原判決のように、そのいう上告人らの振動障害のみを観念的に頭上に描いて振動機械使用による上告人らの健康被害につき、これを軽症視し或は日常生活の機能また労働能力に支障がないとするのは、その判断を誤ったものであり、判断遺脱また採証法則、論理則、経験則各違背、また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(4) 上告人らは、いずれも振動障害の公務災害認定者である。このような認定者の少なくともその認定時前後の頃の症状をもって軽度、また日常生活の機能、労働能力に格別の支障がないということはできず、乙鑑定は上告人らが、その後長年にわたり補償法等による治療、補償をうけてきた後の鑑定時において、上告人らの症状をみての後日のものであるにすぎないのであるから、原判決が右のような乙鑑定をもって上告人らの振動障害発症時以降、今日までの全期間を通じて、就中、その公災認定前後の頃のその症状についても、軽度また日常生活の機能、労働能力に格別の支障ないとしたのは、その判断を誤ったものであり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(三) 上告人らの原審検証申出について

原審において上告人らは、チエンソー作業の実態等を明らかにするため、昭和五六年六月五日付書面をもって山奥現場における検証申請をしたのに対し、被上告人は平担地での検証申請をした。

しかるに、原裁判所は被上告人の申請のみを採用して、平担地における気楽な作業を短時間実施したにとどめ、山奥におけるチエンソー作業実験の検証申請を敬遠して、その実施をしないまま結審して上告人らの振動障害を軽度のものとし、また日常生活の機能、労働能力に支障ない旨の判決を行なったものである。山奥での検証を実施した一審判決は、チエンソー等作業の実情を身をもって体得し、上告人ら勝訴判決を行なったのに対し、その実施を回避した原判決は、上告人らの振動障害を右の如く軽度等としたものであるが、このように右実施なくして上告人らを敗訴とした原判決は、審理不尽、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

第四原判決の上告人(一審原告一二名)ら個別の健康障害に関する事実認定についての法令違背について

一 まえがき

上告人ら個別の原判決の記述は、いずれも要するに原判決が振動障害とするもの以外の上告人らの諸疾患(健康障害)は、すべてチエンソー等使用を含めた在職中の労働に起因するものと認められない(つまり、加齢、私症のものと認める)ので、その諸疾患が在職中の労働に起因するものであることを前提として、被上告人に債務不履行の責任があるとの上告人らの主張は理由がないというものであるが、この所論は以下述べるとおり、チエンソー等使用に伴う上告人らの健康障害に関し、違法に事実を認定したものであり、また、その解釈、判断を誤ったものである。これについては、上告人ら個別の考察に入る前に、全員に共通の問題として、左記(一)(二)のことを予め念頭に置くことが便宜と考える。

(一) 先づそれは、原判決が上告人個別についていう「日常生活の機能」「労働能力」の各概念と、その両者の関係如何ということである。軽度(症)と日常生活の機能との関係について、原判決は三―四において述べているが、「労働能力」と「日常生活の機能」との関係については、その範疇関係がどういうことになるのか、またそれと「軽度」との関係はどのように考えればよいのか、具体的に考究していくと必ずしも明らかではない。

例えば、上告人らが振動障害の公災認定をうけたその前後の頃の上告人らの振動障害の情況についても「日常生活の機能」「労働能力」に支障ないとし、また「軽度」といえるものかどうかである。

公務災害の認定や職業病の指定は、それが人間の「日常生活の機能」や「労働能力」に支障を来すものであるが故に、これを法定して、その障害者に対し、その補償を行うことになっているというべきであろう。

また、例えば、人間は生れながらの身障者であっても或は後天的に身障者になったとしても、それに相応して全力をつくし、人並みにこの世を生きようとし、また生きていくのであり、たとえ身障であっても人並み以上の活動を行なっている者もこの世には数少くないのである。そのために、それらの者は身障を堪えしのび、また人並み以上の努力をして、不具の情況を克服しなければならないことになるのである。

身障者がその我慢と努力によって、人並みに生活している場合に「日常生活の機能」「労働能力」に支障がない、また「軽度」といってよいのであろうか。

また、事例によっては、「日常生活」に支障がなくとも、「労働能力」に支障ある場合があるであろうし、その逆の場合もあるかも知れない。

なお、上告人らの「日常生活の機能」「労働能力」に支障があるかどうか、また上告人らが「軽度」といえるかどうかについては、更に次の原判決記述に関する(1)乃至(3)のことが特に留意されなければならない。

(1) 先づ、それが本件鑑定時の症状についていうものか、それとも振動障害発症以降鑑定時までの全期間を通じての症状についていうものかが明確にされなければならない。

原判決は、個別記述において上告人のうち田辺、下村、浜崎の三名を除くその余の九名については「発症」「発病」以降その(格別の)支障ない旨を記述しているが、右三名については、そのようになっていず、「昭和五六年当時」の症状についてのみ記すものもある。

(2) 林野庁は、当初は勿論のこと、それ以降も長年にわたり振動障害をレイノー現象に限る傾向があり、それ以外の振動障害症状を全くみようとはしなかったこと、前記第二の二(二)(3)2リで述べたとおりであり、これを原判決にあえて否定していないと認められるところであるから、労働基準局文書も認める全身的症状としての振動障害については、上告人らが昭和四八年五島正規医師の診断をうけて記録されるまでは、それまでの管理医の関係書類や林野庁の記録に記されるべくもなかったのである。

(3) 次に、上告人らは上告人らの健康障害の諸症状に加齢現象や私傷病のものもあることを否定するものではないが、上告人らは、すでに先に振動障害につき公務災害の認定をうけているものである以上、人体が原判決も認める有機的存在であるからには、振動工具の使用に伴う上告人らの健康障害については、次の1乃至5のように考え、そのうえで上告人らの生体全体として「日常生活の機能」「労働能力」の問題、またその軽度か否かを考えるべきものである。

1 先づ、振動障害また老化、私傷病のいずれにもみられるいわゆる類似症状については右両者のいずれか、またその関与の度合如何の区分はできないので、振動障害の関与を全面否定すべきものではないということである。このことは前記第三で既述のところであり、上告人らの昭和五八年四月一四日及び同年一二月一三日原審準備書面においても詳述したとおりである。原判決も「局所障害でもその対策を講ぜず永年経つと全身的障害となる可能性」あることを肯定している以上、なおさらのことである。

しかるに、原判決は右のように振動障害の関与を全面否定できない筈のものを、そのあるがままに認定せずに、乙鑑定の医学的でないばかりか、全く不合理な手法をそのまま採用しあえてこれを基本としていわゆる類似症状の大部分を振動障害以外の加齢、私病によるものと断定していることは許されないことである。

2 上告人らのチエンソー等使用開始年齢は、松本、田辺、岩崎が各四八歳、山中が五四歳、下元が四四歳、安井が四五歳、岡本が五八歳、加納が五三歳、三笠が五七歳、下村が三〇歳、浜崎が四三歳、大崎が四四歳という具合に、下村を除くその余の者すべてが四〇歳代~五〇歳代の高齢者であり、しかも、原判決によれば、上告人らの何名かはチエンソー使用開始の早い頃から、或はその途中においてすでに原判決記述の私病名による治療を受けていることになっているが、だとすれば、このような高齢者であること、また私病名による治療を受けている者であることを林野庁は知りながら、または知り得たにも拘らず、このような者にチエンソー等を使用させて、振動障害に罹患させ、その公災認定の事態にまで至らせたということからしても、乙鑑定同様の手法を基本として前記の類似症状につき、振動障害の関与を原判決のように全面否定すべきものではないということである。すなわち、林野庁はすでに昭和三二年の時点において甲一三三号証をもって、「伐木造材手」の「機械化」に関し「体力の衰え始めた老齢者は生理的にみても決して好ましいことではなく、むしろ避けるべき」と自ら認めているものである。また、昭和三六年出版の甲六九号証松藤元(171乃至193頁)は、「振動病に罹りやすい素質を有する人」だけでなく、「振動を受けて悪化するような疾病をもっている人」を「振動作業につけないようにすることは予防上大切なことである」と早くから明らかにしているのである。このように、高齢者や私傷病等ある者を振動工具作業に就けるべきでないことは、すでに早くから明らかにされていたことであり、後になってから漸く分ったというものではないということである。この当然のことを労働安全衛生法も、その六二条、六八条、労働安全衛生規則六一条三号等で法定するに至っている。

右述のことは、振動障害にかかると私病の素質があっても、発病しないで済んだかも知れない私病が発生したり、或は私病の悪化を促進する可能性が極めて強いことを意味しているものにほかならない。

3 また、原判決は「振動障害」が「経年だけにより進行、増悪したり、年を経て新しく顕在化することは臨床医学上説明できないこと」として乙鑑定そのままのことをいうのであるが、その失当であること既述のところであり、打撲傷等の例の場合等と同様、振動障害の場合のみが例外ということはあり得ないから、このことからいっても、いわゆる類似症状について振動障害の関与を原判決のように全面否定すべきではない。

4 また、原判決も四―壱壱において、振動障害が死亡に寄与したとみる余地あることを認めているのであるから、振動障害が、そのいうように局所障害としても、高齢者や私症を有する振動障害者はその障害のために、右2に記したように、振動工具使用に伴う健康障害として、甲鑑定がいうように加齢及び私傷病を招き、或はその促進に寄与する可能性も極めて強いのみならず、人体は有機的存在であることから、振動障害発生と老化現象、私症が合併し、振動障害の寄与による生体全体の健康障害が重症化し、或はそのために日常生活の機能または労働能力に支障を来すことが十分ありうるのであるから、こういった意味合いにおいても、原判決のように、上告人らの健康障害のうちから、そのいう振動障害のみを観念的に抽出して、その軽重或は日常生活の機能、労働能力支障の有無をいうことは失当である(昭和五四年七月九日東京高判、労働民例集、30巻4号、741頁、判例時報930号20頁、昭和五五年七月四日札幌地判、判例時報995号45頁等)。

5 林野庁振動対策研究委員会(甲一三〇号証)委員の一員である三島好雄教授(乙一九号証、二七乃至二八号証各一・二、甲二一一、二一五、四〇号証)は、振動障害としての「レイノー症状は一度起こると非常に強く、なかなか治りにくいこと、振動障害としての異常反射が正常に戻ることはない」「うまい具合に症状が起こらないで過しているような人でも、例えば寒い所へ薄着で出ていくといったようなことをすると、必ず出てくる」、「症状がないことと、病変が元に戻ったということとは全く別」、「蒼白発作はチッピングハンマー使用者よりもチエンソー使用者のもののほうが高度」と述べている。

(二) 上告人らの振動障害につき「日常生活の機能」「労働能力」の支障の有無または「軽度」か否かにかかわるものとして、原判決が記述していると認められる主なるものにつき以下(1)乃至(6)のとおり述べておく。

(1) 「職種替」であるが、上告人らのうち何人かはその勧告をうけているが、このこととその勧告を受けた前後の頃以降における当該上告人の「日常生活の機能」「労働能力」との関係如何である。

「職種替」を勧告された上告人らの振動障害を「軽度」というかどうかはともかく、少くともその勧告後、その上告人は振動工具を使用する労働を含めたその種の日常活動を制約される生体となったことになることは疑いのないところであり、これをもって原判決のいうように「日常生活の機能」「労働能力」に支障ないとするのは失当である。なお、「職種替」は、前記第二の二(三)(3)2ヲでも述べたように、賃金が下ることになり、当時は後日のような賃金補償のこともなかったし、上告人らは雇用期間二ヶ月更新の身分不安定な作業員であり、チエンソー等作業要員として不適ということで林野庁により再任されない危惧もあるうえに、これがやがて退職の場合の退職金や年金額等にも影響する等の当時の情況であったことから、振動障害による痛み、しびれ等の身心の故障を堪えしのびながら、職種替に応じないで、従来のチエンソー等作業を継続せざるを得なかった事情が明白であるところ、この事情をみないで、単に職種替に応じなかったとの故をもって、当時上告人らが「日常生活の機能」「労働能力」に各支障がなかった、または「軽度」とみるべきものではないということである。

(2) また、原判決は、チエンソー使用の上告人らの大部分につき、「昭和四〇年末」ころ以降「防振ハンドル装置」がつき、振動の強さは「約三G」となったというが、その防振の効果は余りなく、結局その有効は昭和四四年四月の使用時間短縮措置を待つしかなかったことは、原判決別表第八の公災認定者数の推移情況によるも明瞭であること等既述のところであり、従って、右「防振ハンドル装置」のことは、上告人らの振動障害症状を軽度とし、或は「日常生活の機能」「労働能力」に支障の有無に関する資料とはなり得ないということである。

(3) 次に「管理医」に関することである。原判決によると上告人松本、田辺、岩崎の三名が、夫々管理医の診察を受けたときに、各管理医が「全国的な診断基準」に照らして「軽微」であるとみて、チエンソー等作業の継続に支障ないとした旨の記述(五―参、壱五、弐五)があるが、そのいう「全国的基準」とは一体どのようなもので、誰が設定したものか。その設定者が、林野庁であることは乙二〇七号証及び前記第二の二(二)(3)2リ「管理医」の点で記述したところから明らかである。このことは、林野庁が職種替及び治療を必要とみるまで、上告人らにチエンソー等作業を行わせたということであり、その後は、賃金低下の職種替えを勧めてみたり、退職を勧告したりの使い捨てということになるわけである。右の原判決の記述は、管理医が林野庁の意に副ってもっぱらレイノー現象追及につとめ、これの手当をしたにすぎないことを示している。その確認後もチエンソー使用を中止することなしに治療しながら、その使用を継続するということは、わが国の主要な労働衛生専門医学者の意向に反しての林野庁の当時の基本方針であったこと前記のところであり、管理医はこの方針に従ったまでである。

従って、管理医が「軽微」とみたというよりは、林野庁の右方針に則して、そうみたということになるのであるから、管理医の「軽微」の所見をもって、直ちに原判決のいうように「軽度」等とみるのは正しくない。

(4) 原判決の記述(五―九等)によると、「ソ連のガラニナやドロギチナ」らも昭和三六年当時の資料(乙二一八、二九八号証)で「チエンソー等による振動障害」は、「局部的で軽度」等としているというのであるが、すでに昭和三二年頃から使用時間規制等、振動対策が早くから行われている昭和三六年当時のソ連の医学者の所見(甲七〇号証252 253頁)をもって、格別の振動障害対策がまだ行われないでいた時期のわが国における上告人らの振動障害の症状の軽重等をみる資料として取上げることは全く不合理であり意味がない。

(5) 上告人らの「退職」原因につき振動障害の関与の有無の問題がある。上告人らの退職時、公務災害に認定されていたかどうかにかかわらず、振動障害が発症して、障害者となったことから、上告人らが振動機械の使用を禁じられた者は勿論のこと、そうでない者も継続して振動機械作業を行えば、自分の身体がより一層おかしく駄目になっていくであろうし当時「白ろう」病にかかれば治療しても治らないといわれていたが、さりとて職種替えすれば収入低下となり、生計にかかわるので、爾後の身のこなし方として、種々に迷い、思案の末比較的年齢の若い者(被上告人国の昭和五二年三月一五日一審準備書面(五)9頁)は早々に各相応の転業にふみきり、また高齢の者(右準備書面(五)7頁)の多くが退職金に有利な左記の性格の「特別措置」に応じて各退職したからといって、これをもって原判決のいうように「自己の都合」「高齢」のための任意のもの、また振動障害の関与ないものとみることは正しくない。

右の「特別の措置」について附言すれば、林野庁は、そのいう「高齢者」に「従来」「退職の勧奨を行なってきた」が「その成果が上らず」「これが打開策として」「定めた」と、被上告人が自陳(右準備書面(五)8頁)していることから明らかなように、「高齢者」に退職を進めても応じないため、林野庁が弱り果てて採用した施策であった。この特別措置が採用された頃は、国有林野の職場では振動障害の拡大、深化の傾向が相当に進展して公災認定が始っていた情況であり、林野庁が高齢の振動障害者につき、その整理をはかってみたが、意のままにならず、そのためやむをえず退職金割増による右の「特別措置」を考出して「高齢」の振動障害者を職場から態よく追い払う策としたものである。このことは上告人らに対する退職勧告等の経緯、顛末に関する関係証拠及び右「特別の措置」が行われた当時の職場の諸情況等から十分認められるところである。なお、原判決はその「特別の措置」による退職金の額につき、どのように計算したのか不明であるが、通常の退職金の約二倍近いようなことを記述しているが、とんでもない話であり、このことは当時の資料により算出すればすぐ分ることであるが、上告人松本の場合、その退職時の格付賃金は、一、六五五円であり、「特別の措置」による格付賃金の改定率は一二七・二パーセントであり、割増額に二七・二パーセント増にとどまるものである。

右の諸事情からしても、特に明確な反対の事情が認められない限り、振動障害に罹患しそのために従来どおりのチエンソー等作業ができなくなったことが、多かれ少かれ、上告人らの退職とかかわっているものとみるべきものである。

なお、当時「白ろう」病につき、山の労働者間において、レイノー現象のために手指が脱落或は腐敗する等の噂まで流れていた(甲三号証一一の九)のである。

(6) 上告人らの公災認定おくれによる振動障害重症化の情況については、上告人らの昭和五八年一二月一三日付原審準備書面153乃至185頁のとおりである。

二 右一項(一)(二)を前置いて

以下、右一項(一)(二)を前置いて、上告人(一審原告)各本人毎の原判決の健康障害に関する事実認定についての法令違背について述べる。

(一) 上告人松本勇関係

原判決が五―壱弐において、その挙示の各証拠等資料を総合のうえ、上告人松本の健康障害について「被控訴人松本の振動障害は両手指の循環障害と末梢神経障害であること、このため両手指に発症していた蒼白発作の症状は昭和五〇年一一月ころまでに治癒したこと、右両手指の循環障害と末梢神経障害の症状の程度は発症以来軽度で、日常生活の機能には労働能力面を含めて格別の支障はなく、右障害により時折、幾らかの不快感がある程度であることが認められる」が、「右障害以外の前記二及び同三の2、3、4、5、6、7で説示の病症はチエンソー使用を含めた被控訴人松本の営林署での就労に起因するものとは認め難」く、他に「肯認できる正確な証拠はない」とし、また、証人五島正規の「前記二及び同三の2、3、4、5説示の各病症がすべて振動病によるものであり、その病症の程度は対症的治療を施しているので多少は軽快しているが、軽くはない」との供述、また甲鑑定の「右病症のほか前記三7の疾患中の大半及び前記三6の一覧表番号5、6、8の各疾患も、チエンソー使用を含む被控訴人松本の営林署での労働によるものとみるべきである」との所見等を不採用としたのは、その認定、判断を誤ったものであり、採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

すなわち、右五島正規の一・二審証言及び甲鑑定の結果等と、前記の前置いた一項(一)(二)及び前記第三で述べたところ並びに後記(1)乃至(5)の諸事情等を総合することにより、原判決がチエンソー使用に伴うものでないとした上告人松本の生体に存する右標記の諸症状(また甲鑑定書指摘のもの)は、振動障害またはその関与、少くともその寄与を否定し得ない諸症状と認むべきものであり、このことから同上告人在職時のチエンソー使用に伴う健康障害は、原判決が同上告人の振動障害としたものだけでなく、右諸症状を合併した有機的症状と認めるべきものであること、従って、「今なお高度の振動障害が残っており、機能的、社会的に日常生活上の不利、不便を蒙っている」(甲鑑定書)生活状況であり、原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に格別の支障がないとみるべきものではないこと、のみならず、上述の諸症状は本件鑑定時における同上告人の健康状態をもとにしたものであるにすぎず、同上告人は約一五年も前に、公務災害認定をうけている者であり、その後今日まで長年にわたりその療養、補償を得て、なおまだ振動障害を残し、漸く現今の右諸症状程度に保留しているもので、今後も生涯にわたりその療養、補償が必要と認められるものであり、また右の如く公災認定を受けている以上、少くともその認定前後の頃の同上告人の振動障害に関して、原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に格別の支障がないとみるべきものではないにも拘らず、以上に反し、原判決が標記の認定、所論に出ていることは肯定的合理性を著しく欠くものであり、この原判決の認定、所論は標記の各違法あるものといわなければならない。

(1) 1 原判決は五―六において、「甲八一号証の記載及び被控訴人松本勇の原審当審(当審分は一、二回)の各供述中、被控訴人松本が営林署に在職中、眩暈がしたりして久保谷製品事業所の集合場から作業現場まで徒歩で登るのは辛らかった、作業中に手がしびれてチエンソーの操作が困難であった旨供述している」のは措信できない等とするが、上告人松本が昭和三七年末の早くから振動障害が発症し、年中のしびれ、痛み、また蒼白等の訴えを行なってきたことは、甲三号証の一、原審山崎巳喜男証言、陳述書等によっても明らかであり、一審における山奥に赴いての現場検証により明らかなチェンソー業務の難儀な重作業の情況からみて、上告人松本の右供述は事実と認むべきものであるのに、同上告人がその退職後における原判決記述の軽作業に従事した程度のことをもって、原判決が右のように措信しないとすることは全く不合理であるのみならず、原裁判所が、上告人ら原審申請の山奥における現場検証も行なわずにいて、右のように措信しないとするのはなおさらのことであり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬、審理不尽の各違法がある。

2 また、原判決五―四、六に記述の同上告人が「職種替え」を希望しなかったということは、職種替えによる当時の不利の情況から、年中のしびれ、痛み等を堪えしのびながら働かざるを得なかったからである。

3 また、原判決五―四乃至六に記述の「退職」のことについて、一般に高齢となっても皆容易に退職しようとはしなかったこと前記一項(二)(5)において述べたところであり、このことから高齢者を整理すべく林野庁が図った「特別措置」についても、同上告人が、当初これに応ずる気配をみせなかったこと原判決も示すところである。してみれば、右「特別措置」は、ただ単に同上告人退職のきっかけとなったものにすぎず、原判決のいうように、その退職決意の「主な原因」と推認すべきものではない。にも拘らず、原判決が右推認をなし、またこの点に関する甲八一号証の記載及び同上告人の一・二審供述を不採用としたのは合理性を欠いており、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(2) なお、原判決記述によれば、上告人松本は、昭和三八年一一月発症し、爾後何回か管理医の診療を受けたが、管理医はレイノー現象を自ら確認することに専心しているのみで、その確認後も、治療しながらのチエンソー作業継続は林野庁の方針であったこと既述のところであり、管理医はその方針に則してすべてを処理したものにすぎない。また、同上告人使用チエンソーに関する昭和四〇年末ごろ以降の防振ハンドル装置は、振動障害防止策として差程有効ではなかったこと前記のところである。

(3) 原判決は五―八、九において、上告人松本に関する五島正規医師の診断情況とその結果所見等を記したうえ、同医師の所見及び甲鑑定の結果を採用できないとしその所以を述べているが、チエンソー等による障害を比較的軽度とする昭和三六年当時におけるソ連医学者の所見をもって、その頃のソ連における振動障害の情況もみないで、直ちに五島医師採用の症度分類等を非難する資料とするのは甚だ失当である。また退職後、同上告人が原判決のいう作業に従事したからといって、相当の身障者でもできることであり、またそのいう当時の通院治療等の情況であるからといって、当時治療をうけてもなおらない疾患といわれてきたこと等から格別の異はなく、また乙鑑定の結果は不合理、失当であること既述のとおりであることから、このような乙鑑定と比較するも、原判決のいう如く「五島医師の右各診断所見を採用できない」とするのは合理性を欠き失当であり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(4) 原判決は五―壱〇乃至壱参において、上告人松本の昭和五〇年以降の私病名による治療関係を含む健康状態を認定した後、また五―壱参においても五島医師所見及びこれに副う甲鑑定の結果、甲八一、一八六号証を採用し難いとしてその所以を述べ、「五島証人や甲鑑定が指摘している病症のうち両手のレイノー現象以外の病症は最も早く診断されたものでも昭和四八年一一月二一日で、被控訴人松本が営林署を退職してから四か年余を経過後であ」る等々のことをいうが、林野庁が振動障害のうち、レイノー現象を除くその余の振動障害症状を全くまたは殆んど重視しなかったこと既述のところ、これらは昭和四八年一一月の五島医師の診断により確認されたものであり、また退職後の上告人松本の労働は、相当の身障者でもその努力によって可能な程度のものにすぎないのみならず、五島医師所見、甲鑑定の結果は、上告人松本の生体に加齢現象あることを否定するものではないこと、五島医師の一、二審証言によっても明らかであるから、同医師が「すべて」を振動病であるとしているかの如くいう原判決(五―壱弐、壱参)は失当である。有機的存在である上告人松本に存するいわゆる類似症状の一切合切を不合理な手法をもって老化現象、私症視する原判決、乙鑑定こそ不合理、失当なものというべきである。また乙鑑定が不合理、失当なものであること既述のところである。

右の次第であるから、原判決が五島正規所見等を前記のように不採用としたのは、その判断を誤ったものであり、採証法則、論理則、経験則違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(二) 上告人田辺重美関係

原判決が五―弐壱、弐弐において、その挙示の各証拠等資料を総合のうえ、上告人田辺の健康障害について「被控訴人田辺は昭和四八年一一月ころ前腕両側に筋萎縮が生じ、同四九年一二月ころ、右拇指・小指の骨間筋群等にも筋萎縮が生じ、五島正規医師は右筋萎縮も振動病によるものであると診断したこと、また昭和五〇年一〇月以降、武田医院で右筋萎縮を局所振動障害(神経炎)によるものとみて、以降、休診日以外の殆んどの日、変形機械矯正術の治療を行っていること、昭和五六年当時における被控訴人田辺の病症とその程度は、手の末梢循環障害が軽度、頸椎症が中等度、肘関節症と肘部管症候群の右肘分が重度、左肘分が中等度、左膝関節症が中等ないし重度、腰椎症が軽度、肩関節周囲炎が中等度、遠位橈尺関節症が軽度、難聴が中等度、末梢神経障害(但し、前腕・手の尺骨側に知覚鈍麻があるが、尺骨神経の知覚神経伝達速度が測定できなかったので、程度は不明)が軽度、肝障害が軽度、血清梅毒反応が陽性であったこと」、「そのうち振動障害の症状とその程度は、肘関節症と肘部管症候群、末梢循環障害、遠位橈尺関節症がいずれも軽度で、末梢神経障害が中等度であり、この振動障害により日常生活の機能に著しい障害があるまでには至らないが、日常の生活機能に幾分かの障害があること、他に病症疾患はないことが認められる。」とし、甲鑑定の「被控訴人田辺の振動障害は右の症状だけに限られず、昭和五六年当時におけるその余の病症の大半が含まれ、その程度は高度で、食事・起居に介添えを必要とする」との所見また原審証人五島正規の甲鑑定に副う供述を採用しない等としたのは、その認定、判断を誤ったものであり、採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

すなわち、右五島正規の一、二審証言及び甲鑑定の結果等と、前記の前置いた一項(一)(二)及び前記第三で述べたところ並びに後記(1)乃至(4)の諸事情等を総合することにより、原判決がチエンソー使用に伴なうものでないとした上告人田辺の生体に存する右標記の諸症状の殆んどのもの(また甲鑑定書指摘のもの)は、振動障害またはその関与、少くともその寄与を否定し得ない諸症状と認むべきものであり、このことから同上告人在職時のチエンソー使用に伴なう健康障害は、原判決が同上告人の振動障害としたものだけでなく、右諸症状を合併した有機的症状と認めるべきものであること(なお、原判決は「被控訴人田辺は昭和四八年一一月ころ前腕両側に筋萎縮が生じ、同四九年一二月ころ右拇指・小指の骨間筋群等にも筋萎縮が生じた」として、右各症状がいかにも右年月ころに各生じたかのようにいうが、これはその頃の五島医師の診断に際して認められたというのが正確であること)、従って、「今なお高度の振動障害が残っており、食事、起居に介添えが必要で機能的、社会的に日常生活の不利、不便を蒙っている」(甲鑑定書)生活状況であり、原判決のように「日常生活の機能」に幾分かの障害がある程度等のものとみるべきものではないこと、のみならず、上述の諸症状は本件鑑定時における同上告人の健康状態をもとにしたものであるにすぎず、同上告人は、約一五年も前に公務災害認定をうけている者であり、その後今日まで長年にわたり、その療養、補償を得てなおまだ振動障害を残し、漸く現今の右諸症状程度に保留しているもので、今後も生涯にわたりその療養、補償を必要とする情況であり、また右公災認定を受けている以上、少くともその認定前後の頃の同上告人の振動障害に関して、原判決のように「日常生活の機能」に幾分かの障害あるにすぎない等とみるべきものではないにも拘らず、以上に反し、原判決が標記の認定、所論に出ていることは肯定的合理性を著しく欠くものであり、この原判決の認定、所論は標記の各違法あるものというべきである。

(1)1 原判決は五―壱九において、「甲七九号証及び原審当審における本人尋問で、同被控訴人が営林署退職を決意したのは、チェンソーの使用を続けていると命をとられるのではないかと心配するようになったからであり、手、腕、肩、足がしびれたり痛むほか耳鳴りもあったと供述している」のは措信できず、「高齢常用作業者に対し特別措置として高額な退職金が支給される機会があったので退職したものと推認される。」というが、同上告人の退職経緯は、後記2のとおりと認むべきものであり、また同上告人が昭和四〇年の早くから振動障害が発症し、年中のしびれ、痛み等の訴えを行なってきたことは、甲三号証の二、原審渡辺忠男証言、陳述書等によっても明らかであり、一審における山奥に赴いての現場検証により明らかにされたチェンソー業務の難儀な重作業の情況、また当時振動障害にかかると一生なおらないといわれてきたこと等からみて、上告人田辺の右供述は真実と認むべきものであるのに、その退職後における原判決記述の稼働作業に従事した程度のこと、また多くの身障者も取得している普通自動車の運転免許取得及びその運転程度のことをもって、原判決が右のように措信しないとすることは全く不合理であるのみならず、原裁判所が上告人ら原審申請の山奥における現場検証も行なわずに、その山奥で作業を行なってきた上告人田辺の右供述を措信しないとするのはなおさらのことであり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬、審理不尽の各違法がある。

2 原判決は、上告人田辺が「退職を申出たのは、局所障害の診断を受けるより以前」(五―壱九)というが、退職申出は同上告人の振動障害症状発生後四年も経過した後のことである。当時「白ろう」病は、山の労働者間においてレイノー現象のために手指が脱落或は腐敗する等の噂まで流れていたのであって、当局から職種替えを求められたことから、当時、当局側より高齢の振動障害者を整理すべく仕向けた右「特別措置」による退職に踏みきり、賃金低下を招き、退職金計算上不利となる職種替えをことわって、右退職まで振動障害の苦痛を我慢して働いたまでのことである。振動障害が同上告人の退職要因となっていることは否定できない事実である。この退職をもって任意というのは失当である。

(2) なお、原判決記述によれば、上告人田辺は昭和四一年一二月、蒼白発作を訴えているが、振動障害の発生はそれより以前であること右(1)1に述べたところであり、爾後何回か管理区の診療をうけたが、管理医は前記上告人松本の場合同様、もっぱらレイノー現象の確認を追うのみであったこと原判決の記述により明白であり、昭和四四年五月に至り、管理医は林野庁設定の前記「全国的な診断基準」に達したとみてか、局所障害(関節炎)とし(五―壱六)、振動工具使用を避けるのが可との所見に出たのである。上告人田辺は「レイノー現象」でなく「関節炎」の名で公務災害認定を受けているが、乙鑑定書によれば、この上告人田辺が上告人らのうちで一番重症というのであり、とすれば、これは振動障害発生以降、振動障害につきもっぱらレイノー現象を追い続けた林野庁の責任である。

また、同上告人使用チェンソーに関する昭和四〇年末ごろ以降の防振ハンドル装置は、振動障害防止策として差程有効なものではなかった。

(3) 原判決は五―壱九乃至弐壱において、上告人田辺に関する五島医師の診断情況とその結果所見を記したうえ、甲一〇一、一〇二号証、乙一五二号証の二の一に各記載の総合判定所見、一、二審の五島正規証言及びこれに副う甲鑑定の結果を採用できないとし、その所以を述べ、先づ五島所見、甲鑑定の振動障害の判定基準が「正確でない」というが、各種各様或は夫々の基準、区分があって格別の異はなく、五島医師も、甲鑑定も夫々の基準に依拠して判定を行なっていることが明らかであり、甲鑑定は乙鑑定の症度区分を批判しているところである。その「正確」性をいうならば、乙鑑定及び原判決採用の基準も亦まことに漠たるもので、「正確でない」というべきである。

また、原判決は甲鑑定所見或は五島医師所見が、「ガラニナの特徴的症状とも齟齬する」というが、そのいうように齟齬しているとみられるとしても、「特徴的」症状と齟齬するというだけのことであって、このことをもって五島医師所見等を不採用とするのは軽率である。また同上告人の退職後の就業、自動車運転のことは相当な身障者にも可能であること、また原判決のいう当時の通院治療状況であるからといって、当時治療をうけても治らない疾病といわれてきたこと等から格別の異はなく、また乙鑑定は不合理なものであること既述のところであるから、このようなものと比較するも、原判決のいう如く右五島証言等を不採用とするのは合理性を欠き失当であり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(4) 原判決は五―壱八において、上告人田辺の私病とその治療関係を認定する等したうえ、五―弐弐の「四」項において「当審における証人五島正規の証言及び甲鑑定の結果中には、被控訴人田辺指摘の病症がチェンソーの使用を含む営林署在職中の労働に起因するとの所見があるが」、「昭和五六年は同被控訴人の七〇才時で、同年現在の右病症中の多くが老化に伴なうものとみても不合理ではないこと、さらには当審における乙鑑定の結果と比較して、右五島正規の証言及び甲鑑定の結果は採用できない。」とするが、五島医師、甲鑑定及び上告人田辺は、同上告人の生体に加齢及び私症による疾患のあることを全面否定するものではなく、同上告人の生体が原判決も認めるように、有機的存在である以上、乙鑑定や原判決が、同上告人の生体に存するいわゆる類似症状について振動障害か否かの区分をなすにあたり、区分不可能また困難なものでも、老化現象、私症として一般にみられるものは、そのことだけで、そのすべてを振動障害でないとみなしたうえ、これを同上告人の健康障害から差引き、残る振動障害とみたもののみについて、ただ単に頭上でその軽重等を論ずることを失当として批判するのである。乙鑑定及び原判決が全く不合理のものであることは明らかであり、原判決が、右のように五島正規証言、甲鑑定の結果を不採用としたのは採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法あるものである。

(三) 上告人岩崎松吉関係

原判決が五―参壱、参弐において、その挙示の各証拠等資料を総合のうえ、上告人岩崎の健康障害について「被控訴人岩崎の振動障害は両手指の末梢循環障害で、レイノー現象と手のしびれ等であるが、その程度は発症以降、軽度で、日常生活の機能には労働能力の点を含めて格別の障害はないこと、この障害により継続的(冬期など)あるいは断続した不快感が伴うこと」、「昭和五六年当時における同被控訴人の疾病には、右の末梢循環障害のほか、パーキンソン病、末梢神経障害、肝障害、糖尿病、高血圧症、脳梗塞、心電図上の虚血性変化、動脈の硬化、頸椎症、ヘバーデン結節、難聴があるがその程度は肝障害と動脈硬化が軽度ないし中等度であるほかは、すべて軽度であること、これらの疾病は加令とか私症病によるものと推認され、チェンソー使用を含む被控訴人岩崎の営林署在職中の労働に起因するとみられるものはないことが認められ」、「前記甲一〇三、一〇四号証、乙一五一号証の三の一ないし四の各記載、原審当審証人五島正規の供述、甲鑑定の結果中、右認定と牴触する部分は爾余の前掲証拠と比較して採用し難い。」等としたのは、その認定、判断を誤ったものであり、採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

すなわち、五島正規の一、二審証言及び甲鑑定の結果、甲一〇三、一〇四号証、乙一五一号証三の一ないし四等と、前記の前置いた一項(一)(二)及び前記第三で述べたところ並びに後記(1)乃至(5)の諸事情等を総合することにより、原判決がチェンソー使用に伴うものでないとした上告人岩崎の生体に存する右標記の諸症状の大部分のもの(また甲鑑定書指摘のもの)は、振動障害またはその関与、少くともその寄与を否定し得ない諸症状と認むべきものであり、このことから同上告人在職時のチェンソー使用に伴う健康障害は、原判決が振動障害としたものだけでなく、右諸症状を合併した有機的症状と認めるべきものであること、従って、現在「パーキンソン病、糖尿病」などの「種々の障害が加わって総合的にみた健康障害は高度であ」り、「振動障害はかなり高度に残っていると考え」(甲鑑定書)られる生活状況であり、原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に格別の支障がないとみるべきものではないこと、のみならず、上述の諸症状は、本件鑑定時における同上告人の健康状態をもとにしたものであるにすぎず、同上告人は約一五年も前に、公務災害認定をうけている者であり、その後、今日まで長年にわたり、その療養、補償を得て、なおまだ振動障害を残し、漸く現今の右諸症状程度に保留しているもので、今後も生涯その療養、補償が必要と認められ、また右公災認定を受けている以上、少くともその認定前後の頃の同上告人の振動障害に関して、原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に格別の支障がないとみるべきものではないにも拘らず、以上に反し、原判決が標記の認定、所論に出ていることは首肯的合理性を著しく欠くものであり、この原判決の認定、所論は標記の各違法あるものといわなければならない。

(1) 原判決は五―弐九において、上告人岩崎の一、二審における「昭和四四年五月三〇日から数回にわたり管理医や営林署から伐木造材手の作業をやめ職種替えするよう勧告されたのは振動病のためである」との供述、また「営林署を退職した直接原因は皮膚炎に罹患し屋外での作業ができなかったためで、この皮膚炎は同被控訴人がチェンソー整備のため分解した部分をガソリン等で洗浄し、そのガソリンに含まれる重金属が手の皮膚から浸透して肝臓の機能障害を起したために発症したので、チェンソー使用の作業に起因する旨」の供述とこれに副う甲鑑定は採用できないとし、管理医が同上告人にチェンソー使用をやめるよう勧めたのは「振動障害が重症であるからではなく」「糖尿病、高血圧、皮膚炎」に対する配慮のためであることが「看取できる」というのであるが、これより先の五―弐六において、原判決は「昭和四四年一月一七日、管理医山中正の診療」で「レイノー現象(合併病として高血圧と糖尿病)の罹患者で振動工具の使用を否」とされた、また「昭和四五年六月一六日の健康診断で、管理医山中正より」「レイノー現象のほか」「接触性皮膚炎、糖尿病、多発性神経痛、心肥大、難聴がある」ので、「振動器具の使用を不可として転職を要すると診断された」と認定しているものであるのに、これをわざわざ無理に、前記のように私病のためのものと「看取できる」と云いかえ歪曲するのはおかしな話である。また、退職原因の皮膚炎の原因が、チェンソー作業に起因するか、それとも私病によるかはいずれともいえないとみるべきものであろう。

(2) 原判決認定によれば、上告人岩崎は、昭和四〇年九月振動障害が発症し、年中のしびれ、蒼白等の訴えも行なってきたことは、甲三号証の三、原審竹内俊夫証言、陳述書等によっても明らかであり、管理医に何回か診療を受けたものの、前記の「全国的な診断基準」に達しない等とされてチェンソー作業を継続してきたが、昭和四四年五月に至り、振動工具の使用を極力さけるのを可との所見が出された。

原判決記述によると、上告人岩崎は、その後も昭和四四年一二月、また昭和四五年六月にも振動工具の使用を否とする診断をうけ、五―弐七の私病と治療一覧表によると、昭和四四年七月以降諸病名で治療が行なわれているのであるが、にも拘らず、このような同上告人に林野庁は依然としてチェンソー作業を行なわせていたものである。同上告人は職種替えすると退職金額が減収となると考えたのであるが、遂に力つきて昭和四五年一二月退職のやむなきに至るのである。同上告人使用のチェンソーに関する昭和四〇年末以降の防振ハンドル装置が、振動障害防止策として差程有効のものとは認められなかったこと前記のところである。

(3) 原判決は五―参〇、参壱において、上告人岩崎に関する五島医師の診断情況とその結果所見等を記したうえ、同医師の所見(及びこれに副う甲鑑定の結果)を採用できないとし、その所以を述べているが、五島医師の所見の基礎であるチェンソー使用による振動障害の病態、進行段階、区分を不正確として非難することの当らないことは、上告人田辺のところで指摘したとおりであり、また原判決のいう如き上告人岩崎の当時の通院情況であるからといって、当時治療を受けても治らない疾病といわれてきたこと等から格別の異はなく、また乙鑑定は不合理、失当のものであること既述のところであるから、このような乙鑑定と比較しても、原判決のいう如く五島医師の右診断所見を不採用とするのは合理性を欠き失当であり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(4) 五島医師、甲鑑定及び上告人岩崎は、同上告人の生体に加齢及び私症による疾患あることを否定するものではなく、同上告人の生体が、有機的存在である以上、乙鑑定や原判決が、同上告人の生体に存するいわゆる類似症状について、振動障害か否かの区分をなすにつき、区分不可能また困難なものでも、老化現象、私症として一般にみられるものは、そのことだけですべて振動障害でないとみなした上、その振動障害とみたもののみについて、ただ単に頭上でその軽重、また「日常生活の機能」「労働能力」各支障の有無をいうのは観念論であり、合理性を欠き失当である。この点からしても、原判決の五島医師証言、甲鑑定の各不採用は合理性を欠く失当のものであり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(5) 上告人岩崎は、原判決も認めるように、チェンソー使用をやめる昭和四五年一二月までに四肢神経炎、筋痛症、胃炎等々の症病名で治療を受けているものであるが、このような者に、林野庁が継続してチェンソー作業を行なわせていたものである以上、同上告人の生体に存した右症病に関するいわゆる類似症状につき、これを私傷病とのみ看なして、振動障害の関与を全面否定するのは全く不合理である。

(四) 上告人山中鹿之助関係

原判決が五―四弐において、その挙示の各証拠等資料を総合のうえ、上告人山中の健康障害について、「被控訴人山中の振動障害は、手指の末梢循環障害と末梢神経障害で、レイノー現象と手のしびれ等の発症を伴なうものであるが、その程度は発病以降軽度で、日常生活の機能には労働能力の点を含めて格別の障害はなく、その発症時に継続的(冬期など)あるいは断続的に不快感が伴なうものであること」、「昭和五六年当時における同被控訴人の疾病は右の末梢循環障害と末梢神経障害のほか、頸椎症・両膝関節症・糖尿病・脳梗塞(以上いずれも軽度)、両指拘縮(左は軽度、右は中等度)、白内障(中等度)、心電図における虚血性変化があるが、右疾病はチェンソー使用を含む被控訴人山中の営林署在職中の労働に起因するものではないことが認められ」「前記甲一〇五、一〇六、二一二号証、乙一五二号証の四の一の各記載、原審当審証人五島正規の供述、当審における甲鑑定人の鑑定結果中、右認定と牴触する部分は爾余の前記証拠と比較して採用できず、他に右認定を覆えし、被控訴人山中指摘の疾病が同被控訴人の営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認するに足る正確な証拠はない。」等としたのは、その認定、判断を誤ったものであり、採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

すなわち、五島正規の一、二審証言及び鑑定の結果、甲一〇六、二一二号証、乙一五二号証の四の一等と、前記の前置いた一項(一)(二)及び前記第三で述べたところ並びに後記(1)乃至(6)の諸事情等を総合することにより、原判決がチェンソー使用に伴なうものでないとした上告人山中の生体に存する右標記の諸症状の殆んどのもの(また甲鑑定書指摘のもの)は、振動障害またはその関与、少くともその寄与を否定し得ない諸症状と認むべきものであり、このことから同上告人在職時のチェンソー使用に伴なう健康障害は、原判決が振動障害としたものだけでなく、右諸症状を合併した有機的症状と認めるべきものであること、従って、「今なお、中等度乃至高等度の振動障害が残っており、機能的、社会的に日常生活の不利、不便を蒙っている」(甲鑑定書)生活状況であり、原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に格別の支障がないとみるべきものではないこと、のみならず、上述の諸症状は、本件鑑定時における同上告人の健康状態をもとにしたものであるにすぎず、同上告人は約一七年も前に、公務災害認定をうけている者であり、その後今日まで、長年にわたるその療養、補償を得て、なおまだ振動障害を残し、漸く現今の右諸症状程度に保留しているもので、今後も生涯その療養、補償を要する情況と認められるものであり、また右公災認定をうけている以上、少くともその認定前後の頃の同上告人の振動障害に関して、原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に格別の支障がないとみるべきものではないにも拘らず、以上に反し、原判決が標記の認定、所論に出ていることは首肯的合理性を著しく欠くものであり、この原判決の認定、所論は標記の各違法あるものである。

(1) 原判決は五―参九において、甲八三号証や上告人山中の一、二審本人尋問における「営林署を退職するより一年前の昭和四三年一〇月ころから、作業中に手がひどくしびれたり痛むことが多くなり、握っていた斧や鉈が握力減衰のため手から外れて付近へ飛ぶことも一再ならずおこり、そのような仕事をやめないと死んでしまうと思い退職した。昭和四四年四月二日以降、四年余り振動病の治療を受けなかったのはそれまで本川村国保診療所で治療を受けてきたが効果がなかったので、自力で治すほかないと思い受診しなかった旨」の供述は採用しがたいとし、その所以を述べているが、上告人山中は、昭和三九年一一月頃すでに振動障害が発症(蒼白出現)しており、昭和四〇年二月以降も屡々しびれ、痛み、蒼白等を訴え、また蒼白が確認され、昭和四一年七月にはチェンソー使用は適切でないとの医師診断がなされたことは甲三号証の四、原審穂積龍夫証言、陳述書等により明らかであり、また原判決も略認めるところであり、昭和四二年三月、公務災害認定後の治痛によるも快方に向わず、当時振動障害にかかると治療しても治らないといわれ、林野庁は振動障害を発生、拡大させておきながら、その治療法については全くとまどっている時期でもあり、また原判決も認めるように、上告人山中の自宅から最寄の診療所まで遠く離れているということもあったのであるから、同上告人が「昭和四二年三月二日から同四四年一月四日までの間」「治療期間の治療を全く受けていないこと」をもって、原判決が同上告人の前記供述を採用しない事由とするのは全く不合理であり、当時の全く不備な治療体制状況を棚にあげ、今日の完備した治療体制があたかも当時から存在していたかの如くにいう失当のものである。のみならず、原判決が当時における同上告人の振動障害を含む生体全体の不健康状態からみて、「佐々木知良管理医による各診療所見」をもって、同上告人が「営林署での作業に支障がある程の症状が発症していたとは思えない」として、そのいう振動障害のことのみを取り立てて「作業に支障」がない旨をいうのもおかしな話であり、更に「内科疾患で高知市の野町病院へ通院していた」際などにも振動障害の治療を専門機関で受ける機会はあったのに受診していない」と原判決がいうに至っては、当時前述のように、振動障害が治療しても治らない疾患といわれ、また加害者で、振動障害を軽視していた林野庁でさえ、治療方法を模索中であった情況をみないで、あたかも現在の治療体制が当時すでに整っていたかの如くいう全く不見識な言いぐさであり、このことをもって上告人山中の前記供述を採用し得ないとするのは失当も甚だしい。

のみならず、既述の上告人らのところで述べたところと同様、一審検証の結果により、上告人山中の前記供述は容易に措信しうるものであるのに、原判決が上告人ら申請の山奥における現場検証も行なわずにいて、右上告人山中の供述を採用しないとするのは軽率、失当も甚だしい。

右の次第からして、原判決が上告人山中の前記供述を採用しないとしたのは、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬、審理不尽の各違法がある。

(2) 上告人山中が「職種替え」に応じなかったこと及びその事情、またその退職につき、同上告人が「特別措置」に応じたことをもって任意の退職とみるべきものではなく、振動障害の関与を否定すべきものでないこと、いずれも既述の他の上告人らの場合と同様である。

(3) 上告人山中は、原判決五―参四乃至参八の振動障害の経過及び私病名による治療を昭和四三年一月から受け、また昭和四二年三月公災認定通知を受けている者であるにも拘らず、このような同上告人に、林野庁は依然としてチェンソー作業を行なわせていたのである。同上告人使用チェンソーに関する昭和四〇年末ころ以降の防振ハンドル装置が、振動障害防止対策として差程有効なものではなかったこと前記のところである。

(4) 原判決は五―四〇乃至四弐において、上告人山中に関する五島医師の診断情況とその結果所見等を記したうえ、同医師の所見及び甲鑑定の結果を採用できないとし、その所以を述べているが、五島医師の所見の基礎としている振動障害の病態、進行段階、症状区分を不正確として非難することの当らないことは既述のところであり、上告人山中の当時の通院等の情況が、原判決のとおりだからといって、当時治療をうけても治らない疾患といわれてきたこと等から、格別の異はないのみならず、五島所見は上告人山中の生体に老化現象あることを否定するものではなく、この点左記(5)のとおりであり、また甲三号証の四は、林野庁がレイノー現象のみを追及していた当時の資料であるにすぎず、乙鑑定が不合理、失当なものであること既述のとおりであるから、原判決が、五島医師の診断所見、甲鑑定を不採用とするのは不合理、失当であり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(5) 五島医師、甲鑑定及び上告人山中は、同上告人の生体に老化現象、私症あることを否定するものではなく、乙鑑定や原判決が有機的存在である上告人山中の生体に対する、いわゆる類似症状について、振動障害か否かの区分にあたり、区分不可能また困難なものであっても、老化現象、私症として一般にみられるものは、すべて振動障害ではないとみなしたうえ、更にその振動障害としたもののみをみて、ただ単に頭上で軽重等を論じていることを観念論として批判するものである。

(6) 上告人山中は、原判決も認めるように、チェンソー使用をやめる昭和四四年九月までに、両足ロイマチ、萎縮性頸椎症等の症病名で治療をうけているものであるが、このような者に、林野庁が継続してチェンソー作業を行なわせていたものである以上、同上告人の生体に存した右症病に関するいわゆる類似症状について、これを私傷病とのみ看なして、振動障害の関与を全面否定すべきものではない。

(五) 上告人下元一作関係について

原判決が五―五壱、五弐においてその挙示の証拠等資料を総合のうえ、上告人下元一作の健康障害について「被控訴人下元の振動障害は両手の末梢循環障害と多発性神経炎であるが、その程度は発症以降いずれも軽度で、そのうちの多発性神経炎は昭和四五年ころ以降殆んど発症がなく、また末梢循環障害のレイノー現象は昭和五〇年ころ以降、発症がなく、労働能力の点を含めて日常生活の機能に格別の障害をきたさないものであるが、それが発症した場合には幾分の不快感等があるものであること、」「昭和五六年当時、同被控訴人は右末梢循環障害のほか、右肩板損傷を主とした肩関節周囲炎(中等度)、右肘関節炎(中等度)、頸椎椎間板症、指関節症・高血圧症・難聴・末梢性ニューロパシー(以上、いずれも軽度)・心電図における軽度の虚血性変化・異常運動発作(過換気症候群)・老人性白内障があることが認められるが、末梢循環障害以外のこれらの疾病はチェンソー使用を含めて、同被控訴人の営林署在職中の労働に起因するものであると認めることはできず」、「甲二一二号証、乙一五二号証の五の一、原審当審証人五島正規の供述及び当審における甲鑑定の結果中、右認定と牴触するところは爾余の前記証拠と比較して採用できず、他に右認定判断を覆えし、被控訴人下元指摘の症病疾患が同被控訴人の営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認できる正確な証拠はない。」としたのは、その認定、判断を誤ったものであり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

すなわち、五島正規の一、二審証言及び甲鑑定の結果、甲二一二号証、乙一五二号証の五の一等と、前記の前置いた一項(一)(二)及び前記第三で述べたところ並びに後記(1)乃至(3)の諸事情等を総合することにより、原判決がチェンソー使用に伴なうものではないとした上告人下元の生体に存する右標記の諸症状の殆んどのもの(また甲鑑定指摘のもの)は、振動障害またはその関与、少くともその寄与を否定し得ない諸症状と認むべきものであり、このことから同上告人在職時のチェンソー使用に伴なう健康障害は、原判決が振動障害としたものだけでなく、右諸症状を合併した有機的症状と認むべきものであること、従って「今なお高度の振動障害が残っており」「機能的、社会的に日常生活の不利、不便を蒙っている」(甲鑑定書)生活状況であり、原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に格別の障害をきたさないとみるべきものではないこと、のみならず、上述の諸症状は本件鑑定時における同上告人の健康状態をもとにしたものであるにすぎず、同上告人は約一八年も前に、公災認定をうけている者であり、その後今日まで、長年にわたるその療養、補償を得て、なおまだ振動障害を残し、漸く現今の右諸症状程度に保留しているもので、今後も生涯その療養、補償を必要とするものと認められるものであり、また右公災認定をうけている以上、少くともその認定前後の頃の同上告人の振動障害に関して、原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に格別の支障ないとみるべきものではないにも拘らず、以上に反し、原判決が標記の認定、所論に出ていることは首肯的合理性を著しく欠くものであり、この認定、所論は標記の各違法がある。

(1) 原判決は五―四九において、甲八四号証や上告人下元の一、二審本人尋問における「昭和四〇年九月から集材手の作業中、手で鉈を振って雑木等を切り払っている際に、手がしびれて鉈が手から外れて飛ぶことが再再あり、その鉈で事故がおこる危険があり不安であったこと、集材作業は若い作業員との共同で行なうため同被控訴人の作業が遅れて他の作業員に迷惑をかけることになるので、営林署を退職した」との供述は採用できないとして、その所以を述べ、また「甲八四号証と原審当審における被控訴人下元一作本人の供述中、前記認定事実と一部ずつ抵触するところは爾余の前記証拠と比較して措信し難い。」としているのであるが、上告人下元は、昭和三七年一一月の早くからすでに振動障害の蒼白が発症し、爾後しびれ、痛み、蒼白出現を訴えてきているもので、昭和四〇年三月中旬すぎ、自宅でめまいがして倒れ、同年四月にはその症病の不安にたまりかねて、自費を覚悟で遠路名古屋まで赴いて、その診断をうけて漸く公災認定を得ているものであること、甲三号証の五、原審橋本四四男等の証言等により明らかであり、またこのことは略原判決も認めるところであるから、一審の山奥に赴いての現場検証により明らかなチェンソー作業の難儀な重作業の情況、また当時振動障害はこれにかかると仲々なおらないといわれていたこと等からみて、下元上告人の右供述は容易に真実と認めうるものであるのに、その退職後に同上告人が相当な身障者にも可能な寿司屋営業、左官業、自動車運転を行なった程度のこと、また山奥作業現場にはめったに顔をみせることのない橋本四四男の証言程度のものをもって、更に自らは上告人ら原審申請の山奥での現場検証も実施してみないでいて、原判決が同上告人の右供述を不採用また措信しないとするのは全く軽率、不合理であり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬、審理不尽の各違法あるものといわざるを得ない。

(2) 上告人下元は、昭和三四年五月以降、標高約八五〇米、冬期最低気温、零下七度という山奥の作業現場でチェンソー作業を行なっていたもので、これは他の上告人らの場合も大同小異であるが、上告人下元は、林野庁の振動障害対策皆無の時期の被害者であり、昭和四〇年秋ころからチェンソーの防振ハンドルのことさえも、同上告人には全く無効のものである。同上告人は、振動障害による身心障害と、強度の不安のため、減収覚悟の「職種替え」にも応じ、また転業を図り退職に及ぶのであるが、これらを同上告人の任意とみるべきものではない。ものごとは、すべて当時の具体的情況がどうであったかを追及、正規することが必要であり、このことをしなければ、正しい事実認定はできない。

(3) 原判決は五―四九乃至五壱において、上告人下元に関する五島医師の診断情況とその結果所見等を記したうえ、同医師の所見及び甲鑑定の結果を不採用とし、その所以を述べているが、五島医師採用の振動障害の病態、進行段階、症状区分等を不正確とする非難が失当のこと既述のところであり、上告人下元の当時の通院等情況が、原判決のとおりのものだからといって、当時治療をうけても治らない疾患といわれてきたこと等から格別の異のないこと既述の上告人らの場合と同様である。また相当の身障者でも、その努力によりなしうる自動車運転を、昭和五二年ころになってから行なっているからといって、このことをもって五島医師所見等を不当視するのは当らず、また五島医師等所見は、上告人下元に老化現象あることを否定するものではなく、この点原判決は、乙鑑定そのままに、同上告人の生体に存するいわゆる類似症状について、振動障害とそれ以外の症状との区分不可能または困難なものすべてを不合理、失当な手法を用いて振動障害でないとみなしたうえ、その振動障害とみたもののみについて、ただ単に頭上でその軽重或は「日常生活の機能」「労働能力」の各支障の有無を観念的に喋々いう不合理、失当のものであり、更に乙鑑定の結果が不合理、失当のものであることは既述のところである。

右の次第から、原判決がそのいうところをもって五島医師所見、甲鑑定の結果を不採用とするのは採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(六) 亡安井計佐治関係

原判決が五―五七において、その挙示の証拠等資料を総合のうえ、亡安井計佐治の健康障害について、「亡安井の振動障害は両手指の末梢循環障害と末梢神経障害であるがその程度はいずれも軽微で、この疾患だけでは労働能力の点を含めて、日常の生活機能に支障はなく、時折、断続的な不快感を伴なうものであること、」「亡安井の死亡(昭和五一年一〇月三〇日)直前における疾病とその程度は、前記末梢循環障害と末梢神経障害のほか、肺結核症(重症)、肺性心・心不全(いずれも重症で死因)、レントゲン線での頸椎症様所見(軽度)、レントゲン線での肘関節症様所見(右重度、左軽度)、レントゲン線での右胸郭成形術による変形(中等度)であるが、右疾病はいずれもチェンソー使用を含む亡安井の営林署在職中の特別の労働に起因するものとはいい難いことが認められ、」「甲一二二号証、乙一五二号証の六の一の記載、原審証人五島正規の供述、当審における甲鑑定の結果中、右認定と抵触する部分は爾余の前記証拠と比較して採用できず。他に右認定判断を覆えし、被控訴人安井徳恵ら四名指摘の亡安井の症病疾患が同人の営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認するに足る証拠はない。」としたのは、その認定、判断を誤ったものであり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

すなわち、五島正規の一、二審証言及び甲鑑定の結果、甲一二二号証、乙一五二号証六の一等と、前記の前置いた一項(一)(二)及び前記第三で述べたところ並びに後記(1)乃至(3)の諸事情等を総合することにより、原判決がチェンソー使用に伴なうものでないとした亡安井の生体に存した右標記の諸症状の多くのもの(また甲鑑定指摘のもの)は、振動障害またはその関与、少くともその寄与を否定し得ない諸症状と認むべきものであり、殊に亡安井の場合、肺結核症、肺性心等の重症化、死因に多少の寄与あったことを否定し得ないものというべきであり、右述のことから、亡安井在職時のチェンソー使用に伴なう健康障害は、原判決が振動障害としたものだけでなく、右諸症状を合併した有機的症状と認めるべきものであること、従って、退職後死亡までの、原判決認定の入退院の繰返しもあり、「当時高度の振動障害があったと推定され」「肺結核症等で振動障害の治療を殆んど受けられ」ず、「肺結核症とともに振動障害は身体の苦痛を強めていた」(甲鑑定書)生活情況であったものであり、これを原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に支障ないとみるべきものではないこと、のみならず、亡安井は昭和四二年一一月、災害発生日昭和四一年一月四日ということで、公災認定通知をうけている者であり、このように、いやしくも公災認定を受けた者のその認定前後の頃の同人の振動障害に関して「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に支障ないとみるのは失当であるにも拘らず、以上に反し、原判決が標記の認定、所論に出ていることは首肯的合理性を著しく欠くものであり、この原判決の認定、所論は標記の各違法あるものといわなければならない。

(1) 原判決は五―五六において、「甲一二七号証の記載、原審証人安井徳恵及び当審における被控訴人安井徳恵本人の各供述中、一部ずつ右認定と抵触するところは爾余の前記証拠と比較して採用できない。」というが、亡安井は昭和三九年頃すでに振動障害が発症(蒼白出現)しており、昭和四〇年六月肺結核により入院し、公災認定の「災害発生日」とされる日より約一年以上も前の昭和四〇年八月二七日にも蒼白が医師により確認され、また、しびれ等を訴える等のことが甲三号証の六、原審山下良雄証言、陳述書等によるも明らかであり、また甲一二七号証、一、二審安井徳恵本人供述により、相当の身心苦痛であった等のことが認められるのである。原判決の、安井徳恵証言不採用は、振動障害を軽視する林野庁主張べったりの不公正なもので合理性がなく、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の違法がある。

なお、労基法一九条によれば、「使用者は、業務上負傷し、又は疾病にかかり療養のために休業する期間」「は解雇してはならない」とあり、亡安井の「災害発生日」が退職以前の日となっているのであるから、営林署が休職期間満了による退職扱いをしていることには疑義がある。

(2) 原判決は五―五六、五七において、亡安井に関する五島医師の診断情況とその結果所見を記したうえ、同医師の所見及びこれに副う甲鑑定の結果を不採用とし、その所以を述べているが、五島医師採用の振動障害の病態、進行段階、病状区分等を不正確とする非難が失当であること既述のところであり、また、亡安井の当時の通院等情況が原判決のとおりであるからといって、当時治療をうけても治らない疾患といわれてきたこと等から格別の異はないのみならず、亡安井の場合、肺結核等のため振動障害治療を受けられなかったという情況もある。また五島医師の所見等は、亡安井に私傷病や老化の各症状もあることを何ら否定するものではなく、問題は、有機的存在の亡安井の生体に存したいわゆる類似症状につき、区分不可能また困難なものをありのままに区分不能として、上告人らの健康障害の情況をみるのか、それとも原判決や乙鑑定のように、人体の有機性を否定して私症や老化にみられる症状として、一般にみられるものだからということで、これを全部振動障害でないとみなしてしまうのかである。

また、乙鑑定が不合理、失当のものであることは既述のところである。右の次第であるから、原判決が、そのいう所以をもって五島医師所見、甲鑑定の結果を不採用とするのは、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(3) 亡安井は、原判決も認めるように昭和三九年に気管支喘息、心不全・心室性期外収縮症で治療を受けていたものであるにも拘らず、このような者に、林野庁が昭和四〇年五月初めまでチェンソー作業を行なわせていたものである以上、右症状に関し亡安井の生体に存したいわゆる類似症状につき、これを私傷病とのみ看なして、振動障害の関与を全面否定すべきものではなく、原判決はその判断を誤ったものである。

(七) 岡本吉五郎関係

原判決が五―六四、六五において、その挙示の証拠等資料を総合のうえ、亡岡本の健康障害について、「亡岡本の振動障害は手指の末梢循環障害と末梢神経障害であり、発症以降その程度はいずれも軽度で、労働能力の点を含めて日常の生活機能に支障がなく、その発症時に断続的又は継続的(冬期)に不快感を伴なうものであったこと」、「亡岡本の死亡直前における疾病は右の振動障害のほか、感冒・糖尿・全身皮膚炎・胃炎(胃がんで胃亜全剔術後のもの)・動脈硬化・両足のしびれ感・めまい・耳なり(いずれも各症状の程度不明)、頸椎椎間板症(程度不明、レントゲン像では軽度)、感覚鈍麻(軽度)、胸部絞扼感(程度不明、心電図では異常なし)、脳血栓(死因)があるがこれらはチェンソー使用を含めて亡岡本が営林署在職中の特別の労働に起因するものとみることはできず」、「甲九三、一一〇号証、乙一五二号証の七の一の各記載、原審証人五島正規の供述及び甲鑑定の結果中、右認定と抵触するところは、爾余の前記証拠と比較して採用できず、他に右認定判断を覆えし、被控訴人岡本由子ら三名指摘の亡岡本の症病疾患が亡岡本の営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認するに足る証拠はない。」としたのは、その認定、判断を誤ったものであり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

すなわち、五島正規の一、二審証言、甲鑑定の結果、甲九三、一一〇号証、乙一五二号証の七の一等と、前記の前置いた一項(一)(二)及び前記第三で述べたところ並びに後記(1)乃至(3)の諸事情等を総合することにより、原判決が、チェンソー使用に伴なうものでないとした亡岡本の生体に存した右標記の諸症状の多くのもの(また甲鑑定指摘のもの)は、振動障害またはその関与、少くともその寄与を否定し得ない諸症状と認むべきものであり、亡岡本の場合、原判決も認めるようにチェンソー使用をやめるまでの間に、狭心症、糖尿病等の症病名で治療を受けているものであるが、このような者に、林野庁が継続してチェンソー作業を行なわせていたものである以上、亡岡本の生体に存した右疾病に関するいわゆる類似症状について、これを私症とのみ看なし、振動障害の関与、少くとも寄与を否定すべきものではないこと、右述のところから、亡岡本在職時のチェンソー使用に伴なう健康障害は、原判決が振動障害としたものだけでなく、右諸症状を合併した有機的症状と認めるべきものであること、従って、少くとも退職後死亡まで「当時高度の振動障害があったと推定され」、「機能的、社会的に日常生活の不利、不便を蒙っていた」(甲鑑定書)生活状況であったものであり、これを原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に支障ないとみるべきものではないこと、のみならず、亡岡本は昭和四一年一二月に、災害発生日、昭和四〇年三月一五日ということで公災認定通知を受けている者であり、このように、いやしくも公災認定をうけた者その認定前後の頃の同人の振動障害に関して「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に支障ないとみるのは失当であるにも拘らず、以上に反し、原判決が標記の認定、所論に出ていることは首肯的合理性を著しく欠くものであり、この原判決の認定、所論は標記の各違法がある。

(1) 原判決は五―六参において、「甲八二号証の記載及び原審当審証人田村末子の供述中、右認定と抵触するところは爾余の前記証拠と比較して措信できない。」というが、亡岡本は、昭和三七年ごろすでに振動障害が発症(蒼白出現)しており、爾来、年中その症状を訴えてきた(甲三号証七)ものであり、その後上司である原審楠瀬喜已証言によれば、前記のとおり狭心障・低血圧でチェンソー使用を一時中止したというものであるのに、このような者に、その後一年以上も引続いてチェンソー作業を行なわせているのである。のみならず、亡岡本は、退職後妻末子と結婚するが、原判決も認めているように、年中手のしびれを訴える情況(五―六壱)であり、看病されるために末子と結婚したようなもので、妻の日常の介護を必要とし、看護のため、妻も坐骨神経痛を病む有様であり、原判決が同人の供述を措信しないとするのは採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(2) 亡岡本は、昭和三九年度「特別措置」による退職を行なっているが、その原因として振動障害の関与は否定できない。

(3) 原判決は五―六三、六四において、亡岡本の五島、井澤両医師の診断情況とその結果所見を記したうえ、同医師らの所見とこれに副う甲鑑定の結果を不採用とし、その所以を述べているが、五島医師採用の振動障害の病態、進行段階、症状区分等を不正確とする非難が失当であること既述のところであり、また亡岡本の通院情況が、原判決のとおりのものであるからといって、当時治療をうけても治らない疾患といわれてきたこと等から格別の異はないし、五島医師所見等が、亡岡本に老化現象あることを否定するものでなく、この点、亡岡本に存したいわゆる類似諸症状につき、原判決、乙鑑定に不合理あることは他の上告人につき述べたところと同様であり、更に乙鑑定が不合理、失当のものであることは既述のところであるから、原判決が、そのいう所以をもって五島、井澤両医師所見、甲鑑定の結果を不採用とするのは採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(八) 上告人加納勲関係

原判決が五―七四において、その挙示の証拠等資料を総合のうえ、上告人加納勲の健康障害について、「被控訴人加納の振動障害は両手指の末梢循環障害で、レイノー現象と手のしびれ等の発症を伴なうものであるが、その程度は発病以降軽度で、日常生活の機能には労働能力の点を含めて格別の障害がなく、レイノー現象の発症時に継続的(寒冷期に発症した場合)あるいは断続的な不快感が伴なうこと」、「昭和五六年当時における同被控訴人の疾病は、右の末梢循環障害のほか、右肘関節症、心房細動、冠不全、心不全、四肢動脈硬化、(以上中程度)、左肘関節拘縮、頸椎症、右膝関節症、難聴、高血圧症、末梢性ニューロパシー、脳梗塞(以上いずれも軽度)であることが認められるが、これらの疾病のうち両手指の末梢循環障害以外のものはチェンソー使用を含む被控訴人加納の営林署在職中の労働に特別起因するとは認めがたく」、「前記甲一一一、一一二、二一二号証、乙一五二号証の八の一の各記載、原審当審証人五島正規の供述、当審における甲鑑定の結果中、右認定と牴触する部分は爾余の前掲証拠と比較して採用し難い。」としたのは、その認定、判断を誤ったものであり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

すなわち、五島正規一、二審証言、甲鑑定の結果、甲一一一、一一二、二一二号証、乙一五二号証八の一と、前記の前置いた一項(一)(二)及び前記第三で述べたところ並びに後記(1)乃至(3)の諸事情等を総合することにより、原判決がチェンソー使用に伴なうものでないとした上告人加納の生体に存した右標記の諸症状の殆んどのもの(また甲鑑定指摘のもの)は、振動障害またはその関与、少くともその寄与を否定し得ない諸症状と認むべきものであり、同上告人在職時のチェンソー使用に伴なう健康障害は、原判決が振動障害としたものだけではなく、右諸症状を合併した有機的症状と認むべきものであること、従って、「今なお高度の振動障害が残っており」「機能的、社会的に日常生活上の不利、不便を蒙っている」(甲鑑定書)生活状況であり、原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に格別の支障がないとみるべきものではないこと、のみならず、右諸症状は本件鑑定時における同上告人の健康状態をもとにしたものであるにすぎず、同上告人は約一五年も前に公災認定をうけている者であり、その後今日まで長年にわたる療養、補償を得て、なお末だに振動障害を残し、漸く現今の右諸症状程度に保留しているもので、今後も生涯その療養を必要とするものと認められるものであり、また右公災認定をうけている以上、少くとも、その認定前後の頃の同上告人の振動障害に関して原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に格別の支障ないとみるべきものではないにも拘らず、以上に反し、原判決が標記の認定、所論に出ていることは首肯的合理性を著しく欠くものであり、この認定、所論は標記の各違法がある。

(1) 原判決は五―七弐において、甲八五号証や上告人加納の一、二審における「同被控訴人が営林署を退職した理由は、常に肘と腰に強い痛みがあって十分に働けず、全身が常にだるくて仕事をする意欲がなくなり、また仕事をやろうと思っても手のしびれや痛みのため物が握れず、物を手に持っても時間が少し経つと、腕がだるくて持つことができないようになり、営林署の作業ができない状態だったからであると」の供述は採用できないとして、その所以を述べているが、上告人加納は、昭和三九年一〇月の早くから、すでに振動障害の蒼白が発症し、その後蒼白、しびれ、腰痛等も屡々訴え、何回か蒼白等を管理者、管理医により確認されたことは甲三号証八、原審中脇稔証言、陳述書によっても明らかであり、原判決も略認めており、昭和四四年三月には、坐骨神経痛の症病名で通院治療をうけていることは原判決も認定していることで、昭和四五年に至り、漸く公災認定を受けているという状況であるから、一審山奥に赴いての現場検証により明らかなチェンソー作業の難儀な重作業の情況からみても、上告人加納の右供述は容易に真実と認めうるものであるのに、退職後、同上告人が行なった程度の作業を行なっていたということ、後記特別措置の退職金をもらって退職したという程度のことをもって、自らは上告人ら申請の山奥における現場検証も行なわずにいて、原判決が右上告人の供述を採用しないとしたのは採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬、審理不尽の各違法がある。

(2) 上告人加納は、特別処置の退職を行なっているが、これをもって任意の退職とみるべきものでないことは、他の上告人らの場合と同様である。また、同上告人使用チェンソーに関する昭和四〇年末ころ以降の防振ハンドル装置が、振動障害防止対策として差程有効のものでなかったことも、他の上告人らの場合と同様である。

(3) 原判決は五―七参乃至七四において、上告人加納に関する五島医師の診断情況とその結果所見等を記したうえ、同医師の所見及びこれに副う甲鑑定の結果を採用できないとし、その所以を述べているが、原判決が、五島所見とは「相当に齟齬する」という「一般的医学知見」なるものは、生体の有機性を度外視する等著しく合理性を欠くもので「一般的」というべきものではなく、また、相当の身障者にも、その努力によって可能な程度の作業を上告人加納が行なっていたからといって、五島所見を不当視することは当らず、また五島医師所見は上告人加納に老化現象あることを否定するものではなく、この点、原判決は自ら人体の有機性を述べていることも忘れて、乙鑑定そのままに、上告人加納の生体に存するいわゆる類似症状のすべてを合理的理由もなく、振動障害でないとみなし、しかも、その振動障害とみたもののみについて、ただ単に頭上で、その軽重等をいうにすぎない失当のものであること、他の上告人の場合と同様であり、更に乙鑑定結果の不合理、不当については既述のところであるから、原判決がそのいう所以をもって五島医師所見、甲鑑定の結果を不採用とするのは採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(九) 亡三笠寅蔵関係

原判決が五―八壱、八弐において、その挙示の証拠等資料を総合のうえ、亡三笠寅蔵の健康障害について、「亡三笠寅蔵の振動障害は手指の末梢循環障害と末梢神経障害で、レイノー現象と手指のしびれ・疼痛の発症を伴なうものであるが、その程度は発病以降、いずれも軽度で、日常生活の機能には労働能力の点を含めて格別の障害がなく、その発病時に継続的(冬期など)あるいは継続した不快感を伴なうものであったこと」、「昭和五六年当時における亡三笠寅蔵の疾患は、右の振動障害のほか、頸椎症・難聴・両手指の変形性関節症(以上、中等度)、右上腕二頭筋長頭腱皮下断裂(以下、すべて軽度)・第五腰椎分離辷り症・膝関節症・動脈硬化・肺気腫・狭心症様発作・両肘拘縮があったことを認められるが、振動障害以外の右疾患のうちに、チェンソー使用を含む亡三笠寅蔵の営林署在職中の労働に起因するものがあるとは認め難い。」「前記甲一一三、一一四、二一二号証、乙一五一号証の九、乙一五二号証の九の一の各記載、原審当審証人五島正規の供述、当審における甲鑑定の結果中、右認定と牴触する部分は爾余の前掲証拠と比較して採用し難い。他に右認定を覆えし、被控訴人三笠秀子ら四名指摘の亡三笠の疾病が同人の営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認すべき正確な証拠はない。」としたのは、その認定、判断を誤ったものであり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

すなわち、五島正規の一、二審証言、甲鑑定の結果、甲一一三、一一四、二一二号証、乙一五一号証の九、一五二号証の九の一と、前記の前置いた一項(一)(二)及び前記第三で述べたところ並びに後記(1)乃至(4)の諸事情等を総合することにより、原判決がチェンソー使用に伴なうものではないとした亡三笠の生体に存する右標記の諸症状の殆んどのもの(また甲鑑定指摘のもの)は、振動障害またその関与、少くともその寄与を否定し得ない諸症状と認むべきものであり、このことから、亡三笠在職時のチェンソー使用に伴なう健康障害は、原判決が振動障害としたものだけではなく、右諸症状を合併した有機的症状と認むべきものであること、従って、本件鑑定当時「高度の振動障害が残っており、機能的、社会的に日常生活の不利、不便を蒙っている」(甲鑑定書)生活状況であったものであり、原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に格別の障害をきたさないとみるべきものではないこと、のみならず、上述の諸症状は、本件鑑定時における亡三笠の健康状態をもとにしたものであるにすぎず、同人は約一六年前も前に、公災認定をうけた者であり、その後死亡まで長年にわたるその療養、補償を得て、なおまだ振動障害を残し、漸く上述の諸症状の程度に保持してきたものであり、また右公災認定をうけている以上、少くともその認定前後の頃の亡三笠の振動障害に関して、原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に格別の支障ないとみるべきものではないにも拘らず、これに反し、原判決が標記の認定、所論に出ていることは首肯的合理性を著しく欠くものであり、この認定、所論は標記の各違法がある。

(1) 原判決は五―八〇において、亡三笠寅蔵が甲八六号証及び一、二審における本人尋問で、「営林署を退職したのは、手腕のひどい痛みをはじめ全身が悪いところばかりになって仕事ができる状態になく、このまま仕事をつづけるとチェンソーで生命が縮められると思ったからである」旨供述しているのを措信できないとして、その所以を述べているが、亡三笠は、昭和三七年八月すでに振動障害の蒼白が発症しており、その後しびれ、痛み、蒼白等を訴えていたこと、昭和四三年公災認定通知を受けるに至ったことは、甲三号証の九、原審山下良雄証言等により明らかであり、また同人が昭和四二年一月以降在職中膝関節ロイマチス、冠不全、動脈硬化、肝炎、糖尿病、腰痛症等名で診療をうけてきたものであることも原判決において略認めているところであるから、一審施行の山奥における現場検証により明らかなチェンソー作業の難業の情況、また振動障害にかかると治らないといわれてきていたこと等からみて、亡三笠の右供述は容易に真実と認むべきものであるにも拘らず、当時の林野庁の振動障害に関する矮小化、振動障害対策不整備の実情等をもみないで、退職前の健康診断時にレイノー現象を訴えなかったとか、退職当時に公災認定申請を行なっていないと称し、これら些細のことをもって、また、相当の身障者でも可能な程度の亡三笠の退職後の作業のこと、また亡三笠の当時の作業現場にはりついて看視しているわけでもない原審山下良雄証言と比較する等のことにより、原判決が亡三笠の右供述を措信できないとするのは採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(2) 亡三笠が「職種替え」を屡々勧告され、これを断ってきたことは、当時補償体制が不備で賃金低下を招くためであり、また「退職」したのは原判決のいうような冠硬化症等だけが原因とみるのは失当で、振動障害に関する原判決の経過認定に照らしても、振動障害も関与しているものとみるべきものである。

また、亡三笠使用のチェンソーに関する昭和四〇年秋ころ以降の防振ハンドル装置のことは、振動障害防止策として差程有効ではなかったこと、他の上告人の場合と同様である。

(3) 原判決は五―八〇、八壱において、亡三笠に関する五島医師の診断状況とその結果所見等を記したうえ、同医師の所見及びこれに副う甲鑑定の結果を不採用とし、その所以を述べているが、その述べるところがすべて不合理、失当であることは既述の上告人らにつき述べた場合と全く同様であり、亡三笠の生体を有機的存在として、その振動障害の症状を正当に観察する五島所見及び甲鑑定の結果を、原判決が不採用としたのは採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(4) 亡三笠は、原判決も認めるように、チェンソー使用をやめる昭和四三年三月までに、前記のロイマチス、糖尿病、腰痛症等の病症名で治療をうけてきたものである(五―七八)が、このような者に、林野庁が継続してチェンソー作業を行なわせていたものである以上、このことからしても同人の生体に存した右病症に関するいわゆる類似症状について、原判決の如くこれを私症のみとみなして、振動障害の関与を全面否定すべきものではない。

(一〇) 上告人下村博関係

原判決が五―八七、八八において、その挙示の証拠等資料を総合のうえ、上告人下村博の健康障害について、「被控訴人下村の振動障害は左手指の末梢循環障害と左右手指の末梢神経障害で、その程度は軽度であり、日常生活の機能には労働能力の点を含めて格別の支障はないが、その発症時に継続的あるいは継続的な不快感を伴なうものであること」、「昭和五六年当時における同被控訴人の疾病は右の末梢循環障害と末梢神経障害のほか、いずれも軽度の左肘関節症・外上顆炎・変形性腰椎症・指関節症・難聴・高血圧症・腎機能障害があることが認められるが、右末梢循環・神経障害以外の疾患はチェンソー使用を含む被控訴人下村の営林署在職中の労働に起因するものであるとは認め難い。」「前記甲一一五、一一六号証、乙一五一号証の一、二、乙一五二号証の一〇の一の各記載、原審証人五島正規の供述、当審における甲鑑定の結果中、右認定と抵触するところは爾余の前記証拠と比較して採用し難く、他に右認定を覆えし、被控訴人下村指摘の疾病が営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認すべき正確な証拠はない。」としたのは、その認定、判断を誤ったものであり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

すなわち、五島正規の一、二審証言、甲鑑定の結果、甲一一五号証、乙一五二号証の一〇の一等と、前記の前置いた一項(一)(二)及び前記第三で述べたところ並びに後記(1)乃至(4)の諸事情等を総合することにより、原判決がチェンソー使用に伴なうものではないとした上告人下村の生体に存する右標記の諸症状(また甲鑑定指摘のもの)は、振動障害またはその関与、少くともその寄与を否定し得ない諸症状と認むべきものであり、このことから、同上告人在職時のチェンソー使用に伴なう健康障害は、原判決が振動障害としたものだけでなく、右諸症状を合併した有機的症状と認むべきものであること、従って、「今なお中等度の振動障害が残っており、機能的、社会的に日常生活上の不利、不便を蒙っている」(甲鑑定書)生活状況であり、原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に格別の障害ないものとみるべきものではないこと、のみならず、上述の諸症状は、本件鑑定時における同上告人の健康状態をもとにしたものであるにすぎず、同上告人は約一五年も前に公災認定を受けている者であり、その後今日まで長年にわたるその療養、補償を得て、なおまだ振動障害を残し、漸く上述の諸症状程度に保留しているものであり、また右公災認定をうけている以上、少くとも、その認定前後の頃の同上告人の振動障害に関して、原判決のように「軽度」また「日常生活の機能」「労働能力」に格別の支障ないとみるべきものではないにも拘らず、以上に反し、原判決が標記の認定、所論に出ていることは首肯的合理性を著しく欠くものであり、この認定、所論は標記の各違法がある。

(1) 原判決は五―八六において、甲八七号証及び上告人下村の一、二審の本人尋問における「営林署を退職したのは手・腕・腰から両足までがそれぞれひどく痛み、そのまま仕事を続けるとチェンソーで生命が縮められると思ったからである」旨の供述は措信できないとして、その所以を述べているが、上告人下村は、昭和三八年頃すでに振動障害が発症しており、原判決は「職場の同僚、上司や管理医に右のような症状を訴えたことがなかった」というが、その後振動障害に関する蒼白等を訴え、また管理医の確認もあったことは甲三号証の一〇、原審横山重俊証言等によっても明らかであり、また原判決を認めているところであるのみならず、昭和四〇年七月以降在職中にロイマチス性腰痛、第四腰椎辷り症等の症病名により治療を受けたことも原判決の認めているところであるから、一審施行の山奥での現場検証により明らかなチェンソー作業の難業の情況や、当時振動障害にかかれば治療してもなおらないといわれていたこと等からみて、上告人下村の右供述は真実と認むべきものであるのに、相当の身障者でも可能な自動車運転やチェンソー作業の難業とは異質の狩猟のこと、また余り口きくこともない上司の横山重俊の証言程度をもって、同上告人の右供述を原判決が措信できないとしたのは採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(2) 上告人下村の「退職」について、振動障害の関与が全くないとすることはできない。また、同上告人使用のチェンソーに関する昭和四〇年秋ころ以降の防振ハンドルは、振動障害防止策としては他の上告人の場合同様格別のものではなかった。

(3) 原判決は五―八六、八七において、上告人下村に関する五島医師の診断状況とその結果所見等を記したうえ、同医師の所見を採用できないとし、その所以を述べているが、その述べるところが、すべて不合理、失当であることは既述の上告人らの場合と全く同様であり、上告人下村の生体を有機的存在として、その症状を正当に観察している五島所見を原判決が不採用としたのは採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(4) 上告人下村は、原判決も認めるように、在職中前記の私的病症名で治療を受けているものであるが、このような者に、林野庁が継続してチェンソー作業を行なわせていたものである以上、このことからいっても、同上告人の生体に在した右諸病症に関するいわゆる類似症状について、原判決の如くこれを私症のみとみなして、振動障害の関与を全面否定すべきものではなく、原判決は、その判断を誤ったものである。

(一一) 上告人浜崎恒見関係

原判決が五―九四、九五において、その挙示の証拠等資料を総合のうえ、上告人浜崎恒見の健康障害について、「昭和五六年当時における被控訴人浜崎恒見の振動障害は、極く軽度の両手指の末梢循環障害があるだけで、蒼白発作の発症もなく、労働能力の減退を含む日常生活に対する支障はないこと」、「右以外の同時期における同人の疾病は、両肘関節症(中等程度)、両肘部管症候群(右は中等度、左は軽度)、頸椎症(軽度。以下の疾病につき同じ)、左膝関節症、左腹壁と右大腿軟部腫瘤、下腿静脈瘤、難聴、肝機能障害、末梢性ニューロパシー、本態性高血圧症があることが認められるが、末梢循環障害以外の右疾病がチェンソー使用を含む被控訴人浜崎の在職中の労働に起因するものであるとは認め難い。」「甲一一七ないし一一九号証、原審証人五島正規の供述、当審における甲鑑定の結果中、右認定と牴触するところは爾余の前記証拠と比較して採用できず、他に控訴人浜崎恒見指摘の疾病が営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認すべき正確な証拠はない。」としたのは、その認定、判断を誤ったものであり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

すなわち、五島正規の一、二審証言、甲鑑定の結果、甲一一七ないし一一九号証等と、前記の前置いた一項(一)(二)及び前記第三で述べたところ並びに後記(1)乃至(3)の諸事情等を総合することにより、原判決がチェンソー使用に伴なうものではないとした、上告人浜崎の生体に存する右標記の諸症状(また甲鑑定書指摘のもの)は、振動障害またはその関与、少くともその寄与を否定し得ない諸症状と認むべきものであり、このことから、同上告人在職時のチェンソー使用に伴なう健康障害は、原判決が振動障害としたものだけでなく、右諸症状を合併した有機的症状と認むべきものであること、従って、「今なお中等度の振動障害が残っており、機能的、社会的に日常生活上の不利、不便を蒙っている」(甲鑑定書)生活状況であり、原判決のように「極く軽度」また「日常生活」「労働能力」に支障ないものとみるべきものではないこと、のみならず、上述の諸症状は本件鑑定時における同上告人の健康状態をもとにしたものであるにすぎず、同上告人は約一七年も前に、公災認定を受けている者であり、その後、今日まで長年にわたるその療養、補償を得て、なおまだ振動障害を残し、漸く上述の諸症状程度に保留しているものであり、また右公災認定をうけている以上、少くともその認定前後の頃の同上告人の振動障害に関して原判決のように「極く軽度」また「日常生活」「労働能力」に支障ないとみるべきものではないにも拘らず、以上に反し、原判決が標記の認定、所論に出ていることは首肯的合理性を著しく欠くものであり、この認定、所論は標記の各違法がある。

(1) 原判決は五―九参において、甲八〇号証及び上告人浜崎の一、二審本人尋問における「営林署を退職した理由として、夜間、両肘がしびれるように痛んで安眠できず、眩暈が時々あり、耳鳴りが常時あったため、あと三年すると年金がつくがそれよりも身体の健康の方が大事なので退職した」旨の供述を措信し難いとし、その所以を述べているが、上告人浜崎は、すでに昭和三八年一一月頃振動障害の蒼白も発生し、その後屡々その症状等を管理者にも訴えてきていたことは、甲三号証の一一、原審甲把英行証言、陳述書等によっても明らかであり、また、原判決も略認めているところであるのみならず、昭和四二年七月在職中に、腰椎椎間板軟骨ヘルニアの症病名で治療を受けていることも原判決の認めているところであるから、一審施行の山奥での現場検証により明らかなチェンソー作業の難業の情況や、当時振動障害にかかれば治療しても治らないといわれていた情況であったこと等からみて、上告人浜崎の右供述は真実と認めるべきものであるのに、原判決のいう「チェンソー使用によるレイノー現象の発症以降、退職時までの間における同被控訴人の健康」とは一体如何なるものを意味するのか不明であるのみならず、同上告人の退職後の職業は、山奥における難業のチェンソー作業よりはるかに軽易で、相当の身障者でも、その努力によってなしうる程度のものにすぎず、また当時振動障害は治療しても治らないといわれていたものであるから、当時の同上告人の「疾病の治療状況」やレイノー現象以外の振動障害症状をみようとしない事業所主任や管理医のいうところの、同上告人の訴え状況や、退職した際の言動なるもの等をもって、しかも、山奥における現場検証をも行なわずチェンソー作業の重作業であることを何ら体得していない原判決が、上告人浜崎の右供述を措信し難いというのは、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(2) 上告人浜崎が「退職」して転業したにつき、振動障害の関与を否定するのは全く失当である。また、同上告人使用チェンソーに関する昭和四〇年以降の防振ハンドルのことは、振動障害防止対策として格別有効のものではなかったこと他の上告人らの場合と同様である。

(3) 原判決は五―九参、九四において、上告浜崎に関する五島医師の診断状況とその結果所見等を記したうえ、同医師の右所見を採用できないとし、その所以を述べているが、五島医師及び甲鑑定採用の振動障害の見解は全く合理的であり、原判決のいう「一般の医学的知見」は局所障害説を指すものと思われるが、それは生体の有機的存在を度外視した抽象観念的、不合理な机上のものにすぎず、これをもって一般的医学的知見ということはできないし、また同上告人の生体に老化現象あることを五島所見が否定するものではないこと、更にこの点に関し、局所障害説を唱える乙鑑定及びこれに副う原判決が、いわゆる類似症状につき、原判決が上告人浜崎につき、振動障害とみるものを除くその余のすべてを合理的理由もなく、不当の手法によりすべて私症、老化現象とみる全く不合理なものであること既述のところであり、また原判決のいう、当時における同上告人の通院情況やそのいう「専門的治療」のことについても、当時、振動障害に罹患すれば、治療しても治らないといわれていたこと、当時治療体制皆無というべき情況であったこと等から、格別の異はないし、乙鑑定は全く不合理、失当のものであること既述のところであるから、原判決がそのいう所以をもって、五島所見を採用できないとしたのは採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(一二) 亡大崎憲太郎関係

原判決が五―一〇〇、壱〇壱において、その挙示の証拠等資料を総合して、亡大崎憲太郎の健康障害について、「死亡直前昭和五四年一一月当時における振動障害として極く軽度の手指の末梢循環障害があるだけで、労働能力の減退を含めて日常の生活に支障はなかったこと、右時期におけるその他の疾患として、手の感覚障害・握力低下・上肢のしびれと疼痛・頸腕神経痛・難聴(以上、いずれも程度不明)、尿蛋白(軽度、以下同じ)、胃潰瘍・高血圧症・レントゲン写真での左拇指・中手指関節症様所見があったことが認められ」、「手指の末梢循環障害以外の右疾患は亡大崎憲太郎のチェンソー使用を含む営林署在職中の労働に起因するものであるとは認められない。」「甲一二〇、一二一号証、乙一五二号証の一二の一、原審証人五島正規の証言、当審における甲鑑定の結果中、右認定と牴触するところは爾余の前記証拠と比較して採用できず、他に右認定を覆えし、被控訴人大崎禹米ら五名指摘の疾病が亡大崎憲太郎の営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認できる正確な証拠はない。」としたのは、その認定、判断を誤ったものであり、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

すなわち、五島正規の一、二審証言、甲鑑定の結果、甲一二〇、一二二号証、乙一五二号証の一二の一等と、前記の前置いた一項(一)(二)及び前記第三で述べたところ並びに後記(1)乃至(4)の諸事情等を総合することにより、原判決がブッシュクリーナー使用に伴なうものでないとした亡大崎の生体に存する右標記の諸症状(また甲鑑定書指摘のもの)は、振動障害またはその関与、少くともその寄与を否定し得ない諸症状と認むべきものであり、このことから、亡大崎在職時のブッシュクリーナー使用に伴なう健康障害は、原判決が振動障害としたものだけでなく、右諸症状を合併した有機的諸症状と認むべきものであること、従って、「当時、軽度及び中等度の振動障害であったと推定され、機能的、社会的に日常生活に不利、不便を蒙っていた」(甲鑑定書)生活状況であり、原判決のように「極く軽度」また「日常の生活」「労働能力」に支障ないものとみるべきものではないこと、のみならず、亡大崎は昭和四五年一月に、災害発生日昭和四四年一一月一四日ということで公災通知をうけている者であり、このように、いやしくも公災認定をうけた者のその認定前後の頃の同人の振動障害に関して「極く軽度」また「日常生活」「労働能力」に支障ないとみるのは失当であるにも拘らず、以上に反し、原判決が標記の認定、所論に出ていることは首肯的合理性を著しく欠くものであり、この原判決の認定、所論は標記の各違法がある。

(1) 原判決は五―九九において、甲七八号証及び亡大崎の一審尋問における「営林署を退職した理由として、白ろう病のため、左の手首がしびれて地ごしらえ用の鎌の柄をしっかり握れず、作業が遅れて同僚に気がねし健康を考えていた折、義兄が病気になりその店を手伝う話が持ちこまれたので、退職した」旨の供述は措信できないとし、その所以を述べているが、亡大崎は、昭和四一年ごろ振動障害がすでに発症(蒼白も出現)しており、その後も蒼白等を訴え、管理者にも蒼白が確認され、その後も蒼白等を訴えてきたこと等は、甲三号証の一二、原審松崎博敏証言、陳述書等によっても明らかであり、また原判決も略認めているところであるのみならず、ブッシュクリーナーを使用していた昭和四四年九月までの在職中に、高血圧、頸腕神経痛、胃潰瘍等の病症名で治療を受けていることも原判決の認めているところであり、このような病症ある者に、林野庁がブッシュクリーナー作業を継続させるべきものではないが、このことはさておくも、同作業が相当の山奥での難儀の作業であることや、当時、振動障害にかかれば、治療しても治らないといわれていた情況であったこと等からみて、亡大崎の右供述は十分措信しうべきものであるにも拘らず、原判決がこれを措信できないとしたことは採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法あるものというべきである。

(2) 義兄が偶々病気になったことから、これを機会に治療してもなおらないといわれている振動障害罹患者である亡大崎が「退職」するということは任意のものとみるべきものではなく、退職原因として振動障害の関与を否定するわけにはいかない。

亡大崎使用のブッシュクリーナーは、昭和四四年六月以降若干軽量になったというのであるが、同人はその三ヶ月後にはその使用をやめているのであるから、右若干の軽量化をもって、亡大崎の振動障害の重症化の歯どめとして寄与したものとはみられない。

(3) 原判決は五―九九、一〇〇において、亡大崎に関する五島医師の診断状況とその結果所見等を記したうえ、同医師の右所見を採用できないとし、その所以を述べているが、振動障害についての五島医師及び甲鑑定所見が全く合理的であるのに対し、原判決採用の乙鑑定書が全く合理性を欠くものであること既述のとおりであり、原判決のいう、亡大崎の当時の通院情況は、振動障害に罹患すれば治療してもなおらないといわれていたのであるから、格別の異はなく、店の仕事や自動車運転のことは、ブッシュクリーナー作業と比較すれば、相当の身障者にも可能なことであること、また乙鑑定書が著しく不合理、失当なものであること既述のところであるから、原判決が、そのいう所以をもって五島医師の右所見を採用できないとするのは採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(4) 亡大崎は、原判決も認めるように、在職中前記の私的病症名で治療を受けているものであるが、このような者に、林野庁がブッシュクリーナー作業を継続して行なわせたものである以上は、このことからいっても、亡大崎の生体に存した右病症に関するいわゆる類似症状について、原判決の如くこれを私症のみとみなして、振動障害の関与を全面否定することは許されるべきことではなく、原判決はその判断を誤ったものである。

三 あとがき

(一) 原判決は、右二(一)乃至(一二)において、上告人(一審原告)らの夫々について振動障害を認定していながら、いずれも軽度または日常生活の機能、労働能力に格別の支障がない等とし、結局その故をもって国賠法四条、民法四一五条の適用を否定したものであるが、これは原判決の前記「解釈論」「評論」等について、前記第二の一(一)乃至(三)で述べたのと同じく、右(一)乃至(三)のとおり、憲法等関係各法規に各違反し、また最高裁判所判例牴触のものであり、国賠法四条、民法四一五条の解釈、適用を誤った違法がある。

(二) 上告人(一審原告)らは、いずれも公災認定をうけた振動障害者である。また上告人らにつきいずれも公災認定のおくれがあること、上告人らの昭和五八年一二月一三日付原審準備書面一五三頁以下に述べたところであり、またこのことは、関係証拠により十分認めるところである。

このような公災認定をうけ、しかもその公災認定のおくれある一審原告らの振動障害につき、原判決がこれを労働能力に格別の支障等がないというのは、首肯的合理性を欠き法令違背の違法があり、労働能力、日常生活の機能に相当の支障あるものとみざるを得ないこと、右(一)乃至(一二)において述べたところであるから、右障害につき、原判決が被上告人に債務不履行の責任ないとしたのは、国賠法四条、民法四一五条の解釈、適用を誤ったものである。

(三) また、原判決が右二(一)乃至(一二)において、上告人(一審原告)らの夫々につき、上告人らが、一審原告らのチェンソー等使用に伴なう振動障害のうち、原判決が振動障害と認定したものを除くその余の障害症状をチェンソー等使用によるものと認められないとしたことに関し、法令違背があり、いずれも少くとも振動障害の関与、寄与を認むべきものであること、右(一)乃至(一二)において述べたところであるから、原判決が、右のように振動障害とは認められないとした障害につき、国賠法四条、民法四一五条を適用しなかったことは、右各法条の解釈、適用を誤ったものである。

第五原判決の難聴に関する違法について

原判決は五―壱〇壱、壱〇弐において、難聴につき記述し、それによれば、「難聴は甲鑑定の結果は勿論乙鑑定の結果によっても(亡安井を除く)被控訴人らの大部分に生じており、難聴は騒音の中におり続けると生ずることが多いので、被控訴人らの難聴がチェンソー等使用のため生じたとみられる余地はある」といいながらも、結局「これを理由とする」上告人らの請求も「認めることはできない」というものであるが、この点についても、左記の各違法がある。

(一) 原判決は、先づ「本件訴訟は振動によるレイノー現象を中心に審理され難聴について詳しい審理が行なわれていないので判断できない」という。この記述は重大であり、原判決が、本件訴訟において振動による「レイノー現象を中心に審理し」難聴だけではなく、上告人ら主張の他の振動障害症状等については、首肯すべき合理的な追究を怠ったことを、はからずも自認するものであり、原判決は、本件訴訟につき全面的審理不尽の違法がある。

(二) また原判決は、「乙鑑定の結果によると亡大崎には耳管狭窄があったことが認められるので控訴人の責任を問うことができ」ないというが、前記のように、チェンソー等使用による振動障害者である上告人らの大部分に難聴が認められ、その中に亡大崎も含まれていること、またチェンソー等使用によるものとして、難聴も生ずるおそれあることは、甲一三六乃至一四〇号証等においても記されているところから、亡大崎の難聴は、ブッシュクリーナー使用も関与していることを否定し得ないものと解すべきものであるのに、右の「耳管狭窄」あるをもって、直ちにブッシュクリーナー使用によるものであることを全面否定することは、首肯的合理性を欠き、採証法則、論理則、経験則各違背また理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(三) また原判決は、「成立に争いがない乙一五二号証の一ないし九、一一の各一によると被控訴人下村と亡大崎以外の被控訴人らが五島医師に難聴とか耳鳴りを訴えたことが記載されている」ことを認めているのに、「被控訴人らの労働災害認定の資料とされた甲三号証の一ないし九、一〇の全枝番の証拠によると、被控訴人下元が昭和四〇年五月二五日神経性難聴と診断されたことがある以外難聴を認めうる資料がないこと、乙鑑定の結果によると被控訴人下元と田辺の難聴は生理的老化現象によるものであること、その余の被控訴人らの難聴もほとんど軽度であることが認められ、控訴人の責任を問わねばならぬ程度のものとは認めがた」いというのであるが、甲三号証の書類は、レイノー現象をもっぱら林野庁が追及する情況の中で作られた公務災害関係書類にすぎず、下元につき「神経性難聴」の記録があるのは、下元がレイノー現象のほかに、原判決も三―壱で記す「多発性神経炎」の公災認定をうけたためと認められ、「難聴を認めうる資料がない」のは、レイノー現象のみを追及した林野庁の責任である。にも拘らず、このことを原判決がみようとせずに、ただ右のように、単に「難聴を認めうる資料がない」とし、そればかりか、「下元と田辺の難聴」につき、これ亦前記(二)と同様、チェンソー等使用のことも関与していることを否定し得ないものとみるべきものであるのに、合理性を欠く乙鑑定そのままに「生理的老化現象によるもの」と決めつけ、あまつさえ「その余の被控訴人らの難聴もほとんど軽度である」ということを口実にして、「被控訴人の責任を問わねばならぬ程のものとは認めがたい」とするのは審理不尽、判断遺脱、また採証法則、論理則、経験則各違背或は理由不備、理由齟齬の各違法がある。

(四) また原判決は、「林野庁はチェンソー等の使用開始当初のころから騒音を減少さすため被控訴人らに耳栓の使用を命じその予防対策を講じていたのであるからチェンソー等の使用と難聴との間にたとえ相当因果関係があるものがあるとしてもこれを控訴人の責任とすることはできない」というが、「耳栓使用を命じ」ても、なお難聴が生じたのであるから、予防措置として「耳栓使用を命ず」るだけで、果して十分なものであったか否かが説示されていない限り、右のように「耳栓使用を命じ」たということのみをもって、直ちに被上告人の「責任とすることはできない」とするのは、審理不尽または理由不備の違法がある。

(五) なお、原判決は五―壱〇弐において、右の如く「その余の被控訴人らの難聴もほとんど軽度であることが認められ、控訴人の責任を問わねばならぬ程度のものとは認めがたく」として、被上告人に債務不履行の責任を否定するものの如くであるが、だとすれば、この所論が憲法等関係各法規に違反し、また国賠法二条、四条、民四一五条の解釈、適用を誤った違法のものであること前記第二の一(一)乃至(三)において述べたところと同様であり、のみならず、「難聴」に関する事実認定に関して、判決に影響を及ぼすこと明らかな各法令違背があること上述のところであり、また従って、原判決がその「難聴」の右所論に関し国賠法二条、四条、民法四一五条を適用しなかったのは、右法条の解釈、適用を誤った違法がある。

第六原判決の「国家賠償法二条、一条、民法七一五条による責任」に関する違法について

一 国家賠償法二条による責任の点について

原判決には、林野庁が上告人らにチェンソー等を使用させたことが国家賠償法二条にいう営造物の設置または管理に瑕疵があったとはいえない、とする点で同法条の解釈、適用を誤った違法があって、右の違法が判決に影響を及ぼすことが明らかであり、また、その判断過程には理由の違法および判例違反がある。

すなわち、原判決は国家賠償法二条にいう「営造物の設置又は管理の瑕疵とは当該営造物が通常有すべき安全性を欠くとかその管理に不適切なものがある場合のことをいうところ、本件チェンソー等は伐木造材や植林を行うに際し、従前の人力に代えて使用されるに至った道具であり、それ自体凶器でなく、危険なものではないから、これを使用させたからといって営造物の設置の瑕疵又は管理に瑕疵があったということはできない」という。

右に引用のうち、前半の部分、すなわち国家賠償法二条にいう「営造物の設置又は管理の瑕疵とは当該営造物が通常有すべき安全性を欠くとか、その管理に不適切なものがある場合のことをいう」との部分は、従来の判例、通説にそったものであり、そのこと自体は当然のところである。しかしながら、その余の部分は何を意味するのか、前半の部分とどのように関連させられるのか、まことに不可解というほかないのである。本件チェンソー等が伐木造材や植林に用いられる道具であって、それ自体は凶器でなく、危険なものではないから、そもそも営造物の設置または管理の瑕疵を論ずる余地がないとでもいうのであろうか。そうだとするならば、国家賠償法二条の解釈をめぐって行なわれている判例・学説上の論争や研究は、すべて徒労に帰することとなろう。なぜならば、道路、河川、橋梁、マンホール、ダム等、公の営造物のほとんどすべては、なんらかの行政目的を達成するための手段として設置されるものであり、「それ自体凶器でなく、危険なものではない」ことにおいては本件チェンソー等といささかも異るところがないものであって、そのいう論法をもってすれば、右記の公の営造物については、そもそも設置または管理の瑕疵を論ずる余地がないこととなるからである。

問題は、本来は有用な道具であり、「それ自体凶器でなく、危険なものではない」営造物が、通常有すべき安全性を欠き、またはその管理に不適切なものがあるために、凶器に転化し、危険を生ぜしめる場合の責任如何ということである。

かって、大阪国際空港騒音公害訴訟上告審において、国は上告理由の一として、国家賠償法二条の公の営造物の瑕疵とは「当該営造物の物的状況が安全性を欠くこと、すなわち物理的かしを意味するものと解すべきである」と主張したが、それに対して最高裁は次のとおり判示して国の右主張を明快に退けていることが想起されるべきである。

「国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が有すべき安全性を欠いている状態をいうのであるが、そこにいう安全性の欠如、すなわち、他人に危害を及ぼす危険性のある状態とは、ひとり当該営造物を構成する物的施設自体に存する物理的、外形的な欠陥ないし不備によって一般的に右のような危害を生ぜしめる危険性がある場合のみならず、その営造物が供用目的に沿って利用されることとの関連において危害を生ぜしめる危険性がある場合をも含み、また、その危害は、営造物の利用者に対してのみならず、利用者以外の第三者に対するそれをも含むものと解すべきである。すなわち、当該営造物の利用の態様及び程度が一定の限度にとどまる限りにおいてはその施設に危害を生ぜしめる危険性がなくても、これを超える利用によって危害を生ぜしめる危険性がある状況にある場合には、そのような利用に供される限りにおいて右営造物の設置、管理には瑕疵があるというを妨げず、したがって、右営造物の設置・管理者において、かかる危険性があるにもかかわらず、これにつき特段の措置を講ずることなく、また、適切な制限を加えないままこれを利用に供し、その結果利用者又は第三者に対して現実に危害を生ぜしめたときは、それが右設置・管理者の予測しえない事由によるものでない限り、国家賠償法二条一項の規定による責任を免れることができないと解されるのである」(最高裁大法廷、昭五六・一二・一六判)。

一般的にチェンソー等が伐木造材等に使用される道具であって、それ自体は危険なものではないとしても、その使用の態様および程度・すなわち当該チェンソーの重量、使用に際して発する振動の質量、使用する場所の地形的・気象的条件、使用の姿勢、使用継続時間等およびそれら諸要素の相互的関連によっては使用者の生命・健康に危害を生ぜしめる危険性がある場合には、当該チェンソーの設置、管理には瑕疵があるというを妨げないのである。そして、本件においては、そのような意味においてチェンソーが本来の安全性の限度を越えて使用され、その結果上告人らの生命・健康に危害が発生した事案であることは既に述べたとおりである。

しかるに、原判決が本件チェンソー等が伐木造材等に使用される道具であって、それ自体凶器でなく、危険なものではないとの理由をもって、これを使用させても営造物の設置、管理の瑕疵にはあたらないというのは、前記最高裁判例にも違背、牴触し、国家賠償法二条の解釈適用を誤ったものであり、かつ理由不備であって、破棄を免れない。

二 国家賠償法一条、民法七一五条による責任の点について

原判決は、国家賠償法一条、民法七一五条に基づく請求はいずれも当該職務遂行にあたった公務員に故意または過失を要するところ、被上告人の使用している公務員には故意または過失が認められないとの理由で被上告人に国家賠償法一条、民法七一五条による責任が成立するとの上告人の主張を排斥したが、この原判決の所論は、原判決の前記「解釈論」「評論」と同旨の観点に立つ法解釈、適用であることが、そのいうところから自明である。よって、右所論は前記第二の一(一)乃至(三)で述べたところと全く同様の理由により、憲法等各法規に違反し、また国賠法一条、民法七一五条の解釈、適用を誤った違法のものといわなければならない。のみならず、本件チェンソー等を上告人らに使用させるにつき、林野庁側に「振動障害」を「予見していた」事実が認められること既述のところであり、過失はおろか、故意があったものと認められる事案であるから、このことからしても、原判決の右所論は右国賠法一条、民法七一五条の解釈、適用を誤った違法がある。

第七結び

以上のとおり、原判決はすべての面にわたり違法であることが明らかである。

最高裁判所が、人間の尊厳を格調高く宣明のうえ、違法且つ不公正な原判決を破棄されるよう求める。

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